「わたしのお母さんが、泉沈――――あ、いいえ、封蘭や犀煉と出会っていたなんて……」


 信じられない。
 そう言うと、恒浪牙は苦笑混じりに「ちなみに」と。


「犀煉が雪蘭殿――――いや、分かりやすいように関麗殿とお呼びしましょう。彼女と彼らが会ったのは猫族の近くの山でした。その時、その山に犀華殿の遺体も埋められました。幽谷が猫族の村に至ったのも、これが原因なのかもしれません」

「恒浪牙殿。関羽の母親は、厳密には何をしたんだ? 犀煉の覚醒を止められたと言うのなら、幽谷だって可能だった筈だ。いや、ややもすれば今も――――」

「無理です。幽谷は、犀煉達とは全く違う作りをしていますから。ちなみに、関麗殿は、ただ覚醒しかけた犀煉を拳で殴って叱りつけただけですよ。それで犀煉の理性を戻し、覚醒を邪魔したどころか破壊した。犀煉に己の身体から、四霊を追い出させたのです。あの時は私も犀煉を案じてついていたのですが、私ですら難しかったことを平然とやって除けられてしまって、本当にびっくりしましたよ。ただ、その所為で、彼は覚醒した姿になれますが、代わりに命を著しく削ってしまう。先程姿を変えて妙幻とやり合ったので、二日は目覚めないと思います」


 では、その時に一緒にいたという封蘭はどうだったのだろう。
 問いかければ彼は、目を細め、


「そりゃあ滅茶苦茶キレましたよ。丁度訳あって辟兵法を解いていたので私の右腕切り落とされてしまいまして。再生するまで一ヶ月はかかりました」


 間延びした声で言う地仙に関定がざっと青ざめた。想像したのか右腕の肘を撫でた。


「腕切り落とされたって……そんな笑顔で言うもん?」

「いやあ、良い思い出でした。あの後関麗殿が今度は封蘭を抱き締めたんですもの。本当、長生きはするものですね。予想外な人は見ていて飽きない。封蘭もまさか抱き締められるとは思わなかったようで、心から驚いていましたよ。あの子は、劉一族とは違った意味で、精神的な成長を止めてしまっていましたから、親というものが恋しかったんでしょう。暫くは関麗殿の言葉を黙って聞いておりました」


 暫くは。
 そう言うのなら、途中から耳を貸さなかったのだろう。
 母がどのように諭したのかは分からないけれど、封蘭にとっては、心に届きはしなかったのかも……。


「封蘭は結局は関麗殿を受け入れなかった。猫族が憎いから。猫族が怖いから。……猫族だけではありませんね。彼女にとってはこの世界そのものが地獄だ。早く消えて無くなりたい、今の彼女の願いはそれです」

「消えて無くなりたいと言うのなら自ら死ねば良かったじゃないか」


 夏侯淵が指摘する。
 確かに、それだけ苦しんだのであれば、いっそ自害しようとするかもしれない。

 恒浪牙を窺うと、彼から笑みは消えていた。またさっきのような口調になるのかと思って関羽はこっそりと身構えた。

 されども、


「夏侯淵将軍。あの子はあなた達のように武人として育てられた子ではありません。普通の病弱な女の子が、死を恐怖するのは当然でしょう。あの子は昔は常に死と隣り合わせでした。常人よりも恐怖は強かったでしょう。それに、あの子は傷はたちまちのうちに再生してしまう。おまけに自害しようとすれば、浅く傷つけただけでも罰として激痛を感じるように作られている。それは彼女の後に作られた四霊でも同じですが、彼らに比べてもその痛みは凄まじい。例えるならそうですね……生きたまま腹に剣を突き刺してぐりぐりと掻き回した後に焼き鏝(ごて)を中まで押しつけるくらいです。あ、封蘭以外の四霊に関しては掻き回す辺りでしょう」

「例えに容赦が無さ過ぎる」


 蘇双が青ざめて口を押さえた。世平や趙雲はともかく、若衆は皆顔色を悪くしていた。想像を絶するものだろうが、それでも考えるだけでも気分は悪い。
 関羽は敢えてそれを考えずに、《想像出来ぬ程の激痛》だと認識した。

 恒浪牙は悪びれた様子も無い。本当にこういう表現しか合うものが無いのだと主張した。


「封蘭の傷がすぐに再生してしまうのは、先日の戦で見ていた。その時は痛みを感じていたようには思えなかったが?」

「ああ、もしかして脳を損傷したのではありませんか? 本人以外から与えられた痛みはある程度緩和するように作られていますが、痛覚はちゃんとありますよ。ただ、脳が損傷すれば五感を受け取る機能は一時的に麻痺します。封蘭は脳を損傷しても思考ははっきりしていますが、五感は修復されるまで麻痺します。ただ、損傷の具合によっては痛覚だけを意図的に麻痺させることもあるようですが。この辺りの仕組みは、さしもの私でもはっきりとは分かっていません」


 天仙は手加減――――いや、常識というものを知らないのだろうか。
 こちらの感覚では考えられない程、封蘭の身体に取り付けられた《機能》は滅茶苦茶だった。
 それだけのものを付けられていながら、ただ使命を果たせないと言うだけで『役立たず』呼ばわりなんて、酷すぎる。

 天仙と言えば呂布も、天仙の位だと徐州で恒浪牙に聞いたが、感覚がズレているのは彼女だけではなかったのか……。


「彼女は普通の女の子だったんです。そのように育ってきた。よしや狂っても、怖いものは怖いのです。彼女には、呂布と対峙する勇気も無い」

「……では、潜在意識は? 幽谷で言う妙幻というように、泉沈というのも本来の四霊としての潜在意識なのだろう?」


 夏侯惇が口を挟んだ。

 聞き慣れぬ言葉に、一同は首を傾ける。


「そうですね。潜在意識――――泉沈には、曹操殿や関羽さん達はお会いしていますね。あの青年が、本当の泉沈。四霊の霊亀、です」

「霊亀……四霊と呼ばれている所以はそれか」

「ええ。潜在意識として、四霊を人型の器に秘めさせた存在、それを四霊と呼んだのです。ややこしいでしょうが、分かりやすいでしょう。泉沈は、作り主に一番近い存在だったので最初の四霊として封蘭の器の中に入りました。けれど彼は争い事を嫌う性分だったんです。おまけにお人好しなので、とても呂布を殺せる程の四霊ではなかった。今封蘭が表に出ているのも、彼の性格故のことです。彼女のことを案じて、完全に支配することを止めているんです」


 彼と作り主だけが、ずっと封蘭のことをずっと案じ続けている。
 恒浪牙はそこで膝をぽんと叩いた。

 そして、猫族を見渡し、告げる。


「これがあなた方が封蘭について知るべきことです。これを知った上で、封蘭をどうするのかは、あなた方に委ねましょう。……次は、幽谷の話をしましょう。これには犀煉と、彼の妹、犀華殿も関係してきます」


 恒浪牙はそこで目を伏せ、言葉を選び始めた。



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