1
本陣に帰る頃には、関羽の体調は回復していた。異常な早さだ。
手当てを終えた犀煉を寝かせた彼は関羽の怪我に応急処置――――関羽自身話が先に聞きたいと熱望した為、後程改めて手当てをすることとした――――を施した後、猫族の一部や曹操などを天幕に集めた。袁紹の代わりに袁術も一応の出席を要請される。『偉い人のようですし、一応いた方が良いでしょう?』なんて、袁術の扱いはぞんざいだった。
円形に座し、恒浪牙は顎を撫でた。
「さて……まずは何を話した方が良いのでしょう。皆さんは、泉沈と幽谷、どちらのお話が先に聞きたいですか?」
蘇双が舌打ちした。
「幽谷の話だけで良い。早く済ませてあいつらを止めないと」
「いやだから泉沈のことはあなた方にとっては至極重要なんですよ、これが。それと、本当に今の彼女らに会いに行ったら瞬殺されてしまいます。だからあの時私は術をかけて動けないようにしたんですよ。いい加減聞き分けて下さいませんか。物凄く心配なのは分かっていますけれども」
「だけど、泉沈の話を聞く必要あるの? あいつのことなんて知っても、無駄なだけじゃないか」
――――ぴくり。
恒浪牙のこめかみが震えた。
一瞬にしてにこやかな顔が崩れた。
冷めた眼差しが蘇双を見やり、苛立たしげな舌打ちが唇の間から漏れた。
それだけで、周囲の空気が一気に冷えたように思う。
「だぁからさぁ……さっきからてめぇらにとっちゃ重要だっつんでんだろうが青二才が」
まるで地を這うような、低くて恐ろしい声だ。
蘇双が目を剥いた瞬間その膝の前に匕首が突き刺さった。恒浪牙が投げたのだった。
「え……こ、恒浪牙さん?」
「良いから年寄りの言うことは黙って聞いとけやクソガキ頭蓋開いてその辺の動物と脳味噌入れ替えっぞ、あ゛あ?」
……。
……。
……。
誰だ、この人。
これじゃ柄の悪い破落戸(ごろつき)じゃないか。
鷹揚な恒浪牙の面影は何処にも無い。
それが、いっそう怖かった。
曹操や夏侯惇、夏侯淵も驚いているようで、呆気に取られてしまっていた。
「恒浪牙さん、あの、取り敢えず早く話をしないといけないんじゃ……」
「……」
「……」
「……おや、私としたことが、ついうっかり若い頃の言葉遣いが……いや、お恥ずかしい」
「「「いやいやいや……」」」
照れ臭そう苦笑する恒浪牙に、関羽は反応に困った。
ひとまず、先程から猫族にとって重要だと言う泉沈のことを聞くこととする。関羽とて劉備のもとへ行きたい。だが、恒浪牙の言う通り行ってもただ殺されるだけだと言うのなら、ここで恒浪牙の話を聞いた上で対策を練るべきだと思う。
関羽が促せば、恒浪牙はゆっくりと頷き、蘇双を見やった。
蘇双は鼻白んだ。
「あなた達の世代になると『化け物封蘭』という唄は伝わっていないのでしょうか」
「ん……『化け物封蘭』? それって、悪霊に憑かれて劉一族の子供を食べたって言う猫族の女の子のお話だよな。殺されて、川に流されたって言う、作り話じゃ……」
関定が記憶を手繰って言う。
蘇双も「確かそんな話だった」と首を縦に振る。
恒浪牙はと悲しげに微笑んだ。
「ああ、そのように伝わっていましたか。……悪霊に憑かれたという設定がある辺り、一応の罪悪感があったのかな」
「その唄がどうかしたんですか?」
「封蘭というのは、泉沈のことなんです。事実も、唄と全く違う」
「え!?」
ちょっと待って。
封蘭って、女の子だったわよね。
でも泉沈は男の子、で――――。
「あ……!」
いや、泉沈の性別は曖昧だった。本人が明言することを避けていたから、こちらで勝手に判断していたのだ。
「泉沈は、本当は女の子だったのね」
「ええ。……そして、最初に生まれた四霊です。四霊であることで、あの子はあなた方の先祖に、切り捨てられたのです」
四霊を化け物として排除したのは、猫族が初めてでした。
恒浪牙は目を伏せ、滔々(とうとう)と語り始めた。
‡‡‡
最初の四霊として生まれた封蘭は、生まれつき病弱な娘でした。
私は四霊が生まれたと知ってすぐに猫族の村を訪れました。……え? ええ、四霊が生まれることは分かっていましたからね。様子見という奴です。まあ、赤子の彼女を見た後はすぐに去りましたけどね。
封蘭は劉一族の男の子と最も仲が良かった。男の子と言いましても、劉一族は受け継がれる力故に成長が遅い。本来の年齢は見た目よりもっと上でした。
病弱な子でしたので、ほとんど家に引きこもっていた為友達と言えばその子だけです。
それにご存じの通り封蘭は金と黒の目をしています。異形の彼女は猫族の中では異質に見られておりました。それを、封蘭のご両親と劉一族の子が何とか宥めているという状態で、体質が治ってからは外で遊べば子供達によくからかわれていたと聞きます。
劉一族の子が封蘭にとって一番の理解者でした。彼に守られているからこそ、封蘭も絶対的な信頼を寄せていました。
今の泉沈としての口調は、劉一族の子を無意識に真似しているんですね。長い年月の中で忘れてしまっても、彼のことは彼女の意識すらも届かない深いところに残っています。
……ですが、劉一族の子は突然、酷い病気を罹患(りかん)し、僅か一年で亡くなりました。幸い彼には兄がおりましたので、劉一族の血が途絶えることはありませんでした――――って、この時代、劉備さんがいるのですから途絶えていないのは当然ですね。
彼が亡くなった後、村は深く悲しんだことでしょう。
やり場の無い感情を何かにぶつけたかったのかもしれません。誰かが言い始めました。
封蘭の所為で、劉一族の子は死んでしまったのではないか、と。
それは瞬く間に広がり、徐々に真実だろうと信じる者が増えていきました。
元々、色違いの目をしていた封蘭を気味悪がっていたのです、因果付けてしまえばそれも事実でなくとも真実だと思えてしまうでしょう。金眼の存在すら曖昧になった今、猫族が、耳があることで人間に十三支と蔑まれるのと同じことです。
封蘭が追放されるまで、さほど時間はかかりませんでした。
彼らは両親が止めるのも構わずに封蘭を痛めつけ、村から離れた川へと流しました。不死の身体の彼女は、流れる間も傷ついては治り、傷ついては治り――――人間の世界へと放り出されてしまいました。
両親は胸を痛め、母親は心労のあまり気が触れて自ら命を絶ちました。父親は封蘭を捜しに自ら村を出、以後消息は掴めなくなりました。
封蘭のそれから先は想像が付くかと思います。
言われ無い罪で仲間に追い出されて、人間からも迫害され……普通の女の子として育った彼女にとってはとても苦しかったことでしょう。
徐々に、精神に異常が生じ、自らの成長も止めてしまいました。泉沈として覚醒し、四霊の役目を知ったのも、その頃です。
壊れかけ使い物にならなくなった彼女を見かねた四霊の作り主が、封蘭を一旦己の住処――――崑崙の片隅で預かることとしました。
ですが、封蘭にとってはそこも地獄でした。
私のような地仙の上の位、天仙の連中はとかく自分勝手な性格をしています。
役立たずと酷く蔑まれたようです。陰口なんてものは天仙はしません。堂々で目の前で貶します。平然と心を抉りやがるんですよねあのクソ野郎共滅べ――――おっと、また口調が。失礼しました。
そこでも精神を異常は膨れ上がった封蘭は、長い間作り主のもとに居続け数多の四霊が生まれては殺され、或いは自害する様を崑崙から眺めました。……ああ、あなた方が知らないだけで、幽谷の他にも成長した四霊は多いのですよ。作り主も全てにではありませんが、色々と周囲を弄っていたんです。今はそれ程の余力は残っていないようですが。
ふとした時、封蘭は崑崙を降りました。
その時は丁度犀煉が、最愛の妹を亡くし、精神的に弱ったが為に覚醒をしかけたところでした。
封蘭は作り主が四霊を作り出す中、弱っていく様を見ていましたから、それを促進させ確実に覚醒させようと、自ら覚醒した姿となって犀煉のもとに向かったのでした。
ですが犀煉は完全に覚醒は出来ませんでした。
――――関羽さん。
あなたの母親、雪蘭殿が止めたのですよ。
そしてその時、もし封蘭が雪蘭殿を受け入れていれば、きっと彼女は救われていたに違い無い。
まあ、今それを言ったとしても、詮無きことではありますけどね。
.
- 228 -
[*前] | [次#]
ページ:228/294
しおり
←