11
本陣に戻り、彼らが走っていった方向だけを頼りに曹操達を追いかけると、兵士達が戦を止め、ぞろぞろと何処かへと歩いているのが見えた。
それを追い越しながらその方向へと急げば、戦場だというのに、人集りが出来ていた。奇異な光景である。
兵士の間を縫うように進み、開けた場所に出た瞬間だった。
「あなたたちを長年使い続けてきた曹操という男。この者はあなたたちの上に立つべき人間ではないのです!」
高らかな袁紹の声が空気を震わせる。
夏侯惇は片目を眇めつつ、夏侯淵の隣に立った。
夏侯淵は彼に気が付くと、軽く目を瞠って声を潜ませた。
「兄者、あの影は――――」
「この男は、あの忌むべき存在、十三支の血を継ぐ者、十三支と人間の間に生まれた、混血なのです!!」
「な!?」
夏侯淵の言葉を遮って告げられたそれは、多大なる衝撃を彼らに与えた。
夏侯惇は瞠目して曹操を見やる。――――が、以前十三支に感じていた程の強い嫌悪は無かった。
曹操が十三支の血を受け継いでいる。
それが真実かどうかまでは分からない。
だが、仮に事実だったとしても、そんなことはどうでも良いと思えた。
そう思わせるだけの将器が、曹操にあると夏侯惇は知っている。
が、周囲はどよめき、隣り合う者達と顔を合わせて困惑する。
「お、おい、曹操様に十三支の血が流れてるだと?」
「そんな馬鹿な。第一あの獣の耳もない」
「……本当だよ」
「!?」
「曹操、後ろ!!」
唐突な闖入者(ちんにゅうしゃ)は曹操の背後に現れ彼の横髪を持ち上げた。
そこに、耳殻は無かった。
切り落とした風ではない。
まるで最初から無かったかのような骨格に、隣で夏侯淵が息を呑んだ。
「器用に隠してたねー、曹操……っと!」
「ぐっ!?」
「泉沈!!」
小馬鹿にしきったような笑みを浮かべ、泉沈は曹操を蹴りつけた。
関羽が悲鳴じみた声を上げて曹操に駆け寄る。
「傍観しておこうかなと思ったけど、気が変わった。関羽のことは別に助けなくて良いよ。その混血の女なんて、ここで苦しみもがいて死んでしまえば良い」
「泉沈! お前何言ってんだよ!!」
泉沈は一切の表情を消す。
怒鳴る張飛を一瞥し、一人の兵士へと目を向ける。
袁紹軍の兵士である彼の蒼白としたかんばせには、玉のような汗が浮いては流れていた。
その様子に、夏侯惇は剣呑なモノを感じた。
す、と泉沈が口角をつり上げ酷薄な笑みを浮かべた。
すると突如、
「ぐ、ぐぐ……」
その兵士が咽を押さえてその場にうずくまったではないか!
苦悶に声を漏らし、地面を転がる姿に、その場にいた誰もが戦慄におののいた。
泉沈はその様をうざったそうに眺めながら、誰に言うでもなく語り始めた。
「その人ね。関羽の少し前に、関羽に服用された毒を飲まされてるんだ。近いうちにこうなるよ」
関羽の苦しみ死んでいく姿、見れば僕の気分も幾らかすっきりすると思うんだ。
泉沈の冷酷な物言いに、曹操が舌打ちして立ち上がる。関羽がその身体を支えた。
が、彼女自身、自分の身に起こっていることに恐れおののいて更に青ざめている。
曹操は泉沈に蹴られた箇所が痛むのだろう、顔を歪めつつ剣を泉沈に向けた。
「ふざけるなっ! 関羽は殺させはせぬ」
「異常な同族意識って気持ち悪い。下賤同士の愛情って本当に汚いだけなんだよ」
「何だと……!」
「どうせさぁ、この後皆殺されるよ。その前にこんな茶番やってて良いの?」
泉沈の言葉に、夏侯惇ははっとした。
ああ、そうだ。
俺がここ来た理由は――――。
『稼げる時間は長くありません! 何としてでも、その場から双方を退却させるのです!!』
「曹操様!!」
夏侯惇は曹操の前へと走った。
恒浪牙の言葉を彼に伝えなければならぬ。
幽谷――――いや、あの女がここに来る前に!
「曹操様。ここは危険です。早くこの地を離れなければ、大変なことになるかも知れません」
「……どういうことだ?」
「今はそれを説明している暇はありません。どうか、急ぎここから撤退を!」
「ならぬ。関羽をこのまま殺すことなど出来るものか!」
夏侯惇は泣きそうな関羽を見やった。
泉沈は先程関羽のことを混血と言った。
曹操が関羽に固執するということはやはり彼も混血と言うことなのだろう。
……いや、今はそんなことどうでも良い。
曹操は袁紹に向き直った。
自分が誘導した展開でないことに不服そうではあるが、袁紹は曹操に凶悪な笑みを向ける。
「何が起こっているのかは分からないけれど、危険ならば仕方がない。僕達はこれで失礼させてもらうことにするよ」
「何だと……?」
「君の欲しがっている物は、」
袁紹が懐から何かを取り出す。
小瓶だ。
日の光に透けた液体が入ったそれを揺らし、曹操に見せつけるように地面に落とし、踏んだ。
パキッと音がしたと思えば乾いた地面に浸透していく。
止める暇すらも無かった。
曹操はその様に激怒した。
「袁紹……貴様ぁ!!」
「曹操!」
「おやおや、曹操。どうしてそんなに必死なんだい? それ程に、この女が大事なのかい? 自分が十三支の血を引いているから、同じ混血だから!!」
心底おかしそうに、袁紹は哄笑する。
激情を顔に映し出した曹操が剣を泉沈から彼に向け、地を蹴った瞬間である。
「ひぎゃあああぁぁぁぁ!!」
後方で悲鳴が上がった。
皆、一様に驚いて動きを止めた。
悲鳴はそれだけでは収まらず。
折り重なるように幾つもの悲鳴が上がり、徐々に恐怖した兵士達が逃げるように道を開けていった。
その先から、一人。
女性が真っ直ぐ歩いてくる。
夏侯惇はそれを見、舌打ちせずにはいられなかった。
間に合わなかったのだ!
「あれは……!」
曹操が剣を下ろし、そちらを凝視する。信じられぬとでも言いたげだ。
無理もない。
手ずから殺めた筈の赤と青の双眸を持った四霊が、悠然と歩いてきていたのだから。
‡‡‡
「幽谷……!!」
関羽が感極まったように彼女に駆け寄ろうとする。
だが、それを夏侯惇が止めた。
「止めろ、女! 今あれには近付くな!!」
「どうして――――」
「ああ、もう目が覚めたんだ」
関羽の言葉を遮った泉沈が二人の側を通り過ぎた。
女は彼に気が付くと、ふっと艶然とした微笑を浮かべる。
「封蘭(ほうらん)。そこにおったのか。捜したぞ」
兵士達を抜け、泉沈の前に立った彼女は、彼の頭をそっと撫でた。
泉沈は女を探るように見上げると、やがて納得したように数度頷いた。頭を撫で続ける女の手を鬱陶しそうに剥がす。
「いや、身体の方がまだ完全じゃないのか。よくその身体で動こうと思ったね。嫌だったんじゃないの? つか、その名前で呼ぶの止めてよね」
「五月蠅い蛾が二匹来よったでな。……しかし汝れも奇異なことよ。このような下賤のさなかに立とうとは。正気の沙汰ではない」
「ああ、なるほど。早かったね、片付けるの」
「……幽谷?」
二人は周囲の人間達を無視し、会話を交わす。
関羽が怪訝そうに呼ぶも、二人共彼女を見ようとすらしない。
それに、関羽は夏侯惇を押し退けて駆け寄った。
「幽谷。幽谷、どうしたの? 言葉が……」
彼女が手を伸ばすと、一瞬にして手が裂けた。深い、幾つもの裂傷に関羽が半瞬遅れて悲鳴を上げた。
崩れたその身体を曹操が駆け寄って抱き留める。
関羽と曹操を、女は冷たく、まるで汚物を見るかのように見下す。
「妾に触るな。下賤の最たる芥共が」
吐き捨てられた言葉は、以前の彼女であれば到底想像もつかないものだった。
「!? 幽谷!?」
「ちょ、おいおいおい、どうしちまったんだよお前」
「その名で呼ぶな。虫酸が走る」
女は顔を歪め、片手を振った。
すると、蘇双と関定が見えない何かに吹き飛ばされてしまう。
「幽谷!」
「黙れと言うておるのだが、汝れらの頭では理解出来ぬか? 妾は汝れらが英雄の子孫とて、容赦はせぬぞ」
不愉快そうに十三支を見やり、鼻を鳴らす。
その姿に誰もが混乱し、恐怖しただろう。
女は、彼らの知る存在とはまったこ別人となってしまっていたのだ。
夏侯惇は一人、歯噛みする。
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