曹操への面会を申し出たところ、存外すぐに通された。
 緊張の所為だろう、心臓がやかましい。
 上手く歩けていないようでままによろけてしまった。

 しっかりしなくては。
 今、自分は大事な使者の役目を担っているのだ。
 猫族、曹操軍――――彼らの為にも毅然とやり遂げなければならない。
 それに曹操に幽谷と犀華達のことを訊くつもりでもある。何が何でも彼女らの安否を確かめなければ。
 使命感に胸は熱い。

 兵士に案内され、天幕の奥へと入れば、そこに氷のような表情を張り付けた曹操が佇んでいる。

 関羽は軽く顎を引き、強く彼を見据えた。隙を見せてならない。


「曹操……」

「こんなに早くお前に会えるとはな。しかし……私の元に戻ってきたわけではないのだろう?」


 関羽は徐(おもむろ)に頷いた。


「停戦の話し合いをしたいの。そして、今幽谷がどうなっているのかも」


 曹操の前へと進み、袁紹に託された文を差し出した。

 曹操はそれを受け取らなかった。
 ふっと笑みを浮かべ「お前は何か勘違いをしていないか」と。


「私はお前を取り戻せれば、それで良いのだ」


 関羽は唇を引き結んだ。


「そのお前が、こうしてのこのこやって来たのだ。今この場でお前を捕まえれば、全て終了だ。目障りな幽谷も、もうこの世にはいない」


 瞠目。


「幽谷が……この世にいない……ですって?」

「ああ、そうだ。私がこの手で殺した」

「――――っう、そ……!」


 一歩後退していやいやをするように緩やかにかぶりを振れば、曹操は鼻を鳴らす。


「嘘ではない。幽谷は死んだ。もうお前も、十三支も、四霊の力に守られることは無い。故に――――」

「嘘!! 嘘よ!!」


 関羽は叫んだ。
 有り得ない、有り得ない!
 幽谷が曹操に殺されるなんて有り得ない。
 だって彼女は四霊で、呂布に匹敵しよう程に強いのだ。
 そんな幽谷が――――……。


『何してるの! さっさと行きなさい!!』


 あ……。

 違う。

 幽谷ではなかった。
 あの時関羽を助けてくれたのは、


 犀華だ。


 全てが瓦解していくような音がした。
 関羽はその場に力無く座り込んでしまった。袁紹より預かった文も床にひらりと落ちてしまう。

 そうだった。
 幽谷なら勝てるかも知れなかった。
 だけど、犀華は?
 犀華は、幽谷みたいに戦えるの?
 幽谷と同じくらいに、戦えるの?

 無理、じゃないか――――。


「あ……あぁっ!」


 手遅れだった。
 幽谷が、犀華が、死んだ。

 嘘 だ、嘘だ、 嘘……これ は 嘘だ。 で ないと、ダ メ……!
 嘘 じゃない、と。
 謝れな い! !
 両手で頬に触れ上へ上へ、横の髪を押し上げこめかみに爪を立てた。


「そんな、幽谷が、そんな……っ」


 色を失う関羽を冷笑を浮かべつつ見下ろす曹操は、淡々と告げる。


「どの道身体は毒で弱っていた。遅かれ早かれ死んでいたのだ」

「……どう、いうこと?」

「なかなかに骨が折れた。あれに効く毒と言えば、軍医に新たに作らせても滅多に無いのでな」

「――――」


 酷い。
 そんな言葉すら出てこない。
 曹操……どうして幽谷を殺す必要があるの?
 猫族の皆を排除する必要があるの?
 問いかけようにも、身体中を巡る激情に邪魔されて上手く出すことが出来ない。

 心なし、寒い。

 曹操を見上げキツく睨めつけた関羽は、一瞬だけ曹操の姿がぼやけたように思えた。


「……どうした?」


 関羽の様子に何を思ったのか曹操が屈んで関羽の顔を上げさせる。


「顔色が悪い、冷や汗までまいて……」


 目を剥く。
 そこで彼は関羽が取り落とした文を取り上げ乱暴に開く。先程とは打って変わって憔悴しきった彼に関羽は首を僅かに傾けた。

 羅列に目を通した曹操は荒々しく舌を打つと文を放り投げた。


「袁紹め! 話し合いの場へ案内しろ。急ぎ行くぞ!」

「きゃ!」


 曹操は無理矢理関羽を立たせると、腕を掴んで天幕を飛び出した。

 家臣の声など、彼の耳には届いていなかった。



‡‡‡




「ひっぱらないで、曹操!」

「急げと言っている!」


 天幕の隅で様子を見つめていた夏侯惇と夏侯淵が彼を追いかける。


「そ、曹操様! お待ち下さい!」


 二人に一瞥もくれず、曹操は関羽を強引に引いて大股に歩く。
 引き千切られてしまいそうな程の力で、関羽は思わず悲鳴を上げた。だがそれで曹操は止まってはくれなかった。


「どういうことだ!? 一体何が書いてあったというのだ!」

「わからん。しかしこれは確実に罠だ! 俺たちも行くぞ!」

「おう!」


 天幕を離れ、本陣すらも抜けてしまった曹操を見失わぬように急ぐ。

 が、夏侯惇が唐突に足を止める。
 夏侯淵が数歩先で立ち止まって彼を呼ぶが、彼の目はある一点に集中して動かない。

 夏侯淵もその先を見、顎を落とした。

 本陣の背を守る断崖の上――――……。
 そこに佇む《女》が在った。


「……幽谷……!!」


 震えた声を発した夏侯惇は、呻くような声を漏らして駆け出した。


「あ、兄者!?」

「夏侯淵! お前は曹操様のお側にいろ!!」


 夏侯淵の制止を振り切り、彼はそれまでよりも速く、枯れた大地を駆けた。



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