戦況がどうもよろしくない。
 やはり圧倒的な兵力差では猫族や紀霊がいても難しいらしい。先だっての戦で二虎将軍が失われたのも大きかった。

 再び関羽の天幕を訪れた袁紹は、僅かに蒼白で痛ましげな顔をして戦況を語った。劉備は今は関羽の側で眠り込んでいる。

 関羽の表情も段々と暗く陰っていく。
 戦場にいる猫族の皆は大丈夫だろうか。誰も死なないでいて欲しいけれど……。
 気鬱になる関羽に、袁紹は話を切り出した。


「そこで私としては、曹操と停戦の話し合いを行いたいと思っています」

「停戦の話し合いを?」


 袁紹は徐(おもむろ)に首肯した。


「ええそうです。そしてその曹操との話し合いの申し入れを、あなたからして頂ければと思っています」

「わたしがですか……?」

「そうです、あなたもこれ以上の争いで大事な猫族のみなさんが傷つくのは嫌でしょう」


 関羽は即座に肯定した。
 それは当然のことだ。
 自分がもし負傷なんてしていなければ、彼らと共に戦場に出ていただろう。彼らの被害を最小限に食い止める為に。

 ……だが、曹操軍の被害を抑えたいと思っているのもまた事実だ。
 きっと、自分が一時率いていた第三部隊もこの戦に出ているだろう――――。

 それに、曹操も、いる。

 嗚呼、やはりまだわたしは曹操のことを……。
 下唇を噛み、関羽は俯いた。


「ならばこの役、引き受けて頂けませんでしょうか。他の者が行ったところで曹操が話に応じるとも思えません。しかし、暫く曹操の下にいたあなたの話であれば、あの曹操も耳を傾けるのではないでしょうか?」

「それは……」

「これ以上兵の被害を出さないように猫族の仲間や兵たちのことを思うのであれば、是非お願いします!」

「猫族や兵たちのことを……」


 袁紹は言葉を尽くした。
 終いには頭を深々と頭を下げるのだ。

 その姿に、関羽も首を縦に振る。感じ入ったように頭を下げた。


「わかりました。わたしでお役に立てるのなら曹操のところに行って参ります」

「どうも有難うございます! よかった、これで戦を止められる」


 安堵した風情で、袁紹は微笑する。関羽の両手をぎゅっと握り締めた。
 彼は、やはり優しい人だ。
 兵達のことを、こんなにも親身になって考えている。

 自分達猫族も気遣ってくれる。

 曹操軍の損害も、彼らや猫族のそれも抑えてあげたい。
 自分にそれが出来るのなら何を拒む必要があるのか。

 それに――――曹操に会って、犀華や幽谷のことを訊かなければならなかった。
 彼女らは今どうしているのか……足止めをしてくれた後、捕らえられたのか。
 せめて無事でいるかどうかを確かめなければ。

 袁紹の手を握り返し、「きっと、話し合いをするように言って参ります」と力強く言う。
 そうと決まれば早速、と袁紹は本当に嬉しそうに関羽を促した。


「ああ、そうだ。万が一に備えてこれを飲んで下さい」

「これは?」

「これは毒を中和する薬です。戦場には毒矢など危険がいっぱいです。中和剤を前もって飲んでおけば、毒矢に当たっても大丈夫なのです」

「そう、そんなものがあるのね。どうもありがとう。頂きます」


 袁紹の態度を疑うことも無く、関羽はその薬を服用した。

 彼の口角が、不穏につり上がっていることに気付きもせずに――――。



‡‡‡




 泉沈は気まぐれに星河と共に戦場を歩いていた。
 進路を邪魔してきた人間は区別無く殺し、彼女の完全なる覚醒を待つ。
 陣屋にいても暇であったし、劉備の側にいるのも嫌だ。
 この戦場なら多少の暇潰しになるやもと思って闊歩(かっぽ)していたのだが、ここも殺し合うだけで変化は無く退屈なだけだった。

 星河を返り血で血塗れにし、自身の身体も血でべったりと汚した彼は、それは凄惨な有様だった。怪我をしているのではないかと見紛う程に。
 この姿で、趙雲や世平の前に出れば叱られてしまうに違いない。行くつもりはさらさら無いが。
 泉沈は猫族の戦っている場所を避けていた。
 奴らを見るだけで反吐が出る。

 襲いかかった兵士を双剣で斬り刻んだ。肉片が頬にかかる。頭にも、服にも。

 気持ち悪い。
 気持ち悪い。

 皆消えてしまえば良い。
 あいつに消されてしまえば良い。

 消えて無くなりたい。
 もう何かもが嫌だ。
 四霊の楔から、おぞましい記憶から解放されたい。

 ぎりりと歯軋りをすると、不意に泉沈の名前が呼ばれた。
 呼ばれる筈がないのにと、眉根を寄せて振り返ると、兵士を避けながら一頭の馬が走ってくるではないか。
 その馬上にいる姿に、泉沈はぐにゃりと顔を歪めた。


「関羽……」

「泉沈、あなたその血……! 何処か怪我をしたの!?」

「別にしてねぇし。邪魔だからどっか行け混血」


 泉沈は嫌悪も露わに吐き捨てる。
 背を向けて歩き出せば、彼女は追っては来なかった。

 彼女の姿が見えないところまで至り、泉沈は足を止める。


「……ああ、そう言えば関羽が使者になって曹操のところに行くんだったか」


 勿論、それは袁紹の罠。
 そこでまた、変な茶番が起こるのだ。多少の暇潰しにはなるかもしれないけれど。

 自分には全く関係ない。
 そう切り捨てて、泉沈は再び暇潰しを求めて歩き出した。

 すぐ側の兵士を、爆発させる。



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