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黄巾賊の悲鳴が鼓膜を殴る。
幽谷は不快そうに顔をしかめた。
峰打ちされてどうと倒れる黄巾賊達に、関羽が威嚇するように再び偃月刀を構えた。
すると無様な黄巾賊は命乞いをするのだ。
嗚呼、なんと醜い。
脳裏に浮かぶのは、今まで幽谷が殺めてきた奴らだ。ほとんど暗がりで殺してきたが、ままに、宴の席や屋敷などで一人でいるところを殺すこともあった。そう言った時、彼らもまた、幽谷と対面した際は、四凶であることも忘れて同じように命乞いをしたものだ。
ぞわり。
嫌悪に総身が粟立った。
「……わたしもあなたたちを殺したいとは思っていないわ。もう二度と、人を襲ったりしないと約束して。約束してくれるなら、これ以上の攻撃はしないわ」
「も、もちろんだ! 天に誓って約束する!! だ、だから命だけは!!」
関羽は偃月刀を収めた。
するとそれを見計らって、黄巾賊達は慌ただしく逃げ出していく。
――――茂みにいる仲間には、目もくれずに。
それを見送りながら、張飛が肩をすくめた。
「何だかんだで姉貴はやっぱり優しいよなー。斬らずに許しちまうんだからさ」
「もうちょい懲らしめてやった方がよかったんじゃねーの?」
関定の科白には同感だった。むしろ、あの輩はまた同じことを繰り返すのだから、殺してやるべきだと思う。
されどそれを進言したとて、優しい彼女がそれを受け入れてくれる筈もない。だから、後に暇ができた時にでもこの周囲を捜索していようと思う。
幽谷が圏を収めると、彼女の腰に抱きつく劉備の腕に更に力がこもった。
「劉備様。如何なされましたか」
「ぼく、人間につかまったら売られちゃうの?」
彼は泣きそうな顔をしていた。
「劉備を売るなんて、そんなことさせるわけないでしょう?」
「でも、さっきの人たちがぼくを売るって言ってたもん……」
劉備は関羽にも抱きついた。顔を埋める。彼は、人間共の汚らしい浅ましさを見、すっかり怯えてしまっていた。
幽谷は劉備の隣に屈み込み、優しく語りかけた。
「劉備様、あなた様も猫族の皆様も、わたしがお守りいたします。ですから、そのようなお顔をなさらないで下さい」
劉備はこくりと頷くが、関羽から離れようとはしなかった。
そんな彼に、世平が言い聞かせる。
「劉備様。先ほどの連中は人間の中でも特に品性下劣な輩です。そこまでする人間はほとんどいないでしょう。ですが、覚えておいて下さい人間は俺たち猫族がどう扱われようと何とも思わないということを」
今から行く村でもそうなるのではないかと思うと、不安で不安で溜まらないのだろう。
やはり彼を――――否、猫族を人間達ののさばる世界に連れてきてはならなかったのだ。何度後悔しても収まらない。曹操軍を全て殺しておくべきだったと思うこの悔しさ……。
バコン。
「!?」
何故か、叩かれた。
世平に。
幽谷は驚いて叩かれた頭を撫でながら世平を見上げた。
「せ、世平様……? 何故、私は頭を叩かれたのでしょうか?」
世平は眉根を寄せて、もう一度叩く。
自分が世平に何を怒られているのか、幽谷は分からずにただ困惑した。
やがて世平は溜息をつき、
「顔が物騒だぞ。何考えてた」
「え……ああ、すみません。何でもございません」
幽谷は誤魔化し彼に頭を下げて立ち上がった。
世平は怪訝そうにこちらを見つめていたが、彼がまた問う前に、幽谷は歩き出した。肩越しに彼らを振り返る。
「今後は私が先行いたします。怪しい気配がございますれば、即座にお知らせいたします故に」
「ええ。ありがとう、幽谷」
関羽は劉備と手を繋いでいた。
その為か、劉備もいくらか元気を取り戻している。
その笑顔に、彼女はいくらか安堵した。
‡‡‡
広宗県は桑木村。
長閑で小さな村だ。だが、所々に焼け跡や破壊された爪痕がちらついている。何とか、元の通りに戻ったばかりなのだろう。
村の手前には、先に行っていた猫族の男達が待っていた。
「みんな、お待たせ!」
「おお! 劉備様は無事か?」
「ぼく? だいじょうぶだよ。みんなとおさんぽ、楽しかった」
無邪気な笑顔に、皆表情を綻ばせる。劉備の笑顔は、ささくれ立った心中を抑え、毒気すらも消してしまう。彼だけの特技である。
それからの話し合いの中で村に行くという話になって、ふと幽谷は関羽に声をかけた。
「少し、この周辺を偵察して参ります」
いつ黄巾賊が来るかは分からない。ややもすれば、もうすでに近く迫っているかもしれない。それにさっき関羽と張飛に伸された黄巾賊が彷徨いている可能性もあるのだ。
この辺りの地形も、あらかじめある程度把握できていれば、関羽達も策を練りやすいしずっと戦いやすくなる筈だ。
黄巾賊を見つければ、すぐにでも殺しておく。
そして、地形も頭に入れる。
「え? でも良いの? 後で私達でやった方が……」
「私は四凶です。目隠しがあるとは言え、村に行くのであれば、あなた方の側にいないほうがよろしいかと存じます。それに目隠しをして村に行くくらいならば、今私が偵察をすべきかと、私は愚考いたします」
「……分かったわ。でも、無茶はしないでね」
「御意。関羽様も、黄巾賊みは十分にお気を付け下さい」
関羽に一礼して、幽谷はきびすを返した。
けれど、幽谷に気付いた劉備が呼び止める。他の面々も幽谷を振り返った。
「幽谷何やってんの? 今から村行くのに、目隠ししなくて良いのかよ」
幽谷は首肯する。
「はい。少々、偵察をして参ります。皆様は村にお行き下さい」
「幽谷、どこかに行っちゃうの?」
「はい、劉備様。なるべく早く戻ろうと思いますので、関羽様と共にお待ち下さいませ」
劉備が心配すると思ったので、偵察に行くとは言いづらかった。不安を持たせないよう、優しく言う。
劉備は暫し黙って、やおら頷いた。
「うん。早くかえってきてね」
「承知しました。では、日が暮れる前には、戻りましょう」
「約束だよ」
「はい。約束です」
幽谷は笑って頷いた。改めて関羽と猫族に頭を下げて、身を翻すなり駆け出す。
張飛の「また後でなー!」という声が聞こえた。
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