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僅かに入り込んでくる外の情報も唐突に遮断され、真っ暗な犀華の中で異変に気が付いた。
身体の核を揺さぶられるような感覚に襲われた。
次いで、急激に意識が引っ張られるかのような強い引力。
それに満足に抗うことも出来ずに引力に従って浮上すれば――――視界は一気に明るくなった。
眼前に広がる世界に、最初に浮かんだのは疑問だ。
どうして、自分が表に出られたのか。
恒浪牙に術を駆けてもらった訳ではない。否、それ以前に彼女の周囲に恒浪牙はいなかった。
自力では入れ替われないのに、何故幽谷が出てこれたのか……。
深く考えそうになって、慌ててかぶりを振る。今はそれよりも、関羽か、恒浪牙に合流しよう。いつまた幽谷と犀華の意識が入れ替わっても良いように。
幽谷は周囲を見渡して、双方の姿を捜す。
関羽はもう本陣の方へ退がってしまったのだろうか。
恒浪牙は……予想が出来ない。犀煉のところに行ったのか、泉沈と接触しているのか。
確実な方は、関羽だ。
曹操と接触する可能性が高いが、いつ犀華に戻るか分からない状態で一人でいるよりもましだろう。
幽谷は本陣の方角を見据え、駆け出した。
‡‡‡
「関羽様!」
本陣へと戻っていく兵士達の中に、馬を走らせる関羽の後ろ姿を見つけ、声を張り上げた。
すると、彼女は馬を止めて振り返り、幽谷を捉えて驚いた。
幽谷は軽く頭を下げて駆け寄る。
「幽谷!? 犀華とまた入れ替われたの?」
「はい。ですが、何故替われたのか原因がはっきりとしません。いつ犀華殿に戻るのやも」
戻る前に関羽と合流出来て良かったと言えば、関羽はふと眉尻を下げた。そうして、何かを迷うように口をまごまごと動かした。
何事かと見上げつつ待っていると、ようやっと意を決し幽谷に問いを掛けた。
「……幽谷。あのね、わたし泉沈に聞いたのだけれど」
――――その後に続いた言葉に、幽谷は目を剥いた。
‡‡‡
「……泉沈、君って子は……!」
恒浪牙ははああと大仰に嘆息を漏らした。
彼の前方に立って鋭く睨む泉沈はふんと鼻を鳴らしてくるりときびすを返した。
「関羽が幽谷に不審を抱いたら、幽谷の精神には一番の負担になるよね」
ひらりと片手を振って、泉沈はその場から姿を消す。
一人佇んで、恒浪牙はちっと小さく舌打ちした。
確かに、関羽の態度は幽谷に一番の影響を与える。
今曹操への不信感に揺れている彼女が、泉沈がもたらした情報によって幽谷まで疑い出したら――――それこそつけ込まれ易い隙じゃないか。
「……嗚呼、犀華殿の願いを聞き届けなければ、良かったのかもしれない」
なんて、思っても仕方のないことだ。
現時点で恒浪牙にとって最優先すべきは幽谷の潜在意識の出現である。
幽谷によって阻まれた覚醒。
幽谷によって阻まれた使命。
その潜在意識は厄介な性格をしている。
幽谷を生じさせたのは自身の特性も大きく起因していると自覚している彼女は、――――恐らくは幽谷を通して見つめた人間の世界を《八つ当たり》の対象と見るだろう。八つ当たりには当然恒浪牙や犀煉も含まれる。
猫族にも至るやもしれぬ。
仙界の住人は、勿論これには関与しないだろう。
その潜在意識に殺された仙人は多く、呂布と同等に厄介な存在ではあれど、彼女には天仙の中でも上位の仙人から篤い信がある上、存外懐に入れた人物には優しい面がある。咎めようにも容易に出来ることではない。
明日は我が身と考える彼らにしてみれば、下界で発散してくれるのであれば万々歳なのだ。
「泉沈、それは君が一番知っているだろうに……」
……いや、知っているからこそか。
四霊の役目を終わらせるついでに大嫌いな猫族と人間を殲滅せしめて憎悪を晴らしたいのだ。
泉沈はもう《彼ら》のことも覚えていない。
ただただ、自分の境遇に底知れぬ怒りを持ち、晴らし切れぬ憎悪に苦しんでいる。
思い出した時、泉沈はもっともっと、憎悪を膨らませることだろう。
「雪蘭……犀煉を救った時のように、泉沈があの時あなたに心を開いていたとしたら、こんなことにはならなかったのかもしれませんね」
天を仰いで悲しげな微笑みを浮かべ、彼は吐息を漏らした。
‡‡‡
――――わたしのお父さんが公孫賛様だったって、本当?
幽谷は言葉を失った。
何故、彼女に知られているのか。
何故、泉沈がそれを知っていたのか!
「な、何故、それを……」
やっと出せた声が震えてしまった。
これでは誤魔化しが利かない。
関羽は幽谷の反応に漆黒の瞳を揺らした。
「…………本当、なのね。どうして、それを黙っていたの?」
幽谷は口を閉じ、開く。
「……申し訳ありません」
それだけしか、出てこなかった。
理由を言えば彼女も少しは理解してくれたかもしれない。
けれども、幽谷には謝る以外に言葉が浮かばなかったのだ。
関羽の目の色が変わったのに、すぐに分かった。
黒に込められた色が胸に、突き刺さる。
「……泉沈が、言っていたの。幽谷はわたしが重荷になっているって。本当はどうでも良くて、だからわたしのお父さんのことも言わなかったんだって」
曹操もずっと猫族のことをわたしに黙っていた。
幽谷も、話してくれなかった。
段々と弱くなっていく彼女の声に、全身がさっと冷えていくのが分かった。
「もう、わたし……信じるって何なのか、分からなくなってきたかもしれない」
「関羽さ――――」
「ようやく見つけた!!」
幽谷の言葉を遮ったのは曹操の焦りを帯びた声であった。
揃って振り向けば、幽谷の前を遮るように、青毛の馬を関羽の馬の横に付けた彼は憔悴しきった顔で関羽の身体を抱き寄せる。
幽谷は瞠目した。
周囲の兵達もざわめく。
「曹操様が十三支の娘と……一体どういうことだ!?」
「見ろ、あれは曹操ではないか? こんな戦場で何をしているんだ!?」
周囲の様子など見えていない彼は、声を荒げて関羽を叱咤する。必死に言葉を募らせる彼の髪を、乾いた風が踊らせ――――。
直後である。
「あ……!?」
見えた。
曹操の、髪に隠された《その部分》が。
一瞬であったことと、位置的なこともあって幽谷にだけ見えただろうそれに、愕然と立ち尽くした。
「……無、い……?」
人間ならば、顔の側面になる筈の《それ》が、無かったのだ。
まるで最初から、備わっていなかったかのように。
理解した途端、幽谷の中で、何かが音を立ててしっかりとはまった。
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