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「――――そ、それよりも張飛! 趙雲! どうしてあなたたちがここにいるの!?」


 犀華について話をしないように、関羽は話を本題に逸らした。
 すると、張飛ははっとしたような顔になって、関羽達に詰め寄るように近付いた。

 犀華がうっとなってまた関羽の後ろに隠れた。


「姉貴こそ一体どうしちまったんだよぉ!」


 本題に戻ったことで、張飛の感情もぶり返したのだろう。
 みるみる涙目になって、怒鳴っているのか縋っているのか分からない調子で声を張り上げた。


「オ、オレ、オレ、姉貴が消えちまってもう、どうしたらいいか……うわーん!」


 ……嗚呼、泣いた。


「……男が戦場で泣くんじゃないわよ」


 犀華は呆れてぼそりと呟く。が、それでも関羽の後ろから出ようとはしない。身長の差であまり意味が無いのに、ずっと関羽を盾にするつもりのようだ。

 関羽は張飛の肩に手を置いて申し訳無さそうに眦を下げた。
 心から謝罪をすると、趙雲が軽く手を上げて二人の会話を断ち、関羽を呼ぶ。


「お前との折角の再会をもっと噛締めたいところだが、急ぎこれだけは伝えねばならない」


 張飛を宥める手を止めた関羽は怪訝そうに眉根を寄せて、真摯な顔した趙雲を見上げた。

 犀華がそっと関羽から離れ、さっきから怪訝そうに、そして不満そうに様子を眺めている夏侯淵から半歩離れた場所に退がった。腕組みして無表情に見守る姿は、一見幽谷にも見える。

 趙雲は一瞬だけ犀華を目で追った後、すっと強く関羽を見据えた。


「徐州でお前と別れてから俺と蘇双は徐州を出たんだ。劉備殿や泉沈と合流したのはその後だ」

「徐州を出たって……どうして? それに劉備が徐州の外にいたって、どういうこと?」

「劉備殿がどうやって徐州の外に出たのかは分からない。だが、俺たちが徐州を出たのは、」


 曹操が俺たちを殺そうとしたから。
 そう言われて、関羽は愕然とした。
 曹操が……趙雲達を!?

 顎を落とす彼女に、趙雲は言葉を続ける。


「曹操が俺たちを殺したい理由はわからない。だが、殺そうとしたことだけは確かだ……」

「そんな……」

「はっ! お前らのような下民を曹操様が――――いてっ!!」


 言葉半ばで犀華が脇腹を殴る。


「何をするんだ!?」

「ちょっとあんた黙ってなさいよ。今まで空気だったんだから、このままもう暫く空気になってたって問題無いでしょ」

「問題大有り――――って!!」

「だから、あんたは黙ってなさいってば」


 今度は足を踏みつけられた。
 きっと睨むが、犀華がすっと匕首を持って切っ先を向けると舌打ちして口を閉じる。

 趙雲は二人が静まったのを見ると三度口を開いた。


「関羽、曹操が何を考えているかわからないが、お前達をこのまま曹操の元には返せない!」

「何言ってんだよ! んなの当たり前だろ! 姉貴と……ええーっと、さいか、だっけ? 早くこっちこいよ!」


 張飛の言葉に犀華は瞠目する。自分も言われるとは思わなかったのか、疑うように張飛を見、己を指差した。


「え……あたしも含まれるの?」

「だってオメー、幽谷の中にいんだろ? んじゃ一緒に来りゃ良いじゃん」


 あっけらかんとした態度である。特に犀華に対して何かを思っているような様子は見受けられない。関羽達と違って、彼は幽谷の偽者だとも思っていないのだ。平然と、幽谷の中にいるのだと犀華(じじつ)を受け入れていた。

 犀華はぐにゃりと顔をしかめる。困惑するように唇を曲げて張飛から少しだけ視線を逸らした。


「……何か調子狂うわ、そういう態度」

「え、何で?」

「別に。あんたには関係無いわよ。……で、あなたはどうするの?」


 話を振り、意思を訊ねる。
 関羽はすぐには言葉を返さなかった。

 ややあって返答を促すも、関羽はそれでも逡巡する。


「それはいい話だ。貴様らがいなくなれば清々する」


 このまま猫族のもとに戻れば劉備や他の仲間達に会える。
 けれども、でも……。


『関羽、これだけはわかって欲しい。お前の傍にいるべきなのは十三支たちではなく私だということを……』

『私はお前の傍にいる。だからお前も、決して私から離れないでくれ』



 関羽の脳裏に反響するのは曹操の縋るような声。
 まるで置いてけぼりにされた子供のような、放ってはおけない彼の顔。
 まだ曹操と話が出来ていない。どうして猫族のことを黙って、この戦で戦おうとしているのか、聞いていない。

 彼が何を思っているのか、分からないままに皆のもとに戻って良いの……?

 自身に問いかけて胸の上に拳を置いた。

 そんな関羽に、趙雲は手を伸ばす。


「さぁ、行こう。皆お前達を待ってる。劉備殿も蘇双も、世平殿も」

「劉備! みんな……、でも、でも……」


 関羽は迷う。

 どうすれば良いのか、どうすべきなのか。
 曹操と、猫族と。
 どちらも取りたいのに現実はそれを許さない。

 ぐらりぐらりと関羽の中の天秤はどちらにも傾かずに揺らぐのみ。

 趙雲の手を凝視したまま「でも」を繰り返した関羽を、まるで咎めるように戦場に銅鑼の音が響いた。

 ぎょっと夏侯淵が本陣の方向へ首を向ける。愕然とした表情の彼は信じられないと言わんばかりに声を震わせた。


「こ、これは、撤退の合図!? 一体どうしたというのだ! 曹操様に何かあったのか!?」

「曹操に!? そ、そんな……!」


 その時、彼女の天秤はぐんと曹操に傾いた。


「趙雲、張飛、ごめんなさい! わたしやっぱり、曹操と話をしないと。ちゃんと話をしないといけないの。必ずまた会いに行くから! みんなに会いに行くから……だから、今は戻るわ……!」


 謝罪を置いて、彼女は身を翻した。馬に飛び乗って走らせた。


「待て!!」

「姉貴!!」


 二人が呼び止めるも、彼女は止まらない。
 犀華は、怪訝そうに趙雲達と関羽の後ろ姿を見比べて、首を傾げた。

 しかしどんどん離れていく彼女にはっとして駆け出す。

 後ろで、呼び慣れないのか拙く犀華を呼ぶ張飛に、ほんの少しだけ胸が擽ったくなった。



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