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関羽達が天幕から出てきた時、曹操と夏候惇の姿は無かった。董卓と話をしているのかまだ、中にいるらしい。
謁見を終えた張飛は、雰囲気だけでも分かる程に憤っていた。何があったかなどは容易に予想ができたので、何も問わずにおいた。
ただ一つ、見知らぬ気配が一つだけあるのが気にかかった。
蘇双を呼び、その旨について訊けば、董卓に猫族を任された軍師だという。
「ここから十里ほど行った所に桑木村という村がある。そこの警備がお前たちの仕事だ」
ぞんざいな口調には、彼の感情がありありと浮かんでいる。彼も猫族が嫌いで、この場で同じ空気を吸うのも厭(いと)っているのだ。
「警備ぃ? なんだ、その仕事は」
「口答えをするな! 仕事がもらえるだけありがたいと思え!」
唾が飛んできそうな勢いである。
幽谷は目隠しの下で片目を眇めた。
「桑木村は此度の戦場の後方にあたる村。黄巾賊が後方から攻めて来た場合にはこの村を通ることになるだろう。あの野盗どもにそのような策が思い浮かぶとも思えんが、挟み撃ちの可能性がないわけではない。お前たちは万が一に備えてここで黄巾賊を足止め出来るよう控えているのだ!」
「その村は戦場じゃねーってことか? でもオレたち、黄巾賊ってヤツらを倒しに来たんだよな?」
彼はただ、『卑しい十三支』を遠ざけたいだけだ。
露骨すぎる理不尽な謂(い)われと嫌悪に、関羽らはどれだけ傷ついただろう。
――――全員を殺す。
一瞬、脳裏にちらりとそんな言葉が浮かび上がった。
だがすぐに消し去る。安易には実行できない。
それにしても、わざわざ戦場の後方での警備をしろとは……とんだ展開である。
自分達は黄巾賊を殲滅させる為に曹操に連れてこられたというのに。
「わかったらさっさと行ってこい! これ以上私の手を煩わせるな。私はもう行くぞ!」
不意に動き出した男。その足音は足早に立ち去っていった。
蘇双が溜息をついた。
「体よく厄介払いしたいってところだね」
「ああ……多分そんなところだろうな」
「仕方ないわね。とりあえず行きましょう。その桑木村という所に」
「御意のままに」
ならば、他の方々にも話をしなければならない。その前にもは、準備も。
「関羽様、皆様。猫族の皆様には私から話をしておきましょう。その間、準備をして下さいませ」
「ボクも行く。幽谷、一人じゃ歩けないだろ」
「ぼくも行くー!」
「ご迷惑をおかけします」
一礼すると、劉備が手を握ってきた。
世平や関羽から重ね重ね注意されてから、三人は他の猫族がいる陣の隅に向かった。
「本当……不便だって感じるくらいならそんな条件飲まなくて良かったのに。劉備様、そこに大きな石があります」
「うん! 幽谷、こっち」
劉備が右に回り込む。
「ありがとうございます。ですが蘇双様、曹操殿の軍が出してもらえなくなってしまえば証明する場が無くなってしまいます。認めたくないかと存じますが、私達は私軍ではありながら、実質曹操殿の傘下です」
「そんなの関係ないよ。ボクたちはボクたちだけで動く。四凶も猫族も、曹操が無理やり連れてきたんだから、結果あいつがどうなろうと知ったことじゃないね。ボクたちがここにいるのは勝手な要らない誤解を解くからであって、曹操の意思に従ってる訳じゃない」
これは何も蘇双だけの意見ではない。
猫族の総意だろう。
勿論幽谷もこのままで良いとは思っていない。こんな差別意識の高い世界に猫族の皆を置いてはならない。
一番手っ取り早く済むのはやはり――――、
「曹操軍を全て……か」
「……ねえ、関羽も言ってたけど、何ですぐに自分が全て殺そうとかって思う訳? 幽谷、村を出てからおかしいよ」
今、蘇双は怪訝な顔をしているだろう。
幽谷は苦笑した。
「申し訳ありません。皆様に人を殺させるくらいならばいっそ自分が……と思うので。皆様が嫌がられることだとは分かっているのですが」
「分かっているのなら止めな。確かにボクたちは人を殺したことが無い。でもここに来ることを決めたのはボクたちだ。それについてきた幽谷がボクたちに気を遣う必要は無いんだ」
蘇双は最後まで四凶の幽谷を警戒していた人物だ。されど今は、こうして案じてくれている。それが幽谷にはとても嬉しかった。
猫族は優しい。
だからこそ、穢れは自分が負い、彼らを守らなければならない。
「……いえ。そればかりはなりません。私は皆様を守るのが役目にございますから」
間違ったことは言ってはいない。いないのだが……何故か思い溜息をつかれた。
「……頭が堅すぎる。よくそれで、暗殺を成功させて来られたね」
「それが仕事でしたから」
それに四凶の力を以(もっ)てすれば、暗殺などとても容易いことだった。
だから柔軟な頭を持つ必要などは感じなかったし、知らなかった。
「暗殺とは、柔軟な思考が必要だったのですね」
「……知らないよ」
また溜息をつかれてしまった。
「とにかく、幽谷は人殺しだの何だの考えないで。幽谷が手を汚す必要は、もう無いんだから」
「しかしそれでは……」
「良いから」
抗議の言葉は遮られてしまった。
幽谷は口を閉じつつ、眉根を寄せた。
自分から殺しを取ればどうなってしまうか。……何も無くなってしまう。ただの四凶になってしまう。
どう存在すれば良いのか、分からなくなってしまう。
「蘇双様……」
「幽谷! あそこに綺麗なお花があるよ!」
「え、あ……本当ですか?」
劉備の無邪気な声に、幽谷は少しどもりながら返した。
劉備は「こっちだよ!」と幽谷の手を引いて、彼女を導いた。
「あとで、目が見えるようになったら見せてあげる!」
「ありがとうございます。では、あとで拝見いたします」
「うん!」
きっと、劉備は愛らしい笑顔を浮かべていることだろう。
見られないことが、とても口惜しかった。
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