28
関羽は恒浪牙の言葉に従い、厩で彼を待っていた。
手こずっているのかもしれない。彼らが退出してからだいぶ経っているが、一向に現れない。
鷹揚とした部分もあるから、その所為もあるのかも……。
それとも、逸る関羽を一度落ち着かせる為にわざと遅れているのかもしれない。
恒浪牙は、とかく思考が読めぬ男だ。地仙であることも手伝って、何もかもが有り得そうで怖い。
「みんなが袁紹軍にいる、なんて」
しかもわたしと幽谷を出せって言っている。
それなのに、どうして彼は黙っていた?
どうして今まで――――自分を騙し続けていた?
また騙されただなんて。
どういう、ことなの……?
分からない。
曹操が何を考えているのか、分からない――――。
「お待たせしました」
間延びした声に意識を引き戻される。
顔を上げると、恒浪牙が関羽の得物を振りながら大股に歩いてきていた。
その後ろには、犀華がいる。
「はい、どうぞ。すみません、ちょっと準備やら何やらでもたもたしていたもので」
「準備?」
「私達も行くことになりまして」
朗らかに、恒浪牙は告げる。
関羽はえっとなって犀華を見やった。
彼女は俯いて沈黙している。
「だ、大丈夫なんですか……?」
「ええ。私、一応は戦えますし。関羽さんもご存じでしょう」
確かに、物騒極まる得物で呂布と犀煉の激闘を止めたのはまだ鮮明に記憶している。
されども問題は犀華だ。
犀華を呼ぶと、彼女は数度かぶりを振って面を上げた。
色違いの眼差しが関羽を捕らえる。
犀華とはまた違った眼差しに、関羽はほんの一瞬固まった。
「え……」
「――――早く行かなければならないのでは?」
無表情にも凛々しさが滲み出るかんばせ。
抑揚の欠けた静かな声音。
まさか……まさか!
「……幽谷……なの?」
幽谷は徐(おもむろ)に首肯した。
「今は、そうです」
「ああ……っ」
久方振りに会えた親友に、関羽は感極まった。
抱きつこうとすると、彼女はさっとかわしてしまう。
通り過ぎる間際に関羽の肩を叩いて厩番に馬の手配をした。
拒絶にも似た幽谷の行動に関羽は驚く。彼女に後ろ姿を見つめて、困惑に瞳を揺らした。
それを、恒浪牙が苦笑混じりに補足する。
「私が術で無理矢理目覚めさせたので、強い衝撃を与えてしまうとまた戻ってしまうのです。……後で、犀華殿にお礼を言って下さいね。彼女が、私に頼まれたのですから」
「……犀華が?」
彼は微笑んで頷いた。
「あの子は、とても優しい子なのですよ」
そう言い置いて、一人で馬に乗ろうとする幽谷を止めに行く。
幽谷の動きは、確かに何処か鈍かった。足下もふらついている。
犀華が、恒浪牙に頼んで替わったなんて……。
彼女はあの軍議でキツい口調で関羽を止めた。けれどもあれは自分を心配してくれてのことだったと、今では分かる。だって、風邪で倒れた自分を看病してくれたのだもの。
でもまさか、幽谷に替わろうとまでするなんて。
そう思うと関羽の胸に深い罪悪感が生まれる。
幽谷と間違えたりして、傷つけただろうに……どうして、と心の中で幽谷の中に眠っているであろう犀華に問いかける。
しゅんと眦を下げた関羽を、恒浪牙が呼んだ。
「ごめんなさいよりもありがとうの方が、犀華殿は喜ぶと思いますよ」
「……はい」
恒浪牙は幽谷と相乗りし、額を押さえて何かを堪える彼女を支えた。
‡‡‡
――――戦場。
犀煉は泉沈と対峙していた。
周囲に《生きた》兵士は一人もいない。
乾燥した地面を埋め尽くさんばかりの屍、屍、屍。
敵も味方も、その一帯の兵士は彼らによって死に絶えていた。
喧噪は遙か遠く。
凶兆たる四凶が二人もいる上に、かような惨劇を作り出したのだ。誰も好んで近付くまい。
泉沈は目の前に転がる死体を蹴飛ばし、忌々しそうに犀煉を睥睨した。
「何で君がそっちにいるのさ」
「恒浪牙に聞け」
「あのクソ野郎……」
憎らしげに悪口を垂れる。恒浪牙嫌いは相変わらずだ。
犀煉は細く吐息を漏らし、匕首を構えた。
「何、やるの?」
「そうだな。安心しろ、望み通り殺してやる、そうなればお前も楽になれるだろう」
「何それ、超ウザいんだけど。つか、誰もあんたのに殺して欲しいなんて言ってないし、頼んでないし。マジ死ね」
泉沈の身体は不死。
が、殺す方法が無い訳ではなかった。
要は再生が追いつかない程の状態にすれば良いのだ。
肉も骨も、一欠片も残さぬように殺せば、不死であろうと再生は出来ぬ。
犀煉には、それが可能であった。
だが泉沈だって、それは不可能ではない筈なのだ。
それを知っていながらに彼は自害をしない。
――――臆病者だから。
臆病者の彼は、こうして他者を使うことで消えたいと願う。
臆病者故に、永(なが)い時を生きざるを得なかった。
哀れだとは思わない。
むしろ迷惑だと思う。
これ以上彼の狂気を見るのにも、巻き込まれるのにも、犀煉は辟易していた。
身構える泉沈に犀煉はほうと吐息を漏らして駆け出す。
泉沈に肉迫して匕首で斬りつけた。
小柄な彼は動きだけはやたら俊敏だ。本気でなかったのもあるが、軽々と避けられた。
「うぅわっ、ばっかじゃないの? 誰が君の相手をするって言った? 僕は君とじゃれる暇は無いんだ。妙幻を起こしてやらないと。全てが終わらない」
「自分で蒔いた種だろうが」
「僕じゃない。金眼が目覚めたのはアイツの勝手だ。四霊の使命を追加したのも仙人共のずぼらだ。僕は悪くないね」
「……」
泉沈は犀煉に背中を向けるとひゅっと姿を掻き消す。
……子供だ。
本当に、昔から精神は幼いままだ。
《あの時》に素直に時を進めていれば、今頃少しは変わっていただろうに……。
一瞬だけ遠くを見た犀煉は、零れ出す嘆息を止めることは出来なかった。
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