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『戦に出ることになった』


 犀華の部屋を訪れるなり、犀煉は言った。

 途端に胸をきゅうっと締め付けられるような感覚に襲われた。
 この感覚には覚えがある。

 まだ犀家にいた頃、任務に出かける犀煉を部屋の中から見送る時のものだ。
 犀煉は、犀華の力に頼らない。それが犀華には心苦しかった。だって犀華の力を使わないと、無事に帰ってくるか分からないのだ。

 犀華の力を借りた者達は必ず任務を成功させて生還する。
 だからこそ、犀華の力は重宝された。
 犀華自身それが犀家に於ける自分の存在意義だと自覚していたので、表立って嫌がりはしなかった。ただただ人形のように、言われるままに力を使っていた。

 けれども、犀煉だけは、犀華に力を求めない。
 けれども、犀煉にだけは、犀華自ら使うことを願う。

 犀煉はただただ犀華の身体を案じるのみ。
 犀華が一番に、元気な姿で帰ってきて欲しいと願うのは犀煉だけなのに、どうしても彼だけは、犀華の力で《見よう》とも、《決めよう》しないのだ。

 戦に出ると告げた後に、彼は犀華の心中を察したように『必要無い』と付け加えた。
 それが犀華の胸を更に締め付けるとは知りもせずに――――。



‡‡‡




 何で僕まで出なくてはいけないんだ。
 ささぐれ立つ心中に舌打ちし泉沈の間近に迫った曹操軍兵士をにべもなく切り捨てた。
 泉沈の身体より出した双剣は、如何な業物(わざもの)よりも優れた切れ味を備えていた。敵兵の鎧だけでなく、大岩すらも容易く切断する。


「せやああああ!!!!」

「うおりゃああ!!」


 後方で趙雲と張飛の雄叫びと、曹操軍兵士の悲鳴が聞こえてくる。
 圧倒的な兵の数に趙雲や猫族の活躍もあって、今のところ優勢であった。

 猫族達の気迫に圧されて逃げようと泉沈の脇を走っていく敵兵の肩を掴んだのは関定だ。彼は足が速いからすぐに追いつける。


「はい、お前はちょい待った!」

「うわぁ! な、なんだお前たち!?」


 関定に引き戻された兵士は狼狽しつつ、彼らの膂力(りょりょく)を恐れて大人しく従う。
 同様に、張飛も別の兵士を捕らえていた。


「ちょっち聞きてーんだけど、オマエらんとこにオレらみたいな猫族の女の子っていねー?」

「あと、四凶の女性ね」

「か、関羽殿達のことか!?」


 彼らは顔を見合わせた。


「やっぱいんのかよ! ちょ、その子達戦場に出せって曹操に言っといてくんね? じゃねぇと、お前んとこの軍全滅させちまうよってな」

「……わ、わかった!!」


 張飛達が解放すると、兵士達は顔を見合わせてばたばたと慌ただしく陣へと戻っていった。
 それを見送りつつ、泉沈は舌打ちする。

 幽谷が曹操軍にいる。
 だが、恐らくはその側に恒浪牙や犀煉もいるだろう。
 彼女のもとに行きたいが、犀煉と恒浪牙の二人を相手にするのは骨が折れるどころか……まず相手にもされないだろう。

 居場所は分かっているのに、強攻策には出れない歯痒さで苛々も募る。

 八つ当たりのように多くの敵兵の心臓めがけて、片方の剣を投げつけた。
 それは寸分違わず胸の中央を貫いた。

 悲鳴が上がる。

 猫族が遠巻きに泉沈を見ているのが分かった。
 蘇双から徐州での話を聞いてから、彼らは不審の目で泉沈を見、距離を置くようになった。

 泉沈も無駄に構われないので放置している。
 だが――――。


「泉沈、あまり離れない方が良い」


 後ろから頭を撫でられて即座に払い退ける。
 世平が渋面を作って払われた手を下げた。

 劉備を除いた猫族の中で唯一、今まで通りに振る舞う彼。
 趙雲と同様、戦場でもよく泉沈の側にいるようになってしまった。
 うざったくて仕方がないのに、どんなに冷たくあしらおうとも無理だった。

 猫族は嫌いだ。
 人間も嫌いだ。

 早く、消えてしまいたい。
 そうすれば何もかも楽になれるのに。
 何も考えずに済むし、頭に中によぎる意味の分からない情景に悩まされることも無くなる。

 泉沈は世平を睨みつけると、心臓を貫かれて絶命した敵兵のもとに駆け寄った。ずぶりと剣を引き抜く。
 そのまま先に進んでさっさと終わらせようと足を踏み出した――――まさにその一瞬。


「泉沈!!」


 趙雲が鋭く叫んだ。

 直後、左のこめかみに何かが突き刺さる。
 泉沈はそこで足を止めた。
 無言で不快な異物感を催させるそれを握り、引き抜く。ぶしゃっと赤い液体が噴き出た。

 それは一本の矢だった。
 左の方を見やれば、泉沈の様子に愕然と立ち尽くす敵の弓兵。
 周囲を見渡せば敵味方関係無く泉沈に恐怖の眼差しを向けている。

 もう一度、弓兵に視線を戻せば丁度逃げ出していたところで。
 泉沈は己の血の付着した鏃(やじり)をそっと撫でると何事か呟き、ひゅっとその弓兵に投擲(とうてき)した。


「ばいばい」


 それは、弓兵の方に突き刺さった。
 呻いてよろめいたのは一瞬。


 刹那に、彼の身体は破裂した。


 そこからは敵味方の阿鼻叫喚である。
 《四凶》から逃げようと、一斉に逃げ出していく。

 泉沈はそれを興味無さそうに一瞥し、止め処無く血を流すこめかみの穴に触れた。
 頭蓋も、脳もやられているだろうに、泉沈の意識はしっかりとしている。痛みも無い。


「これが、無ければ」


 他の四霊達と同じく自害出来たのに。
 泉沈と他の四霊達の大きな違いはこれだ。
 そしてこれが、最も彼を苦しめる要因でもある。


 どんなに消滅を望んでも、彼の身体は僅かでも肉片が残る限り絶対に死なないのだ。



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