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――――事態は急変する。

 袁紹軍が白馬県へと進軍を開始したのである。
 これを機に曹操軍もこれに応戦。
 後の世に言う、白馬の戦いである。

 この戦の開始により、曹操の拠点である兌州にも毎日領地内にいる確証が曹操の元を訪れ軍議をしていく慌ただしい日々が始まった。




‡‡‡




「……あんた、何やってんのよ」


 犀華は呆れた風情で片眉を上げた。

 関羽はうっとなって足を止め、犀華に向き直る。
 それから周囲の様子を窺って彼女の腕を引き物影に隠れた。


「……何で、あたしまで隠れなくちゃいけないのよ」

「ご、ごめんなさい……」

「何処かに行くつもりなの? あの部屋から出てはいけないんでしょう」


 関羽は言いにくそうに視線をさまよわせた後、慌ただしい城内がどうしても気になって部屋を抜け出してきたのだそうだ。
 ……曹操に見つかれば叱られる程度じゃ済まないと思うけど、と言えば彼女は青ざめつつ、それでも確かめたいと物影を出る。

 小走りに廊下を歩いていく彼女に、犀華は顔をしかめた。
 鬱陶しそうに髪を掻き上げて彼女の後を追いかけた。

 関羽と一緒にいれば自分の命が危ういとは十分に分かっている。
 けども、どうも彼女は放っておけないのだ。幽谷の影響かもしれない。
 犀煉には関羽に関わってはいけないと言われているが、どうしても気になってしまうのだった。


「関羽殿じゃないですか!」


 犀華が追いついた時、関羽は第三部隊の兵士に捕まって弁明をしていた。確か、自分にも話しかけてきた兵士だった筈。朧気ながらに覚えていない。


「どうされたんですか?」

「あ、あなたは」


 そこでようやっと気が付いたらしい関羽は驚き、ほっと安堵した。
 笑みを浮かべる関羽に、兵士は悲しげに微笑んだ。


「お久しぶりです。あなたが第三部隊の将を辞められて以来ですね……。突然辞められてしまって、俺たちとても悲しかったです。犀華殿も、以前に比べて顔色が良くなられたみたいですね。良かったです」


 関羽の後ろに立った犀華にも話が振られ、彼女は戸惑って顔を逸らした。

 それを誤魔化すように、関羽が謝罪する。


「ごめんなさいね……、みんなにお別れも言えなくて。ここで会うなんて珍しいわね。何をしているの?」


 そこで、兵士はきゅっと表情を引き締める。
 そして――――袁紹軍が攻めてきたのだと告げた。

 関羽は息を呑み、眼差しを鋭利に細めた。


「戦況はどうなの? やはり顔良、文醜の二虎将軍相手に苦戦しているの?」

「それが、それだけじゃないんです……。実は袁紹と袁術が手を組んだんです」

「袁紹と袁術が!?」

「そのせいか、最近の袁紹軍には優秀な武将や兵が入ったようで。顔良、文醜が出ていない戦いでも、かなりの苦戦を強いられています」


 関羽は柳眉を顰めた。
 二虎将軍と言われるからには相当な手練れなのだろう。
 それらの存在無しに手こずるならば、彼らが出た時――――。

 兄様達も出されてしまうのかしら。
 そして、幽谷だと思われている自分も。

 幽谷は強い。
 だが自分は人を殺したことも無く、戦場に出てしまえば完全に足手まといだ。
 負傷した兵士を助けようと大男と対峙していた関羽を助けた時だって、殺さないつもりで介入したのだったし……。


「……」

「関羽殿?」

「……あ、いえ、何でもないわ。聞かせてくれてありがとう」

「いえ……あ、」


 関羽は兵士への挨拶もぞんざいに、不意に駆け出した。


「ああもう……!」


 犀華は兵士に拱手すると急いで彼女を追いかけた。

 彼女の行く先は恐らく曹操のもとだ。
 自分も参加するつもりなのだろうか。

――――十三支なのに、どうして?

 曹操の為?
 彼は人間なのだろう?
 十三支は人間に疎まれている。
 だのに……。


『お前が心配する必要はない』


 不意に部屋の中から聞こえた声に犀華は足を止めた。
 はっと壁に背中を付けて気配を殺す。


『夏侯惇と夏侯淵が出ているのだ。必ずや勝利を収めてくれるだろう。お前は私と共にここで吉報を待っていればよい』


 ざわり。
 胸がざわめく。
 幽谷が、だ。

 幽谷はいやに夏侯惇に反応する。

 本人は恒浪牙によって作られた人格の感情に引きずられていると思っているそれは――――それは自分が犀煉を想うこの気持ちと同種のものだ。
 引きずられているから、押し殺そうとする。
 犀華がいるからじゃない。
 《幽谷》の感情ではないのだと分かっているから押し殺そうとするのだ。

 犀華にはその感情を生み出した人格の記憶だけは幽谷の記憶以上に朧だった。理由は分からない。幽谷が推測するにはこの頃の魂は非常に不安定だから、記憶を共有することは出来なかったのかもしれない、と。

 幽谷も犀華のように、その人格の記憶を受け継がなければ良かったのに。
 心の中で独白したその直後に、関羽は部屋から出てきた。
 彼女が犀華の名前を呼ぼうとしたのに慌てて口の前で人差し指を立てた。

 それからくるりときびすを返して足早に曹操の部屋を離れた。

 今度は関羽が犀華を追いかける番だ。


「気は済んだならさっさと部屋に戻りなさい。良いわね」

「で、でも」

「良いわね?」

「う……はい」


 戦が気になってしまうのだろう。
 漫(そぞ)ろな関羽に犀華は彼女の頭をそっと撫でて部屋に戻るようにキツく言い聞かせると、足早に自室へと戻っていった。

 関羽は犀華に撫でられた頭に触れると、眉を下げて目を伏せた。


「幽谷……」



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