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泉沈は苛立ちも露わに顔を歪めていた。
彼の手を引くのは趙雲だ。人間の城なんか歩きたくもないと、住み始めた城から出ようとすると、抵抗すると、趙雲が手を掴んで無理矢理に引き込んだのだった。勿論星河も一緒に。
彼らはあれから、兵士達の後を追って冀州を治める袁紹の居城を訪れた。
すると、逃げ帰った兵士達から話があったのだろう、門番が通達に向かえばすぐに袁紹自ら出迎えた。人の良さが滲み出た朗らかな笑みを浮かべて丁重に。
泉沈以外袁紹の意図が分からなかった。
だが、泉沈は漠然と察している。
自分とこの袁紹は同類だ。
彼の姿を視界に収める都度、ぞわぞわと全身を駆け巡る厭悪。同族嫌悪だった。
ただでさえ劉備と一緒にいたくないというのに、そんな男と一つ屋根の下という事実も非常に受け入れがたい。
趙雲は最初から泉沈の心情を幾らか察していたようで――――そこにどんな感情を抱いたかは分からないけれど――――安静にしている劉備の代わりにと頻繁に彼の側にいるようになった。しかも、自分の仕事にまで付き合わせるのでいやが上にも袁紹と接することになる。袁紹も、彼のお人好しもウザくてウザくて堪らない。
「袁術! まさか君をこうして我が軍に迎え入れる日が来るとは、思ってもみませんでしたよ」
「不本意だけどな。呂布にあそこまで国をボロボロにされちまったらしかたねぇ」
両腕を広げて、声を弾ませる袁紹に袁術は唾棄する。
趙雲に手を引かれて至った場所は謁見の間だった。
袁紹の裏を示すかのような薄暗く重苦しい空気の充満したその広間には嬉しげな微笑みを浮かべる袁紹と、忌々しそうに対峙する青年の姿がある。趙雲が、袁術だと耳打ちした。必要も無いことをするからウザい。
趙雲と共に部屋の隅に立たされた。舌打ちすれば咎められた。星河が足にすり寄った。
「家臣や民を見捨てるぐれぇなら、袁紹、お前にだって頭下げてやる」
頭を下げるという割には随分と尊大な態度だ。
けれども袁紹は表では気にした風も無く、目元を和ませる。
「袁術、君はなんて素晴らしい主君でしょう。君の残りの軍と僕の軍を合わせ、曹操との決着をつけましょう」
少しだけ笑った袁紹がこちらを振り返る。
目を合わせたくなくて泉沈はさっと趙雲の背後に隠れ背を向けた。
「実は僕のところにあの趙雲がやってきたんですよ。北平の勇将、公孫賛の右腕だった男です」
趙雲は無言で拱手する。
袁術は瞠目した。
「あの趙雲か!? 袁紹、それはいい拾いモンをしたな」
「趙雲といい君といい、最近の僕はついているようですね。これで曹操も恐れることはない」
袁紹は機嫌が良い。頗(すこぶ)る良い。
それに吐き気しか覚えない泉沈はうえっと趙雲の後ろでえずく。
「袁紹、実は最近俺様もちょっとした拾いモンしたんだ」
「何ですか?」
「ああ、そろそろ来る頃だ」
袁術は口端をつり上げ、両扉を振り返った。
すると、時同じくして扉がゆっくりと開かれる。
兵士だ。疲弊しきった彼はしかし、粛々とした態度で袁術達に頭を下げた。
その後ろに見たのは――――猫族。
泉沈はまた舌を打った。
何でここに集中するかな。
「張飛!? 関定!!」
趙雲がそこで声を張り上げた。
ああ、やっぱりそうなるか。
「あぁ!? 趙雲じゃねーか! んで、こんなトコいんだー!」
「マ、マジかよ! 趙雲、会いたかったぜぇ!」
趙雲に飛びつくような勢いで駆け寄ってきた彼らは、当然ながら泉沈にも気付いた。
「泉沈も!? うわー、無事だったんだなー! 星河も久し振り!」
泉沈はふいっと顔を逸らし、代わりに星河が尻尾を振って吠える。
彼の様子に訝る彼らの向こう側で、袁紹が声を上げた。
「十三支じゃないですか!? 袁術、彼らを一体どうしたのですか?」
「呂布に敗れて放浪してた時に拾ったんだ。なんでも奴らがいた徐州も呂布にやられたとかでよ」
ちらりと袁術に視線をやったところ、目が合って目を瞠られた。十三支で四凶と言うのは、本当に珍しいのだろう。
「徐州を呂布に占領された俺たちは、援軍を求めるため一旦徐州を出たんだ」
袁術の言葉に遅れてやってきた世平が同意するように頷いた。趙雲がいつまで経っても背後から出てこなかった泉沈を前にやると、その頭にぽんと手を置いた。拒んでも拒んでも無駄だった。
「趙雲、泉沈。お互い色々あったみてぇだな。しかし、生きてて何よりだ」
「……そのままくたばってりゃ良いものを」
忌々しく呟いた泉沈に世平がえっとなって視線を落とす。
その彼の手を強引に剥がした彼は星河を呼んで駆け出した。
趙雲の制止の言葉も、張飛達の疑問の言葉も聞かずに、泉沈の風貌に驚いた兵士を押し退け、彼は廊下を駆け抜ける。
このまま出て行こう。
このまま、城を出て幽谷を目覚めさせて――――。
どんっ。
「ぁ……っ」
「駄目だよ」
角を曲がる瞬間背中に衝撃。
強いそれに体勢を崩して倒れ込んだ彼は、はっと身を起こした。
首を巡らせるよりも早く、首筋に当てられる冷たい刃物。
「《 》、ぼくから離れることは許さない」
君には協力してもらわないといけないんだから。
全身がうち震える――――。
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