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 あの夢がどうしても、気になってしまう。
 関羽は物影に隠れつつ、城内を歩いていた。

 行く先は犀華の部屋である。
 昨夜見たあの不思議な夢のことが、起きた時から頭に残って離れなかった。
 幽谷と犀華が向き合って会話をしていた、夢。
 お茶を飲むなだとか、どちらが偽者だとか……関羽には掴みも出来ないような話だった。

 幽谷。
 犀華。
 この二人は一体何なんだろう。
 どちらがどちらの《偽者》なのか。
 どうして最近になって犀華が現れたのか――――。

 それに砂嵐のこともある。
 恒浪牙は、砂嵐は幽谷とどんな繋がりがあったというのか。
 泉沈が砂嵐に向かって『そこにいたんだ、お姉さん』と言って、彼女を殺してしまった。

 まるで砂嵐の中に幽谷がいたかのような言い方ではないか。

 恒浪牙に訊ねたところで答えてはくれまい。きっと上手くかわされてしまうに決まっている。
 それに、今は運が良かっただけで、そう簡単に部屋を抜け出すことなど出来はしない。曹操が、がんとしてそれを許してくれないのだから。
 犀華の様子を訊ねると、曹操は露骨に嫌な顔をする。ままに、憎悪に似た光が黒の瞳に走ることもある。幽谷の話なんて御法度だ。

 今のことだって、彼に見つかったらどんな雷が落とされるか……。
 出来れば部屋に帰るまで見つからなければ良いんだけど。
 関羽は周囲の様子を逐一窺いながら廊下を進んだ。

 けれども……。


「おや〜、関羽さん。ここにいるということは、曹操殿からお許しをいただけたんですか」

「……!!」


 びくっと身体が跳ねると同時に耳が立つ。
 壁に背中をべったりと付けて関羽は首を左右に繰り返し動かした。

 すると、左にきょとんと緩く瞬く恒浪牙の姿が。関羽に話しかけてきたのは彼だったようだ。

 曹操でなかったことに安堵し、彼女は胸を撫で下ろした。


「こ、恒浪牙さん……」

「おやおや……その様子では曹操殿に黙って出てきてしまったのですか」


 「いけませんねえ」などと間延びした声で咎めてくる彼に、関羽は小さく謝罪する。


「怒られてしまうじゃないですか。早く部屋にお戻りなさいな」


 関羽の頭を撫で、彼は柔和に微笑んだ。
 けれども関羽はその言葉を拒絶する。


「あの、わたし犀華のところに行きたいの。気になる夢を見たから、ちょっと様子を見たいのだけど……」

「犀華殿の?」


 途端、恒浪牙の眉間に皺が寄る。
 彼は周囲の様子を一度だけ窺うと、声を潜めてその夢の内容を訊ねてきた。

 関羽も小声になって、なるべく夢の内容を手短に話した。

 恒浪牙は終始思案顔だった。
 関羽の話に口を挟むこと無く、聞き手に徹した。
 話が終わると、小さく唸って関羽の肩を叩く。


「貴重なお話感謝致します。二人の意識が夢を通じて対峙、ですか……これはまた厄介なことになりましたね。これも《彼女》の象徴が作用してしまったが故なのか……」

「え、あの……」

「……ああ、申し訳ありません。犀華殿のもとへ行きたいのでしたね。でしたら、私と共に――――」

「関羽!!」


 空気を切り裂くような声が廊下に反響する。
 その聞き覚えのある声に関羽はまたびくんと身体を震わせる。恐る恐ると言った体(てい)で振り返れば、いやに慌てた風情で曹操が走ってきていた。

 関羽は彼の形相に怯んで咄嗟に恒浪牙の背後に隠れようとし、やんわりと拒まれた。「迷惑です」とはっきりと言われた。

 曹操は関羽の双肩を掴むと前後に揺さぶった。爪が肉に食い込み、彼女は顔を歪める。


「何をしているのだ! あれ程出てはならぬと言ったではないか!! 何故私に黙って部屋を出た!?」

「あ、い、痛っ、曹操、痛い!」


 謝らなければ彼は収まらない。
 けれども肩の痛みに、口から漏れるのは抗議ばかりだ。

 見かねた恒浪牙が曹操の手にそっと己のそれを重ねて諫めた。


「曹操殿。猫族は自由の中でこそ生き生きとする一族です。ご自分の都合だけで檻に閉じ込めてしまっては、その穏やかな美しさも損なわれてしまいましょう。たまには、外を歩かせた方が、心を病むこともありますまい」

「ならぬ」

「医者として、申しておりますれば。私は、関羽様が倒れられましても、助けませんよ。こうして、一度お諫めしたのですから。私は優しく出来てはおりませぬ」


 曹操の周囲の空気が凍てついたような気がする。


「そ、曹操……」

「関羽さんは、ずっと部屋におられたので気が鬱いでしまったのですよ。たまにはお二人で散歩でもしてはどうです? それなら、あなたも問題はありませんよね」


 野生の鳥が飼われたとて長生きしないのと同じです。
 そう言って、恒浪牙は関羽の肩を抱くようにして曹操から離した。

 彼には、曹操がどんなに剣呑な気を放とうと、通用しない。


「では、私はこれにて。兵士の皆様に薬を頼まれておりまして、今から足りない分を調合しなければならないのです」


 二人に拱手(きょうしゅ)して、関羽にそっと耳打ちする。
――――曹操には決して幽谷や犀華のことを話してはならぬ、と。
 男性に接近している所為か、曹操の視線が非常に痛い。

 恒浪牙が立ち去ると、


「何故部屋を出た」


 荒げはしないものの、返答を強いるような低く強い声音に怖じ気付く。
 関羽は犀華の部屋に行くことは言わずにおいたけれど、何も話さぬ訳にはいかずに夢のことを話した。そして、じっとしているとそれが気になって、気分転換に外を歩きたかったとも。

 すると、曹操の言葉がどんどんと堅く強ばっていく。

 びくびくと曹操の様子を気遣いつつ、「部屋に戻るわ」と曹操の脇を通り過ぎた。

 が、その腕を曹操が取って引き留める。


「曹操?」

「……少し、歩けば気が済むのか」

「え?」


 先程までとは打って変わったような、何処か怯えるような、こちらを案じるような響きである。
 困惑した関羽は、ややあって首肯する。

 すると曹操は関羽の腕を掴んだまま歩き出すのだ。


「え、ちょっと、曹操?」

「少しくらいなら、暇はある」


 それはつまり、一緒に外を歩いてくれるってこと?
 関羽は困惑したまま、大人しく彼に従った。



 犀煉が曹操に直談判に訪れる僅か二日前のことである。



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