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緊迫した空気に、背筋も自然と伸びる。
心も鋭く研がれたような心地で、夏侯惇は軍議に望んでいた。
今彼のいる謁見の間には、粛然(しゅくぜん)とした文官や武官、武将達が並び、自分達をまとめ上げる若き雄を待っている。
昨夜の、幽谷のことは誰にも話していない。
思えば妙な話だ。
四凶とは汚らわしい人ならざるモノ――――それが常識であろうに、今はさほど強く厭悪しない。四凶と呼ぶことすら、心の奥では憚(はばか)る己がいるのだ。これを昔の彼が見たら、気が狂(たぶ)ったとでも言うだろう。
けれども、四霊だとか使命だとか、先の戦で自分が昏睡している間に夏侯淵が得た情報を後々聞かされてより、どうにも四凶に対する印象が薄れているのだ。
四凶とは、結局何なのか。
恒浪牙にも犀煉にも一度は投げ掛けた問いである。しかし、やんわりと、或(ある)いは冷徹にいなされた。
彼らの返答は同じであった。
『人間が知る必要の無いこと』
それは何故だ?
人間に知る由(よし)が無いとは、どのような理由からなのか。
ひょっとすると、幽谷――――否、四凶は自分達が思っているような存在ではないのかも知れない。
段々と首を擡(もた)げるのはそんな考え。
だがそうでなければ彼らは何だ?
使命とは、呂布――――そして劉備を殺すことなのか?
呂布は、何とはなしに察せられる。されど劉備を殺さなければならない理由が見つからない。十三支の長であるあの少年は、年齢よりも幼い。ただそれだけだ。
他にも、彼には秘密があるというのか……?
「兄者?」
「……っ、ああ、すまない。何だ?」
自分でも気付かぬうちに思案に没頭していた夏侯惇は、夏侯淵に怪訝そうに名を呼ばれてはっと思考を中断させた。
訝る夏侯淵は「考え事か?」と。
それに曖昧な返答を返して、夏侯惇は居住まいを正した。疑念の籠もった夏侯淵の眼差しが少し痛い。
「そう言えば、兄者。昨夜は何処に――――」
「曹操様のおいでにございます」
夏侯淵の問いは兵士の声によって断ち切られた。
途端、謁見の間の空気が更に張り詰めた。
夏侯惇も夏侯淵も顎を引き、大股に現れた己らの主を仰いだ。
臣下一同、一斉に拱手(きょうしゅ)した後、最初に言を発したのは夏侯惇であった。
「曹操様、無事呂布を討ち徐州を手に入れることが出来ました」
呂布と言う大いなる驚異が消え去った今、次は袁紹を攻めるべき。
夏侯惇の言葉に続けて武将の一人が進言した。
……されど、曹操は時期ではないと静かに切り捨てたのである。
袁紹は日増しに強く国境を脅かしている。被害も比例して増える現状を放置すれば。近々侵攻してくる可能性も十分有り得るだろう。
それは曹操とて分かっている筈。
何か考えあってのことではあろうが、どうにも解(げ)せぬ。
「被害が大きいところに、関羽殿や四凶達に出てもらったらどうでしょうか? あの部隊は機動力も高く偵察も出来ます。それにあの四凶二人も、そういったことは得手としている故」
「関羽はもう武将ではない。二度と戦場には出さない。そして、四凶達を敵対勢力のもとに向かわせる訳にはいかぬ。確かに犀煉の情報収集力は優れている。だが、そのまま袁紹に寝返り情報を漏らされては敵わんからな」
それに、あの犀華が幽谷のような働きをするとも思えぬ。
漏らされた言葉に臣下は皆目を伏せた。
今、幽谷は幽谷でない。
犀華という犀煉の妹になっている。
部屋に閉じこもって暴れ回るだけの彼女に何が出来るのかと問われれば、返答に困るだろう。
一人、夜に意識が切り替わると知っている夏侯惇だけは、唇を引き結んで床を睨む。
「しかし、関羽殿は何故?」
「将として戦いはしないということだ。あいつには将以外の役目が出来たのだ」
「十三支に一体何の役目があるというのですか?」
「十三支ではない」
ばっさりと切り捨てる。
今まで平坦であった口調が荒くなり、問いかけた武将は鼻白んで謝罪した。
夏侯惇は彼を一瞥し、
「どういう意味ですか? 人間だとでも言うのですか?」
「……十三支でも人間でもない」
「曹操様……?」
まるで独白するような響きだ。
夏侯惇は訝って隻眼を細めた。
夏侯淵と顔を見合わせるが、彼も分からぬとばかりに肩をすくめて見せた。
曹操を再び見やるが、彼の双眸は虚空を見つめ、何かを思案している様子である。時折唇が動くが、何を言っているのかは分からない。
……何かがおかしい。
曹操も、幽谷も。
あの戦から、何か色んなものが変わっているような、そんな漠然とした不安が夏侯惇の胸に痼(しこ)りを作る――――。
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