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 犀煉は一人廊下を歩いていた。
 そのかんばせには、彼にしては珍しく険しく、ささぐれだった心中がありありと浮き出ている。
 足早に向かう部屋は、この城の主の私室。

 彼には、キツく糾弾した良いことがあった。場合によれば、斬り捨てる。そうして犀華を連れてこの城を出るつもりだった。
 犀煉は目的地に至ると扉を乱暴に開け放った。

 部屋の主は寝衣姿で書簡に目を通していたところだった。
 彼は犀煉を一瞥すると書簡を机に置いた。


「珍しいな、お前が斯様(かよう)に粗雑な来訪とは」

「分かっているだろうに、白々しいな」


 苛立ちを露わに彼――――曹操を睨めつける犀煉は、懐から匕首を取り出すとその切っ先を彼の咽元へと突きつけた。
 今のは容易く避けられただろうに、彼は身動ぎ一つしなかった。静かな眼差しを向けて犀煉と対峙する。


「何用だ? 報告ならば、朝に聞いた筈だが」

「あれの食事に要らぬ物を混入させているようだな」


 曹操はふっと鼻で一笑した。


「過保護だな。幽谷の時とは大違いではないか。その理由は?」

「貴様に答える義理は無い。金輪際あれの食事に混ぜるな」

「さあ、どうだかな。そんなにあの犀華という娘が大事か?」


 犀煉は押し黙って回答を拒絶した。
 匕首を下げるとくるりと背を向けて扉に手をかける。

 扉を開けながら、彼は声をかけた。


「絶えぬならば俺はお前の血のことを話してやろう。お前の下にいる者達全てにな」


 途端、曹操は青色を変えた。

 がたんと椅子を倒して立ち上がり犀煉を睨めつける。

 何故お前が知っている――――彼の鋭利な目は犀煉を問い質(ただ)し、射抜く。

 犀煉は彼を一瞥し、「愚かだな」と唾棄するように漏らす。


「遠い昔に《切り捨てた》者が、あの混血を愛するなど。虫が良すぎる話だ」


 侮蔑しきった犀煉に、曹操は舌打ちする。これではさっきと真逆の立場ではないか。


「貴様に何が分かろうか。あれは私の同胞だ。この世界でたった二人。私と共にあることこそあるべき状態なのだ」

「この世界でたった二人だけ、か」


 犀煉は曹操を小馬鹿にする。


「この世界に混血がお前達二人だけだと、誰が言ったか。お前達の思い込みに過ぎん」

「何だと……?」

「知りたければ恒浪牙を問い質してみろ。――――運が良ければ殺されずにはぐらかされるだけだがな」


 恒浪牙なら、知っている。
 あれは永久に近い時を生きているのだから。
 勿論、特に親しくもない無用意に訊けば殺されてしまうだろう。
 彼が話す確率は非常に低い。

 曹操から目を逸らし、犀煉は部屋を出た。


「あれから手を引けば、俺は何もせん。だが、あれに危害を加えるならばそれ以上にやり返すまでだ」


 殺気を孕んだ言葉を残して。

 曹操はぎりりと歯軋りして壁を殴りつけた。


「止めるものか……! あれは関羽の傍にいてはならぬのだ。関羽は、私だけの傍にいるべき同胞……」


 憎らしげに、彼は独白した。



‡‡‡




 恒浪牙は困り果てていた。

 彼の服をしっかりと掴んで放さないのは目の前の夏侯惇の手だ。

 犀華や犀煉と共に曹操の城に住まうことになってから、夏侯惇はしつこく砂嵐について訊きたがった。
 幽谷や彼自身の為にも真実を話す訳にいかない恒浪牙は、その度に上手く逃げられていたのだけれど、今回ばかりは夏侯淵もこれに協力しており逃げられそうにもない。
 暗鬱とした心持ちで、恒浪牙は天井を仰いだ。


「今日こそ話してもらうぞ。砂嵐は、結局は何だったんだ」

「ですから、彼女は私の義妹です。血の繋がりも無い――――」

「そのような嘘通用すると思うのか!」


 夏侯惇の目は、完全に《それ》だ。
 こういう目をする人間は本当に面倒臭い。ああ、自分もこんな時期があったんだっけ。

 遠い過去に逃避しかけた恒浪牙であったがしかし、夏侯惇の厳しい尋問がそれを許さない。


「答えろ!」

「ああ、もう……!」


 何でこういう状態の人はこんなにしつこいんだ! 気になるのは分かるけれども!
 恒浪牙は頭を抱えた。

 最近何かと頭を悩ますことの多い彼は、特に今はこんなことで時間を取られている場合ではないことも手伝って、少なからず苛立ちを感じていた。
 頭を働かせて彼を誤魔化せる嘘を作り上げる。

 神妙な態度を見せて、それを語り出す。


「彼女のことも少しは考えて下さい。彼女は、戦禍で身体を酷く痛めていたのです。そこに私が新しい器を作り上げ、記憶も消し新たな人間として生かしたのです。それ以上はお話出来ません。彼女は不憫な娘です。これ以上死人を辱めることもありますまい」


 これで折れてくれ。これ以上は術を使う。術で砂嵐に関して記憶を消してしまおう。
 相手にしてられないと、夏侯惇達の様子を窺う。

 すると、夏侯惇は恒浪牙の肩をぐわしと掴んでくるのだ。
 今度は何だ!


「まさかとは思うが……その娘は全身のやけどが酷く、目が見えないのではないか?」

「え? あ、あー……確かそんな感じです」


 というか、私あなた方の相手をしている暇は無いんですよ。
 先程調合した薬を飲ませ、一日《彼女》の様子を見ていなければならぬのだ。
――――彼らの上司の所為で。

 早く解放してくれないだろうかと段々と荒れてきた心中に二人が気付く筈もなく。

 夏侯惇ははあと吐息を漏らして恒浪牙から手を離した。


「……そう、か。すまなかった」

「いいえ。では、私はこれで」


 夏侯惇の様子が少々おかしいが、関係は無しと気にも留めずに夏侯淵にも頭を下げて歩き出した。



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