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犀華は恒浪牙に手を引かれて城の中を歩いていた。
周囲の視線を誤魔化すように、恒浪牙は会話を絶やさない。他愛ない話で犀華の気を引いた。
お陰で外に出れば常に周囲を警戒してばかりの犀華もままに微笑を見せ、ちゃんと会話をしてくれる。
犀華は生来病弱で、精神的な負担から体調を崩すことも屡々(しばしば)だった。強気なのは表だけ。実際は精神は非常に弱く、ちょっとしたことで脆く崩れてしまう。遠い昔の犀煉が彼女に異常な程過保護だったのも、それ故のことだった。
出来うる限り、少しでも軽減してかなくては、鬱にもなりかねない。命を絶とうとしていたことも、この二人が犀家にいた昔は珍しくもなかった。
「先程、女官さんから大きな猪が手に入ったと聞きました。今日の夕食に出るそうですよ。犀華殿は確か、猪の肉は好きでしたね」
「はい。けど、あたしは……」
犀華はふっと表情を暗くする。
最近の彼女は食が細い。
心労故のことだとは、見るも明らかだ。
「好きな物くらいは食べた方が良いですよ。犀華殿もまだ若い。しっかり食べて、元気でいて下さらないと、老いぼれは不安で不安で仕方がありません」
「老いぼれだなんて……あなたはいつもお若いでしょうに」
「老いぼれなんですよ。こう見えても、私は相当な歳なんですからね」
おどけたように肩をすくめて恒浪牙は片目を瞑る。
犀華は苦笑を浮かべた。
しかしふと、笑みを消して何かを言おうと口を開き、すぐに閉じてしまった。
「何ですか?」
「……いいえ、何でもありません」
緩くかぶりを振って、足を止めた。
「もう疲れてしまいました。部屋で休みたいのですが、良いですか?」
「……そうですね。これだけ歩いていれば十分でしょう。また後日、お散歩をしましょうね」
恒浪牙は目を細める。
何を言いたいのかは、漠然と分かってはいた。
恐らくは犀華の中にいる《幽谷》のことだろう。
彼女自身の中で変化があったようで、ままに恒浪牙に何かを言いたそうにしては諦めたように止めてしまう。
彼女から言い出すまで待つつもりだが、危険なようなら無理にでも問い質(ただ)そうとは思っている。一応、犀煉にも幽谷についてはあまり深く追求しないように言ってある。
今の犀華が一番気にしていることは幽谷と自分の関係だ。
周囲が犀華を幽谷の偽者と言う風に捉えていることに強い反発を抱いており、無為に刺激をすれば彼女を追いつめることになる。
そこを潜在意識に突かれる可能性もあるし、何より昔彼女を診察していた医者として、守ってあげたいという気持ちもあった。
申し訳なさそうに頭を下げる犀華の頭を撫で、恒浪牙は元来た道を戻り始めた。
「もし気に病んでいることがあれば遠慮無く言って下さいね。それもまた、医者の務めですから。犀煉に言いにくいことでもありましたら、どうぞ」
「……はい。ありがとうございます。あの、一つ、良いですか?」
「何でしょうか」
一瞬、言い淀んだ犀華は躊躇いがちに関羽のことを訊ねてきた。最近彼女と会っていないからと、分かりやすい態度だ。
十三支が人間に蔑まれていることを知っているから、たとえ接することを恐れていても、心の片隅では単身この城にいる彼女がどうしても気にかかってしまうのだろう。
何だかんだ言って、彼女も随分と優しい性格をしている。
恒浪牙は犀華の様子に昔を思い出し、くすりと笑った。
けれどもすぐに表情を改めて顎に手を添えて思案した。
「関羽さんは、どうやらずっと部屋にいるようですよ。何があったのかは分かりませんが、曹操殿には彼女を出陣させるつもりはないようです。少し前に心配になって部屋を訪ねてみたのですが、まるで深窓の姫君にように扱われているような印象を受けました」
「……深窓の姫君って、つまりは飼い殺しにされているってことですか?」
「そうかもしれませんね。曹操殿は関羽さんが可愛くて仕方がないみたいですし。まあ、関羽さんもじっとしていられる方ではありませんから、実はこっそり抜け出されているのかもしれませんよ。曹操殿も、自由に生きた動物が閉じ込められた末のことなど、ちゃんと分かっておられる筈です」
犀華の表情から嫌悪を察した恒浪牙は、最後に嘘をついて軟化させようとした。
曹操が異様なのは恒浪牙も感じていたことだった。
関羽に対する執着は、恐ろしい程に強い。
関羽を軟禁状態にしたのもその感情故。
が、現状を関羽が甘んじるとは到底思えない。猫族として育った彼女は、その内恒浪牙の嘘のように曹操の手をすり抜けてしまうだろう。
自由のある愛を、関羽は望む。
自分のみを見つめる愛を曹操は望む。
曹操から関羽が離れた時、壊れてしまうのは何なのか。
その時になってみないと分からないが、幽谷や犀華だけは巻き込んで欲しくないものだ。
犀華は渋面のまま「……身分の高い人って、本当に勝手なんですね」と侮蔑の籠もった言葉を漏らした。
恒浪牙は、苦笑を浮かべ続けるしか無かった。
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