泉沈は星河を連れて森を歩いていた。

 星河は泉沈の様子から少しばかり離れて従う。
 泉沈は下邱を後にしてからずっと機嫌が悪かった。ままに八つ当たりをするように木々を殴っては折ってしまう。

 それは無理も無いことだ。
 泉沈ははこうなることを予想していなかった。
 まさか仙人共が今度はこうしろと言ってくるでもなく勝手に使命を追加するなどと、到底受け入れられるものではない。しかも、それは己のしたことによってだ。
 自分にも、仙人にも、さぞ腹立たしいことだろう。

 さすがに《彼女》に対してはまだ怒っていないだろうけれど、このままでは町一つを破壊してしまいかねない。

 泉沈の中で、もう一人の彼は危惧する。
 以前にも、激怒した泉沈が感情を町そのものにぶつけたことがある。激情に高められた四霊としての力は容赦無く家屋を焼き、砕き、人々を惨たらしい姿へと変えた。
 あの地獄絵図は今でも記憶に焼き付いてもう一人の彼の心を苛(さいな)む。

 今までのことを思えば、彼には泉沈を擁護することは出来ない。
 だが、泉沈も《被害者》だ。
 あるいは、幽谷や犀煉よりももっと、もっと哀れな子供。

 泉沈が心を病んだのは、どれくらい昔だろうか。
 猫族と人間に対して激しい憎悪を抱いたのは何がきっかけだったか。
 時が経ち過ぎて、記憶が曖昧になってしまった。
 けれどそれは泉沈も同じこと。最も危ぶまれるのは再び猫族と出会い、しかも劉の名を頂く長と顔を合わせることになった今、昔を思い出してまた激情のままに暴れ出さないかということだ。

 泉沈はあまりにも幼すぎる。それが最大の欠点。
 幼さ故に、感情を制御出来ず、また己の行動について深くを考えられない。

 四霊だからとて、ある程度までは身体は育つ。犀煉や幽谷がその証拠だ。
 泉沈が時を経ても子供のまま成長をしないのは泉沈自身が無意識の内に頑なにそれを拒むが故のことであった。
 無意識下の抑制であるから、本人は四霊として出来損ないだからと信じて疑わない。

 もし普通の子供として生まれていたならば、きっとこうはならなかっただろうに。
 もう一人の彼は、泉沈の中で目覚めてからずっと、罪悪感覚えていた。
 泉沈の人生を壊したのは自分達。けども、仙人達は誰もそれを悪いとは思っていない。

 唯一、四霊を生み出した女仙だけは、我が子のように泉沈を可愛がった。呂布に感情を破壊された彼女は、泉沈の前でだけは、正気を保っていられた。

 四霊に幸福(さき)は無い。
 役目が終われば消えるだけ。

 本心では四霊を否定しつつも、もう一人の彼はどうすることも出来ない。

 嗚呼、こんな風だから自分は妙幻や赫平(かくへい)に馬鹿にされてしまうのだ。
 泉沈の中で、もう一人の彼は独白する。



‡‡‡




 どのくらい歩いた頃だろうか。
 泉沈は唐突に足を止めた。

 舌打ちして右足を軸に身体を反転させた。

 そこには一人の少年がいる。純真を思わせるあどけない面立ちに、白を基調とした姿。銀の髪には二つ、三角形の飾りがついていた。
 その少年はふにゃりととろけるような笑みを浮かべると小走りに泉沈に駆け寄ってきた。

 泉沈はその両手に双剣を持つとその片方を少年に向けた。

 少年は足を止める。笑みを、浮かべたまま。


「何の用」


 にべもなく問いかける。

 すると、彼はしゅんと眦を下げた。


「泉沈、どこに行くの? また、いなくなっちゃうの?」


 また、舌打ち。
 金と黒の瞳を細めて、声を低くした。


「その分かり易い演技止めたら? すっごい気持ち悪いんだけど」


 その姿を見るのも、幼稚な声を聞くのも苛立たしい。
 泉沈が後ろに跳躍して双剣を構えると、少年は一瞬だけ目を見開き――――くっと口角をつり上げた。


「……何だ、分かってたんだね」

「分からないとでも思った訳? あったま悪いね、お前。って言うか何で付けてきてんの。消えろよ。目障り耳障り存在自体超うざい」


 汚いものでも見るかのような眼差しの泉沈に、しかし、彼は何故か微笑む。

 ……気味が悪い。
 この少年、目覚めてから雰囲気が気持ち悪い。
 その小さな身体から放たれる禍々しい邪気は泉沈の頭にすら浸透して侵されてしまいそうで怖い。
 自分が歪んだ性格をしているとは自覚している。けれど彼はそれすらも凌駕する程の重苦しい気だ。呑み込まれたら間違い無く気が狂(たぶ)る。

 泉沈は舌打ちして双剣を身体に収めた。
 そして少年を睨みつけると、身を翻して大股に歩き出した。

 泉沈に、今の彼の相手を出来る程の度胸は無い。呑み込まれるのは勘弁だ。

 彼から離れたい。
 猫族と関わるのは嫌だ。

 劉一族と面(つら)合わせるなんて、未来永劫断固拒否。

――――だのに。

 後ろで少年が笑う。
 彼がついて来ていることは分かったが、もう彼に構うことは無かった。

 その代わり、泉沈の脳裏に浮かんでは消えるのは、長い銀髪をした猫族の少年である。

 泉沈にとって思い出したくもない彼の顔は、のっぺらぼうだった。



.

- 176 -


[*前] | [次#]

ページ:176/294

しおり