兌州に戻ってからは、関羽の周囲はがらりと変わった。

 その中で一番変わったのは曹操だろう。
 彼は関羽へ高価な衣装や装飾品を贈り、武器を取り上げた。
 関羽は勿論それを本人に直接問い質(ただ)した。納得がいかなかったし、加えて猫族の安否、幽谷の状態が分からない今、好意だとしてもとても受け取れる気分ではなかった。

 けれども、彼は関羽が己も猫族の捜索をしたいと言うと、血相を変えて禁じるのだ。
 おまけにもう戦に出る必要も無いと、その為に彼女から武器を取り上げたのだと……唐突なことに頭がついていかなかった。

 おかしい。

 曹操の様子が、おかしい。
 どうして戦わなくて良い、なんて言うの?

 幽谷も、犀華のままだし……ああ、悩み事が多すぎて頭が痛い。
 悶々としながら一人廊下を歩いていると、ふと前方の角から幽谷――――いや、犀華が現れた。

 彼女は関羽に気が付くとぐにゃりと顔を歪めて視線を床に落とした。

 犀華は、一応城を彷徨くことは許されている。恒浪牙が、犀華は精神が繊細だからあまり閉じこもってばかりだといけないからと曹操に無理矢理許可を出させたのだ。勿論犀煉や恒浪牙同伴で、ということだったのだけれど、今はどちらの姿も見受けられない。
 関羽は一瞬躊躇って、犀華に声をかけた。


「あの、犀華。犀煉や恒浪牙さんは一緒じゃないの?」

「はぐれたの」


 突っ慳貪に彼女は答える。
 幽谷ではないことは分かっているけれど、こうもキツい物言いで拒絶されると胸が痛む。
 関羽がしゅんと肩を落として眦を下げると、犀華は彼女以上に痛そうな顔をした。何かを言い掛けて、しかし関羽に背を向けた。

 大股に離れていく犀華を見送った関羽は、その幽谷としか思えない後ろ姿に目頭が熱くなるのを感じた。
 故に、犀華を追いかけて腕を掴んだのだった。

 犀華は迷惑そうな顔をしてその手を振り払った。


「今度は何? 偽者は消えろってわざわざ言うつもりなの?」

「ち、違うわ! もし良かったら、今から一緒にわたしの部隊を見に行かない?」

「部隊? ――――ああ、兄様が言ってたわね。あなた、一部隊を従えてるんだって」

「そう、そうなの! だから一緒にどうかしら」


 犀華は目を細めた。
 ややあって、吐息混じりに頷く。


「無駄に複雑な城の中よりも、兄様や恒浪牙様に見つけていただけるかもしれないから」

「ありがとう」


 犀華を傷つけないようにと笑顔浮かべて礼を言うと、彼女の色違いの双眸が揺れた。



‡‡‡




「部隊のみんな、変わったところはない?」


 鍛錬中、近くの草兵に声をかけると、彼は大仰に驚いた。


「あなたは……! 一体どうされたのですか! 先日の徐州戦以降、訓練にも顔を出されず、皆心配したんです」

「ごめんなさい……」


 悄然(しょうぜん)と謝罪する関羽に、草兵は「まさか」ざっと青ざめた。


「どこか怪我でもされたのですか!? あの、呂布との戦いで……」

「いえ、そういうわけではないの。ただ、ちょっとやることがあって……」


 心配してくれてありがとうと添えて関羽は笑いかける。けれど、嘘をつくのはとても後ろめたい。

 草兵は安堵した風情で表情を和らげた。


「ああ、戦の後処理とかですね。早く戻ってきて下さい!」

「うん……」


 犀華は興味無さげに関羽の様子を眺めつつ、ふと草兵に話しかけられて眉根を寄せた。


「……何?」

「呂布に、奇妙な術をかけられて人格が変わってしまったと聞きました。ええと、初めまして。これからよろしくお願い致します!」


――――それは玉響のことであった。
 瞬きする間よりも短いその時、彼女は泣きそうな顔をした。
 けれどもすぐに無表情になって「よろしく」とぶっきらぼうに返した。

 関羽もそれにたまたま気付き、声をかけようと口を開いた。

 が、


「ああ、ここにおられましたか、犀華殿」


 そこへ恒浪牙が小走りにやってくる。
 草兵に頭を下げて犀華の手を取った彼は「犀煉が、可愛いあなたがいないって、らしくなく必死に捜していますよ」と揶揄するように言った。

 途端、犀華は顔を赤らめる。恥ずかしそうに俯いた。

 犀華が兄の犀煉にあってはならぬ感情を抱いているとは、態度を見ていれば容易に分かる。逆も然りだ。

 この二人は、血の繋がった兄妹でありながら互いに愛し合っている。

 けれども、奇異なことに犀煉は幽谷にはこと冷たかったように思う。
 幽谷が犀華であるのなら、どうしてこうも態度が違うのか?
 真っ赤な犀華の横顔を見つめながら、関羽は心の中で首を傾げた。

 その問いは口には出さず、犀煉は後程犀華の部屋に一旦集まると言ってあるからと、恒浪牙に手を引かれて城の方へ歩いていく犀華を見送った。
 彼女の姿が城の中に消えた途端、草兵が何かを思い出したように声を発した。


「そう言えば、あの方は……ええと、犀華様と仰るんですよね。たまになんですけど、昼間犀華様の部屋から暴れるような物音がしてくるんだそうです。かと思えば夜には片付けているような気配がして……女官達は怖がって近付かないらしいですが、一体何をなさっているんでしょう」

「犀華が……」


 昼間に暴れて、夜に片付け?
 確かに、話を聞く限りは気味が悪い。これでは怪しまれても無理は無い。
 ……曹操達が何かをする前に、わたしが確認して置いた方が良いかしら。
 頬に手を添えて、関羽はぽつりと呟いた。



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