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『しかし。こうもまた奇妙な縁が重なってしまうと、いっそ作為的なものを感じてしまうね』
風に髪を踊らせながら、泉沈は曹操に絶えず話しかけていた。
彼の頭の中は今あの混血の娘のことだけで頭が一杯だ。関羽に置いて行かれたことが余程堪えたのだろう。彼女を追いかける素振りが未だ見られない。それを分かった上で泉沈は朗らかに話しかけていた。
今はともかく、誰かと話して頭を働かせておかないと、《もう一人の泉沈》に意識を奪い取られてしまいそうなのだった。
曹操は泉沈に一瞥もくれなかった。
会話にならないが、構わずに言葉を続ける。
『彼女が作り出した最後の四霊が――――ええと、関羽だったか、混血の娘に従っているなんて思わなかったよ。これって偶然だろうか? 君はどう思う?』
「……混血?」
そこで、曹操が初めて泉沈の言葉にようやっと反応を示す。目を細め、鋭利な刃を彷彿とさせる黒の眼差しを泉沈に向ける。
「今、混血と言ったか。関羽のことを、混血と」
……あれ?
声音が変わった。
少しの焦りを帯びたようなそれに、泉沈は首を傾けた。
『え? ……ええ、あの娘は混血ですよ。猫族でありながらに黒い目は、人間の血が入っている証拠です。でもそれが何か――――』
ぞくり。
泉沈は言葉を止めて唇を引き結んだ。
曹操の眼差しが、また変わった。
今度は刃ではない。
冷たい氷の中に火が燃えているような、奇異なる光だ。
その炎は、何なのか。
人間の感情の種類など、泉沈が分かる訳もなく。
ただただ困惑したように曹操の様子を見つめていた。
「混血……そうか、あいつが、私の同胞だったのか……! ならば――――そうだ、ならばこれは……」
『え……』
同胞?
泉沈は目を丸くした。
曹操は混血と言い単語を譫言(うわごと)のように繰り返した。ゆらり、ゆらりと歩き出した。
曹操の背中を泉沈は茫然と見送った。
……彼は同胞と言ったか?
と言うことは、彼も混血?
ざわり――――胸がざわめいた。
こみ上げる感情は自分のものではない。軽蔑するそれは、人間も猫族も嫌うもう一人のものだ。
宥めるように己の胸を撫で、泉沈は冷や汗を垂らした。
『泉沈……僕は今、要らないことを言ったかもしれない。いや、多分、言ってしまった』
後悔しても、もう遅い。
どうしよう。
途方に暮れたように、泉沈は呟いた。
これで幽谷の周りが面倒なことになってしまったら……彼女は怒るだろうか。
『妙幻は沸点が低いからなあ……』
困った。
本当に困った。
このままでは、目覚めた時彼女に《壊されて》しまうかもしれない。
彼女は、扱いが非常に難しい。一歩間違えてしまえば破壊されてしまう。たった数百年の間で、何千人の尸解仙(しかいせん)が彼女の餌食になっただろう。
総身を粟立たせた泉沈は眦を下げて片手で顔を覆った。
『ああ、どうしよう。何だか頭痛がしてきたよ』
‡‡‡
夏侯惇をそのままに、幽谷は天幕の外に出た。
すると、多数の薬を大事そうに抱えた夏侯淵と、程近い場所でかち合った。
夏侯淵はきっと幽谷に敵意を向けてくる。
「! 貴様……!」
「夏侯惇殿は、先程お目覚めになりました」
そう言えば顔色が変わる。
彼の意識が逸れたのを見計らって、更に言葉を続けた。
「出血が多く傷も深い為、意識がまだ判然としていないようで、すぐにまたお眠りになりました。天幕に行かれるのでしたら、なるべくお静かに」
「……っ、そんなことは言われなくても分かっている!」
「それは、申し訳ございませんでした。ところで、恒浪牙はどちらに?」
「オレが知るか。あいつなら貴様を兄者と同じ天幕で治療した後、十三支の様子を見てくると陣を出て行ったきりだ」
「左様ですか。ありがとうございます」
なるべく刺激をしないように留意しつつ、まずは陣中で恒浪牙を捜してみようと夏侯淵に頭を下げて彼の前から立ち去ろうとした。
けれども、それを夏侯淵が呼び止めるのだ。
「何でしょう」
「四凶とは、何だ。それに地仙だの使命だの、貴様らは一体何なんだ」
幽谷は夏侯淵に向き直り、考え込んだ。
ややあって、
「……それは、私にも分かりません。犀煉達と違って、私は四凶が世の芥(ごみ)であること以外、その存在の何たるかなど知らずに今まで生きて参りました故。恒浪牙から聞き出す他ありません」
嘘をついたのは、つこうと思うよりも口の方が早かった。
幽谷は再び彼へ一礼し、その場を離れた。
が、突如視界が回ったのだ。
全身が痺れて前に倒れ込んだ。
「ぁ……っ?」
「お、おい、どうした!?」
夏侯淵が慌てた風情で幽谷の身体を抱き上げた。
視界は未だ安定しない。ぐるぐると世界が回る。
脳が一番痺れが強かった。
まともに口も利けずに呻いていると、不意に耳元で誰かの声がした。夢で聞いた声か――――いいや、違う。こんなに若いものじゃない。
これは、
この声は。
「さ……か、どの……」
「は?」
刹那。
視界が白く染まった。
意識が――――《切り替わる》。
‡‡‡
夏侯淵は我が目を疑った。
突然倒れた四凶を抱き上げたかと思えば、彼女はまた唐突に夏侯淵を突き飛ばして距離を取った。
その色違いの双眸にあるのはまったき警戒と、不安であった。あのいつも冷静な四凶にしては珍しい感情を剥き出しにしたかんばせに、強い困惑を抱いた。
「四凶……」
「……っ、誰よ、あんた!」
「え?」
四凶は周囲を見渡し、「何処なの、ここは!」と声を荒げた。
声も表情もがらりと変わったその四凶。
何故だろうか。
何となく、既視感を覚える――――。
「幽谷?」
夏侯淵の思考を中断させたのは十三支の声である。
右手から現れた彼女は犀煉を後ろに、怪訝そうな顔してこちらに歩いてくる。
四凶も二人に気が付いて身構えた。
けれど、えっと声を漏らすのだ。目の端が裂けてしまわんばかりに見開いて凝視した。
彼女の視線の先には犀煉。
犀煉もまた、驚きを隠せずに四凶を見つめていた。
沈黙が横たわった。
――――それを破ったのは四凶で。
「兄、様……!!」
彼女は駆け出して犀煉に抱きついた。
―第七章・了―
●○●
ようやっと第七章が終わった!
しかし、更に夢主に苦労が降りかかってますね。
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