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「いやー……すいませんが、ちょっとそこで戦いを止めていただけませんかねえ」


 現れたのは、困ったように情けなく笑う青年であった。後頭部を掻きながら狼牙棒を地面に立てる。

 関羽はあっと声を漏らして口を手で覆った。
 その青年には見覚えがあった。だが、あんな物騒な長柄の武器を持っていたとは、知らなかった。戦うような人物には見えないのに……。


「恒浪牙さん……!」


 彼は――――薬売りの恒浪牙は、関羽に気付くと朗笑で一礼した。


「ああ、関羽さん。良かった。ご無事だったんですねえ。ここに曹操軍が攻めてきたと耳にしてから、砂嵐共々案じていたんですよ」


 血を流して倒れた夏侯惇と砂嵐だった肉塊を見やり、恒浪牙は眦を下げる。頬を掻いて、興醒めした風情の呂布を《冷たく》一瞥する。


「世間では私の大事な妹だったんですが……」

「わたくしではありませんわ。殺したのは黒猫ちゃんです」


 はあと大仰に、見せつけるように溜息をつくと、泉沈が申し訳なさそうに目を伏せた。
 それに気付いて、彼は苦笑する。


「泉沈、君の所為ではないよ。君のその身体は、元々特殊なんだ。あの子の暴走が君には止められないことは十分分かっているよ。だから、そんな顔をしないでおくれ。それから犀煉、見た目が酷く痛々しいのだけれど、腕、拾ってくっつけたらどうだい。火なら私が出してあげるよ」

「要らん」


 ……ちょっと、待って。
 どうして、そんなに親しげなの?
 関羽が眉を顰める隣で、曹操が怪訝に問いかける。


「貴様らは知り合いか」


 そこで恒浪牙は表情を改める。すっと背筋を伸ばして、


「ここで隠しても詮無きことでしょう。私は、恒浪牙。有り難くも天帝より地仙の位を戴(いただ)く者ににございます。その繋がりで、四霊の二人とはままに接触しているのですよ」

「ちせん……?」

「仙人の中でも真ん中の位のことです。そちらの呂布も、仙女。地仙(わたし)の上に在る天仙です」


 関羽に簡単に解説し、とんでもないことを、さらっと暴露する。
 仰天したのは関羽だけではなかった。曹操も夏侯淵も、目を剥いて呂布を凝視した。


 呂布が……仙女?


 関羽が仙女に抱いていたものとはまるで違うではないか。こんな残酷な嗜好(しこう)の女性が、仙女――――しかも恒浪牙よりも上だなんて!

 ……じゃあ、砂嵐は?
 砂嵐を殺した後、幽谷と何か繋がりがあることを《いつもの泉沈》は臭わした。恒浪牙が地仙であることに何か関係があるのだとすれば――――。
 それを問いかけようとすれば、恒浪牙が口の前で人差し指を立ててかぶりを振った。今は訊くな、そういことなのか。


「こいつが……仙女!?」

「曹操殿、仙人とて個性はあります。そして天仙になりますと、地仙などとは違って人の世とは隔離される。あなた達のような人の感覚など消えてしまいます。このような極端な例は私達にとっては驚く程のことではございませんよ。まあ、やることが大変愚かしく恐ろしいとは、私は思いますがね――――」


 そこで恒浪牙は狼牙棒を持ち直して横にし右にやった。
 直後、その柄に戦斧が叩きつけられる。

 呂布が怒りの浮かんだキツい眼光を彼女に向けていた。天仙の鬼気迫る気迫に、しかし恒浪牙は曹操達に視線を向けたままで笑顔も消さない。あの呂布を相手に、己の調子は気圧されていないのだ。

 関羽は恒浪牙の笑顔にぞっと身体を震わせた。畏怖すら抱く。

 呂布は忌々しげに片目を細めて恒浪牙から距離を取る。


「愚かしいのはそちらでしょう。天仙になれる程の功徳を積んでいながら、どうして地仙に留まるんですの? わたくし、貴方は大嫌いですが、貴方の術はわたくしすら凌駕すると認めていますわ。黒猫ちゃんだって元は貴方を基に作られたようなものです。東王父のみならず、西王母の信頼も篤い貴方が人の世に執着する理由が分かりませんわ」

「貴方のように、人の感性を失いたくないからですよ。私は、あなた達のように大切なものを無くしたくはない。功徳を積んでいくにつれ、そう思うようになった。ただそれだけです。ちなみに、私もあなたのことは大嫌いです」


 ……一瞬だけ恒浪牙の優しげな風貌が悲しみに沈んだ。
 彼らの会話がいまいち理解出来ていない関羽は、すぐに微笑んだ彼を探るように見つめる。が、当然彼女では恒浪牙の心中を計り知ることなど不可能である。


「出来れば《彼女》にも天仙になって欲しくはなかったんですがねぇ。あなたが強引に誘わなければ、あんなことにはならなかったんですよ」

「そうですわね。天仙になってからのあの子はほんの百年でつまらない子になりました。わたくしも、がっかりしましたわ」

「……その口で、良くほざく」


 恒浪牙の声が低く沈む。

――――かと思えば、横合いから更なる影が呂布に躍り掛かった!

 直前に身を翻した恒浪牙が犀煉を連れてその場を離れた。犀煉は新たな影に苛立たしげだ。

 どんどん人口が増えていくこの緊迫した場に、その影はしっかりと立っていた。
 匕首を片手に、呂布を戦斧ごと弾き飛ばした影の正体は――――。


「饕餮ちゃん!!」


 呂布が感極まったように声を弾ませた。

 関羽も、一気に全身が熱くなっていくのが分かった。

 関羽がずっと捜し求めていた人物が、そこにいたのだ。


「……ようやっと、見つけました」


 返り血にまみれた彼女は――――幽谷は、関羽にそっと微笑みかけた。



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