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呂布は、苦戦を強いられた。
ここには四霊二人と共に関羽や曹操、そして夏侯淵がいる。夏侯惇が倒れてはいるが、それでも呂布にとっては多勢に無勢という状況である。
彼女はこの危機的状況に愉悦を感じていた。
泉沈は一人では脆弱だ。元々《泉沈》自体争いを好む性格をしてないので、術に秀でてはいるが戦闘には不向きなのだ。
だがそこに得手とする犀煉がいる。彼の中にいる《それ》は苛烈な性分であり、猛々しさその物。その上犀煉もかの犀家の嫡男だ。身体能力に技術力は呂布の目にもかなりのものである。でなくば張遼のように己の側に置いたりなどしていない。
この四霊二人だけでも期待に総身が震えるが、ここには関羽もいる。
砂嵐が死んでしまったのは非常に惜しいことだが、それも掻き消える程、この状況に歓喜していた。
犀煉の剣撃に一旦距離を取って、呂布は唇を舐めた。
先程の発言は気に食わないが、それを打ち消すくらいには彼は強い。さすが、犀家次期当主と謳(うた)われた男だ。一撃一撃にまるで隙が無い。
おまけに、《黒猫ちゃん》を奥に引っ込めてしまった泉沈が術で彼を援護する。
これで饕餮ちゃんがいてくれたらもっともっと楽しいのに――――。
呂布は、苦戦と感じながらも己の勝利を信じて疑わない。
「予定が狂ってしまいましたけれど……まあ、子猫ちゃんの目を覚ますことは後回しにしましょう。犀煉ちゃん、泉沈。四霊の方々の相手をして差し上げますわ」
「言ってくれるな。二匹の四霊を相手に、お前が勝てる訳がないだろう」
「そうですわね。犀煉ちゃんの手強さは良く知っていますわ。けれど、ずっとわたくしの隙を側で窺っていた割には、今まで何にもしてきませんでしたわね。今になってやうやく動き出したことに、理由はあるんですの?」
犀煉は片目を眇めた。
そして――――不敵に笑う。
「……本当に、何も気付いていないんだな。……天仙の割には」
小馬鹿にしきった物言いに、呂布は柳眉を顰めた。
「何か、しましたの?」
「お前の中に、な」
犀煉は己の胸に手を這わせ、何事か呟いた。
刹那。
耳鳴りがした。
‡‡‡
「……? 何――――うぐぅ!?」
呂布が目を剥いた。
戦斧を取り落としてその場に膝をついた彼女は胸を押さえて苦悶に呻いた。谷間の辺りが異様にボコボコと浮き上がっては凹み……まるで中で蛇が暴れてるかのようだ。
凄絶な痛みは今まで感じたことの無い激痛。
うう、ううと呻きながらそこを掻き毟(むし)る。しかしそれでも収まる筈もない。
呂布のおぞましい光景に関羽が思わず目を逸らした。
犀煉は涼しげな顔でそれを見下ろす。そして、口を開くのだ。
「お前も知っての通り、俺は術にはさほど秀でていない。恐らくは幽谷にも劣るだろう。だから、ここまで時間がかかったのだ。それに加え、幽谷がよりにもよって猫族と共に在り、お前と接触していたこともあって面倒事が増えた。だが、結果的に頃合いが今この時であることは、せめてもの幸いだろう。お前の傍に張遼はおらず、泉沈も潜在意識が出てきている」
勿論呂布には聞こえていない。聞こえる筈がない。
犀煉は剣を持って呂布の前に立った。
「長い時間を使って、お前に呪詛をかけた。俺がかけた呪詛だ、天仙のお前を殺せるものではないが、つかの間動きを封じるくらいのことは出来るだろう」
これであれの姿を見ずに済む。
そう呟いて、犀煉は剣を振りかぶった。
斬り落とすのは首だ。
彼女を殺せば、四霊は役目を終える。
そして、世界から消える――――。
振り下ろす!!
‡‡‡
ぼとり。
――――落ちた。
「……」
犀煉は舌打ちする。
落ちた物は呂布の首ではなかった。
落とされる筈だった彼女はこちらを見上げてにっと嫌な笑みを浮かべている。
では、何が落ちたのか。
腕だ。
誰の?
――――己の、右腕だ。
『大丈夫かい、犀煉』
犀煉が呂布から距離を取ると、泉沈が案じるように話しかけてくる。
彼は犀煉の上腕の半ばから切断されたそれを見下ろすと、痛ましげに歪めた。
血は止め処無く流れ、地面を染める。跳ね上がったそれが犀煉の泉沈の衣に付着した。
「……大事は無い」
『だが、君は人間の身体だ。覚醒も中途半端に終わっている。そのままでは死ぬだろう』
「どうせ役目が終われば消える。もう一人の泉沈も、あれも」
犀煉は泉沈の身体を押し退け、懐から匕首を取り出す。
呂布はくすくすと嗤った。首元などに赤い爪痕が残っているものの、先程まで苦しみもがいていたとは思えない程、彼女は平然としていた。
「あらあら、油断は禁物ですわよ、犀煉ちゃん。わたくしに貴方が術で勝てる筈がありませんわ。確かに、ちょっと苦しかったけれど、あんなの自力ですぐに治してしまえます」
再び構えた犀煉に、呂布も戦斧を拾って身構えた。
彼女は楽しんでいる。心から、犀煉の《抵抗》を楽しんでいる。
嫌な女である。彼女の下にいる間、嫌でもそれは体感した。
犀煉は地を蹴った。
痛みなど、意識の外へ追いやった。
半瞬遅れて呂布も走り出す。
けれど――――ふと双方は足を止めるのだ。
忌々しげに、あるいは腹立たしげに舌打ちする。
「そこまでです」
二人の間に、一つの影が入り込んでいた。
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