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「ねえ、どこに行くの?」
気まずそうに顔をしかめる猫族の者達に、劉備はもう一度問いかけた。
言い淀む彼ら。
ややあって、張飛が強気な笑顔を浮かべて劉備の頭を撫でた。
「ちーっとばかし旅に出てくんぜ、劉備! 黄巾賊だかなんだか知らねーけど、パパッと倒してすぐ帰ってくっからよ!」
「すぐっていつ? あした?」
「そ、それは……えっと……」
「申し訳ありません。劉備様。いつまで黄巾賊を倒すことが出来るかボクたちにもわからないのです」
張飛を冷たく見やってから、蘇双が答える。
「いつかわからないの?」
劉備が不安そうに言う。
「いや、でも必ず帰ってきますから! だからそんな顔をしないで下さい、劉備様!」
「じゃあ、ぼくも行く」
やはり、言い出した。
服をぎゅっと掴んで離さない劉備に、幽谷は彼の頭を撫でながら関羽を見やった。
関羽は、幽谷の隣に立って屈み劉備と目線を合わせた。
「ごめんね、劉備は連れて行けないの」
何とか諭そうとするも、彼は折れてはくれなかった。不安と、耐えられない寂しさがそうさせていた。
「お願いよ、劉備。すぐに戻るから。いい子だから言う事を聞いてね」
言葉を尽くして言い聞かせる関羽。
曹操はそれを嘲(あざけ)った。
「すぐに戻るとは随分と余裕だな。これから向かうのは戦場だ。村に戻れる保証などどこにもないぞ?」
あろうことか彼は、猫族の皆が言わずにいたことをさらりと言ってしまったのである。
関羽が立ち上がってきっと曹操を睨みつける。
無論曹操は知らん顔だ。
幽谷もまた、彼を流し目に冷たく見つめていた。しかし、劉備が離れたことにはっとした。
「劉備様?」
劉備は関羽に抱き付いた。
「ぎゅっして……」
「あーあー劉備のヤツ、姉貴にぴったりくっついちゃって。これしばらく離れねーぜ」
呆れたように漏らす張飛に、世平が首筋をさすりながら嘆息した。
「うん。ぎゅっしてあげるから、大人しくお留守番しててね……」
「…………」
「そんな首振らないで……」
これは、もう無理だ。
てこでも動かない。劉備がこんな調子では、もう長期戦は免(まぬが)れなかった。
困り果てた猫族に、気の短い夏候惇が声を荒げた。
「貴様ら、いつまで待たせるつ――――」
――――取り敢えず、邪魔な人間の口は塞いでおく。これ以上劉備を刺激されては敵わない。
幽谷は苛立っている夏候惇に肉迫してその口を手で塞いだ。すぐに払われてしまったが。
「汚れた四凶が俺に触るな!!」
幽谷が触れた口元を袖で乱暴に拭いながら忌々しそうに言う。かと思えば剣を抜いた。
されど幽谷はさらりとしたものである。
「はい、すみません。ですが、黙っていて下さい。これ以上あのお方のお耳に余計なことを入れるなら、口に匕首を突っ込みますよ」
「俺は、いつまで曹操様を待たせるのかと言おうとしただけだ!」
「あなたの場合は声が非常にやかましいんです。あなたの声で劉備様が怯えられたらどうなさいますか。そうなったらまた事態はややこしくなりますよ。あなたの所為です。考えようによっては、あなたが自分の主の邪魔をすることになりますよ」
自身の言葉がどれだけ夏候惇の神経を逆撫でしたのか自覚無しに、彼女は流れるように責めた。
「……っ、十三支の女以上に最悪な奴だ……!!」
ぼそりと呟かれた声はしかと幽谷の耳に届いた。自分はともかく、主のことを貶されてはさすがに癪(しゃく)に障(さわ)る。
……そろそろ、本気で匕首を入れてやろうかと彼女は思い始めた。早く出立する為の処置だし、そのくらいなら、四凶と言えども許される、筈。
と懐に手をやった刹那、
「なんてこと言うの張飛! 劉備を危険にさらすつもり?」
関羽の怒声が鼓膜を叩く。
瞬間幽谷の頭の中から夏候惇のことは砂のように流れ落ちてしまったのだった。
「関羽様、如何なさいましたか」
「幽谷! 張飛が一緒に連れて行くって……」
「張飛様……」
眉根を寄せてちら、と張飛を見る。
彼は僅かに仰け反った。
「えぇー! んだよ、オレが悪ぃのかよ! 拗ねてる劉備が悪ぃんだろ!」
「いや、張飛が悪い」
「なんかよくわかんねぇけど、張飛が悪い」
「えぇ!? オレ!? オレが悪ぃの!? えぇ―――? じゃあ、ごめん……」
ぺこり、と頭を下げて張飛は謝罪する。
話は全く進んでなかったようだ。
だがここで世平が溜息をつき、
「はあ……気はすすまねぇが、劉備様を連れて行くしかねぇか」
と。
劉備は喜び、猫族の男達は即座に反対する。世平はそれを説き伏せた。……最初から、彼に相談すれば良かったのではなかろうかと、ちらりと思った。
「劉備、絶対にわたしたちから離れないって約束出来る?」
「うん! ぼく、やくそくまもるよー」
にこにこと、先程までとは打って変わって愛くるしい笑顔で大きく頷く劉備に、少しだけ安堵する。これで、出立できる。
「ようやく話はまとまったようだな。ならば行くぞ。これ以上時間を無駄にする気はない」
曹操が身を翻す。
夏候惇も剣を戻すと、敵意に満ちた鋭い眼光を幽谷に一瞬だけ向けて従う。
幽谷は関羽を見やった。
「……行きましょう」
「はい」
関羽と劉備を先頭に歩き出す猫族の、三百もの集団。
幽谷は、再びその後ろにつくのだった。
これから未来(さき)に何かあるのかも知らずに――――。
第一章・了
○●○
短っ!
もっと引っ張った方が良かっただろうか……。
とにもかくにも第二章に行きます。第二章ではあの人が出ますね。
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