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――――これは困ったことになってしまった。
砂嵐が呂布に連れて行かれしまった。
咄嗟に己も飛び出そうとした恒浪牙だが、この場で砂嵐に正体を知られる訳にもいかず、逃げた子供のことも気になる為、呂布が彼女を気に入ったことを確認してその場を離れた。呂布は気に入った人間はそう早く殺してはしまわない。呂布のもとには犀煉もいるだろうし、早急に急を要する用事だけを済ませて助けに向かえば――――。
「あっれー、こんなところで何してるのー?」
不意に、背後で声。
恒浪牙は足を止めて頬を掻いた。……会うつもりではいたが、こんな時に出会ってしまうのは予定外である。
恒浪牙は苦笑を浮かべたまま身体を反転させた。
「どうも、お久し振りですね。泉沈」
その子供は、にっこりと剣呑なものを漂わせつつ笑んだ。
足下には灰色の狼がいる。姿勢を低くして恒浪牙を睨み唸っていた。
「何してるの? クソ野郎」
「こらこら言葉遣いを直しなさい」
「五月蠅い死ね」
「残念。私は死にはしない身の上なんですよ。呂布とは違うので」
鷹揚な態度で返していると、泉沈が殺気立つ。笑顔はすでに無く、不愉快そうに歪められている。
その手にはいつの間にか双剣が握られていた。
いつもは術しか使わぬ泉沈ではあるが、猫族以上の武力は備えていた。ただ、犀煉よりも弱く、呂布には到底及ばないのだけれど。
泉沈は出来損ない。
仙人達はこぞって評価する。
しかし、泉沈が今までの四霊の中で最弱であるのは仕方のないことだし、泉沈を作った仙人にも少なからず責任がある。
だのに、周囲はあたかも泉沈自身に責があるように言い、ここまで性格を歪めさせてしまった。
それが恒浪牙は不憫でならなかった。
眦を少しだけ下げて歩み寄ろうとすれば、泉沈は彼に双剣の片方を向けてきた。
「近寄るな。気持ち悪いんだよ、お前」
「おや、気持ち悪いですか? 自分ではそこらにいる人間だと思っているのですが……あ、もしかして臭いですか?」
泉沈の神経を逆撫でするようなことを言っている自覚はある。
けれど、泉沈は冷静な時よりも激怒した時の方がかわしやすいのだ。生きた年月は犀煉より遙か上でも、精神はまだ子供のままだから、感情に任せて攻撃する嫌いがある。
恒浪牙の言葉に、泉沈は耳の毛を逆立てた。唸るような声と共に双剣を構えた。
泉沈は恒浪牙が大嫌いだ。だから、少しからかった程度ですぐに堪忍袋の緒が切れてしまう。
恒浪牙はすっと腰を低くして跳躍した。背後にある廃屋の屋根に着地する。
「待っ――――」
「と言われても、私にはすることがあるんだ。遊ぶならそれからにしてもらえないだろうか」
「誰がお前みたいな奴と遊ぶか!! 殺す!! ゼッテェ殺す!!」
「だからそんな言葉遣いはしてはいけないよ。そんなんじゃ友達が出来ないじゃないか」
言って、あっと思った時にはもう遅かった。
泉沈からぶわりと殺気に似た力が放たれる。
「しまった。禁句だったんだった」
《姿が変わっていく》泉沈を見下ろし、後頭部を掻く。
……ここは逃げるに限る。
恒浪牙は隣家の屋根に飛び移り、その場から逃げ出した。
泉沈も当然追いかけてくる。
「困った……これはしくじったなあ。砂嵐を助ける為に急がなければならないのだけれど……」
君とじゃれている暇は無いんだよ。
ぼそりと呟いて、溜息を漏らした。
‡‡‡
『これね、お前の所為でこんなことになってるんだよ』
『お前が無力な所為』
『僕、猫族嫌いだけど、その中でもお前が大嫌い』
『無力なくせに、ただ守られてばかりで何も出来ないくせにね』
彼の言葉が頭の中に響く。
自分は無力。
自分は無力。
自分は無力。
なにもできないやくたたず。
「劉備様……っ」
自分を守る為に側にいてくれた少年すら助けることが出来ない。
自分が無力な所為で彼女は冷たくなってしまった。
自分は、なんて無力なのだろうか。
……力が、欲しい。
力があればこんなことにはならなかった。
力があれば自身がこんなに傷つけられることは無かった。
力があれば、力があれば、力があれば、力があれば力があれば力があれば力があれば力があれば力が欲しい力が欲しい力が欲しい力が欲しい力が欲しい力が欲しい力が欲しい力が欲しい力が欲しい力が欲しい力が欲しい力が欲しい。
力があれば――――関羽も、幽谷だって戦わなくて、済む。
「ちょっと、もう終わりー? もう少し苦しんで見せなさいよ、つまんないじゃない」
「が、ぁ……っ」
「止めろ……っ!」
力が……欲しい!!
頭の何処かで、誰かが嗤(わら)った。
‡‡‡
「……!」
恒浪牙は足を止めた。
城を見やり、目を細めた。
その背後に影が立って剣を振り上げる。
恒浪牙は屋根から飛び降りた。
直後、家屋が倒壊する。悲鳴が聞こえなかったことに安堵する。
「泉沈。城に劉一族の子がいるね?」
「……いるけど、それが何? 何か問題でもある?」
いつかは出てくるモノだったんだ。今更出したって変わらないじゃん。
平然と言って退ける泉沈に戦慄する。
「厄介なのは呂布だけじゃないじゃないか……!」
こうしてはいられないとばかりに、恒浪牙は駆け出した。
しかしその背中に泉沈が札を投げつける。
衣服に張り付いたそれは突如発火して瞬く間に恒浪牙の身体を包み込んでしまう。
が、すぐに消えた。
泉沈は舌打ちした。
恒浪牙はそのまま走る。
泉沈よりも、今は城にいる劉一族だ。
微かながらに城から感じられる邪気――――嫌な予感しかしない。
下手をすれば呂布以上に厄介なモノがこの地に顕現してしまう!!
そうなってしまえばこの世界は更に混沌と化してしまう!
泉沈は、もう追いかけてはこなかった。
ほくそ笑んで城を眺めているだろうことは、恒浪牙には容易に想像出来た。
それが、すぐに落胆と怒りに暗く沈むことも――――。
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