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苦悶の声が城を雰囲気を重くし、怨嗟(えんさ)の念が城に悪しきモノを呼び寄せる。
その冷たすぎる暗い廊下を一片の怯えも、嫌悪すらも無く、泉沈は重い荷物を引きずりながら星河と共に歩いた。
途中突っかかってきた人間は皆肉片の山に変えた。だが、元々この城は血生臭いし、その中に腐臭も混ざっている。今更肉と血が増えたところで環境が悪化する訳ではない。
……それに、不衛生だからと疫病を起こしたとしても、泉沈や星河を含む一部の生き物は疫病にはかからないし、この城に患(わずら)って困る生き物はいない。
まあ、現在の主は自室の周辺だけは部下に清潔にさせているが。その辺は徹底させるから、この臭いも無いだろう。その方が、星河も楽だろうかと頭の片隅で思った。
目当ての人物のいる部屋の前に立つと、何の声もかけずに扉を押し開いた。
すると左手の方から少女の悲鳴。
視線だけをやれば、豪奢な寝台には体格の正反対な女が二人、衣服を乱した状態で身体を重ねていた。豊満な身体の女の下に寝転がる少女は恍惚の表情に驚愕を浮かべ、泉沈を見やる。
女はと言えば、泉沈を見るなり笑顔になって身体を起こした。肌が酷く露出した姿のまま寝台を降りて泉沈をキツく抱き締める。泉沈は避けることも無く、作った笑顔を張り付けてそれを受け止めた。
「お久し振りー、狂ったお姉さん」
「ええ、本当に久し振りですわね、黒猫ちゃん。ついに、わたくしのものになると言っていただけるのかしら!」
女――――呂布は泉沈を放すと両手をそっと割れ物のように優しく挟み込んで顔を間近に近付けた。うっとりと彼の顔に魅入る。
「残念。それは有り得ないかなー。今日は狂ったお姉さんにお届け物があってね」
「まあまあ、何ですの? 何ですの!」
手にした塊を持ち上げようとした瞬間、少女が声を上げた。泉沈の手元を見てひくりとこめかみを震わせた。
呂布もまたそれを見下ろして、更に、更に歓喜する。
「――――饕餮ちゃんじゃありませんの!! なんて美しい姿なのかしら! こんなに血で染まって、食べちゃいたいですわ……!」
「りょ、呂布様〜!」
饕餮――――幽谷の身体を差し出して、泉沈は「でもね、一つ問題があるの」と。
「今ねー、この身体は抜け殻なんだ。心臓は動いてるけど死んだみたいになってる」
恒浪牙が何か小細工を仕掛けたようだと言えば、途端に呂布の眉間に皺が寄る。
彼女も、恒浪牙のことは厭悪していた。男であることだけじゃなく、彼の性格も彼女の好みには全く当てはまらないのだ。
呂布は顎に手を添えて不愉快そうに紅唇を歪めた。
幽谷の身体をそっと抱き上げて床に横たわらせると、その衣服を裂いて肌を露わにする。
真剣な眼差しで食い入るように見下ろすのは幽谷の乳房の間、胸の中央。
そこに人差し指を這わせようとした刹那、
「!」
その指が弾かれた。
それに裂傷が幾筋も走って真っ白な肌を赤い鮮血が汚した。
それを口に含んで呂布は目を伏せる。指を抜くと舌打ちした。
「恒浪牙の術はわたくしでも解くことは出来ませんわ。あれの術は全て彼が独自で作り出した方式のもと成り立っていますもの。その方式は、誰にも解読出来ていませんから、彼を殺さない限りはどのような術がかかっているのかも分からず、解けませんわね」
それが、恒浪牙の厄介なところだ。
外見こそ、頼りない優男であるのに、その実腹は泉沈よりも深く、黒い。術だけでなら呂布をも超える。
それ故に犀煉は彼に幽谷を託したのだ。
泉沈は目を細め、嘆息した。
「そっか。じゃあ、仕方がないね。これ、劉備んとこに放置しとく」
「あら、わたくしに下さいませんの?」
拗ねるように唇を尖らせる。
泉沈は笑って、
「だって、この有様を全部劉備の所為にしちゃえば、《化け猫》が出しやすい状態になるでしょう? 気が狂っちゃうと面倒臭いけどさ、それも多分無いと思うし」
そうなったら、お姉さんも嬉しいよね。
呂布は暫し思案した後、大きく頷いて艶やかに笑った。
「それもそうですわね。黒猫ちゃんったら、やっぱりわたくしに気があるんじゃないかしら。今夜、どう?」
「りょ、呂布様! こんな性別が分かんない奴なんかに構わないで、続きをしましょうよー!」
「うふふふ、わたくしが女の子だと思うから、黒猫ちゃんは女の子ですわ。ねえ?」
「うん、狂ったお姉さんがそう思うんだったら、それで良いよー」
にっこりと肯定すれば呂布は泉沈に口付ける。唇を割って口内に入り込んでくるのは彼女の舌だ。
泉沈は間近に迫った呂布の顔を、じっと見つめながら彼女の思うようにさせた。
ようやっと離れたかと思うと、呂布は拗ねてしまう。
「本当に、つれませんのね……黒猫ちゃん」
「だって感じないもん。僕がお姉さんに感じたら良いよって、約束だったよねー」
左からの視線を流しつつ、泉沈は幽谷の身体を抱えてきびすを返した。
その後ろ姿に呂布はくすりと笑って声をかけるのだ。
「ねえ、黒猫ちゃん。本当に、わたくしを殺すなんて止めて、わたくしのものになりませんこと?」
「……」
扉へ伸ばした手が止まる。
「あんな引きこもりに構うことなどありませんわ。わたくしといれば、毎日貂蝉ちゃんや饕餮ちゃん、それに子猫ちゃん達と一緒に毎日気持ち良いことが出来ますのよ? 享楽に耽(ふけ)れば、柵(しがらみ)なんて忘れてしまいますわ」
もう、使命だの何だのに苦しまなくてよろしいのですよ?
赤子に言い聞かせるかのように、彼女は優しく、甘く勧めてくる。
されど、泉沈はくるりと身体を反転させ、にっこりと笑って見せた。
「……さっきのちゅー、すっごく気持ち悪かったよ。僕がお姉さんのものになるのは、まだまだ先だねー」
そうして、今度こそ部屋を出た。
犀煉のことは訊けていないが、彼のことなど今はもうどうでも良い。
部屋の外で待っていた星河は、何処か不穏な泉沈の様子に耳を動かしつつ、少しの距離を取って従った。
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