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 関羽は曹操の部屋にまで押し掛けた。
 どうしても、どうしても徐州を助けて欲しい。
 劉備や張飛――――猫族のみんなは無事でいるのか。
 徐州の刺史陶謙や糜竺達も心配だ。

 関羽は言葉を重ね、募る思いを黒の瞳に映し出して曹操に頼み込んだ。

 袁紹のことを警戒しているのは分かる。
 けれど、それでも。


 徐州のことを知っていたのに話してくれなかったことはどうしても解せない!!


「知らないって言ったのは嘘だったの……?」


 どうして、と問いかけても彼は関羽に背を向け、暫し沈黙する。
 そうして――――。


「……お前が知る必要はないと思ったからだ」

「そんな!? わたしの仲間のことなのよ! わたしがどれくらいみんなを気にかけていたか知っていたでしょ!?」

「だからだ!」


 関羽の言葉よりも大きい、怒号のような声が空気を震わせた。
 関羽は鼻白んで口を噤む。一歩だけ退がった。

 そんな彼女に歯噛みして曹操は振り返る。


「だから……、お前はいつまで経っても一族のことも、幽谷のことも忘れないだろう。私の国に来て、私の隣にいてもお前の心はいつまで経っても一族のところだ」

「それは……」


 当然のことだ。
 猫族は関羽が小さな頃から一緒にいた仲間。混血の関羽を受け入れて、一緒に過ごしてきた仲間だ。
 幽谷は一緒に人間として生きていることを自覚出来るよう手伝うからと約束した、掛け替えの無い無二の親友だ。
 その思いを断ち切らせるように曹操はキツく命じた。


「ここにいろ」

「え?」

「お前はもうこの国の将だ。一族のことは忘れて、私の隣にいろ」


 関羽は顎を落とした。
 しかし、彼の様子が何処かおかしくて、眉根を寄せる。


「お前に傍にいてもらいたいんだ……」


 珍しく沈んだ声。
 関羽はその縋るような響きを含んだ声に、胸が締め付けられるような心地だった。

 だって、それは駒として必要とされているだけなのだ。
 自分が必要なんじゃない。己の覇道の為だけに自分のような駒が必要なだけ。
 《わたし》を見てくれてる訳じゃ、ないんでしょう?


「お前がここにいるのは徐州の平和と引き換えにして私が縛り付けているからだ。私が徐州を助け、徐州を手に入れてしまったら、お前を縛り付けておくものがなくなる……」


 そうすればお前は一族の元へ帰るだろう……?
 関羽は目を瞠る。

 わたしが……猫族の元に帰る?
 そうなのだろうか。


「わたしは……」


 どうしてだろうか。
 自分は猫族に帰りたい。仲間のもとに帰れることは嬉しい筈なのに、どうしてだろうか。


 それを悩んでしまう自分が、いる。


 どうして――――。


「……い、今はそんな話をしている場合じゃないわ!」


 関羽はそれを振り払うようにかぶりを振って、話を元に戻す。


「徐州城はもう呂布によって落とされてしまったのでしょう!? 一刻も早く徐州のみんなを助けないと……! そう、相手はあの呂布なんですもの。残されたみんなが何をされるか分からないわ!」


 嫌な想像が脳裏を過ぎる。

 張飛や蘇双達が呂布に無惨に殺されていく様。
 世平達の骸が町に転がる様。
 か弱い劉備がいたぶられる様――――。


「ああ、そうよ。劉備、劉備も徐州にいたのかしら!? ああ……やっぱりわたしひとりでも、今すぐ行かないと!!」


 身を翻そうとした瞬間、腕を捕まれ壁に叩きつけられた。

 身体を打ち付けて片目を眇めた関羽に曹操が顔を近付ける。


「お前は私の話を、聞いてなかったのか? お前はまだ私に縛り付けられているのだぞ。そんなお前に、勝手が許されるはずがない」


 怖い。鬼気迫る彼に気圧され、冷や汗が垂れる。
 けれどどうしてか――――頬に異様な程の熱が集まるのだ。これでは異性にまるで恥じらっているようではないか。

 曹操は関羽を間近で見据え、彼女が身動ぐとゆっくりと身を離した。


「…………わかった。いいだろう、援軍を出してやる」


 暫し沈黙した後、彼は首を縦に振った。
 しかし、曹操と言う男はやはりそれだけでは終わらない。
 徐州の戦と同じように条件を提示してきたのだ。

 これより先、何があろうとも関羽は曹操のもとにいる、と。
 そして、関羽の望まぬままに、曹操の行く果て――――孤独の王となるその様を曹操の傍で見届けろと。


 関羽は、それを承諾した。
 痛む胸には、見ないフリをして。



‡‡‡




「――――話は終わったのか」


 不意に聞こえた第三者の声に、関羽と曹操は仰天した。
 身構えて窓を見やれば、そこには五月蠅そうに目を細める犀煉の姿が。

 いつの間に!
 関羽が彼に近付こうとすると、それを曹操が手で制した。手にはすでに抜き身の剣が握られている。今まで使っていた剣が壊れてしまったそうで、それとよく似た剣だ。

 犀煉は吐息を漏らした。


「犀煉、幽谷を何処に連れて行ったの?」

「何故俺が猫族の傍からあれを離したか、知っていながらそれを問うのか」


 言われ、関羽は口を噤む。
 徐州で幽谷を連れ去る際に犀煉はもう幽谷を猫族の傍を置いてはおけないと言った。
 今でもそう思っているのなら、無駄なことだ。教えてくれる訳がない。

――――されど、彼は一つ嘆息をすると、


「あれは泉沈に連れて行かれた」

「え? 泉沈?」


 もしかしてあの時捜しに行って見つけたの?


「何故泉沈がお前達と共に行動していたのか問い質(ただ)したいところだが……今はそれどころではない。俺が今問いたいのはお前だ、曹操」


 何故この城に幽谷の気が残っている。
 幽谷の、気?
 関羽が首を傾げると、犀煉は彼女を一瞥し、


「つい最近まで、幽谷がこの城にいたということだ。泉沈はここから幽谷を連れ出したのだろう」

「え――――」


 幽谷がこの城にいた?
 関羽は曹操を見上げた。

 それが本当だとすれば彼はすでに幽谷の所在も掴んでいたことになる。
 徐州だけじゃなく、幽谷のことまで黙っていたというの?
 むくむくと猜疑(さいぎ)が関羽の中で膨れ上がる。それと同時に胸の痛み。


「曹操……どういうことなの?」

「さあ、言っている意味が分からんな」

「嘯(うそぶ)くのは無駄だ。あれを託した者がこの町にいることも、その馬鹿が今頭を抱えていることも知っている。言っておくが、泉沈が幽谷と共にいるということは、人間全ての命が危ういと言うことだぞ。個人の下らぬ感情で、現状を放置しないことだ」


 あれは恐らく呂布に託される。
 苦虫を噛み潰したような表情になった犀煉の言葉に、関羽はぎょっとする。


「ちょっと待ってよ。泉沈がどうして呂布に幽谷を託すの? 泉沈は猫族よ」

「猫族だから? あれにとって猫族はまったき憎悪の対象だ。お前達などただの塵芥(ちりあくた)程にも思っていない。むしろ、心の何処かでは呂布に無惨に殺される様が見てみたいと思っているやもしれぬ。特に劉備の、な」

「お前はあの猫族の四凶と知り合いなのか」

「知り合い、だろうな。一応は。俺の話はそれだけだ。徐州に軍を差し向けるならば気を付けておけ。泉沈が呂布に荷担している可能性もある。泉沈は、術ならば地仙にも劣らない。下手をすれば全滅するだろう」


 泉沈が呂布と、なんて……信じられない。
 どうして彼は呂布に幽谷を託すの?

 猫族が憎悪の対象?
 劉備が危ない?

 ああ、もう。
 色んなことがありすぎて頭が壊れてしまいそうだ。

 みんな、無事なの……?



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