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 見ーつけた。
 泉沈は一人口角をつり上げた。

 何だ、やっぱりこの城にいるんじゃないか。
 関羽が知らないのは、曹操が知らせていないからか。
 幽谷に関羽を盗られることに嫌悪したのだ。

 なんて詰まらない独占欲。
 なんて詰まらない欲求。
 なんて詰まらない人間模様。


――――気持ち悪い。
 沸き上がる衝動を押し殺して、泉沈は扉の前に立つ兵士に話しかける。


「今晩は。兵士のお兄さん」


 にっこりと笑いかけた彼に、兵士は驚愕した。


「お、お前は十三支の四凶……」

「猫族の四霊だっては。頭悪い人は嫌いだよ」


 笑みが剥がれ落ちる。
 泉沈は兵士の前に一瞬で移動すると、そのまま腕を伸ばし、咽を掴んだ。


 ぐしゃり。
 握り潰す。


 声を出す暇も無く握った首を折って肩を掴んで下に押しやれば、首から上を残して胴体は冷たい床に崩れた。
 血が吹き出して泉沈の髪を、顔を、身体を汚す。
 鉄の臭いが鼻孔を突いた。

 首を放り投げればぐしゃっと鈍い音を立てて少しだけ転がった。

 泉沈は無表情だった。
 ただの赤い液体を流すだけの肉塊と化した兵士から視線を扉へっ流し、右足を上げて強く蹴りつけた。
 鉄製の扉はいとも簡単に吹き飛んだ。轟音を立ててぶつかった格子を折った。

 中は牢だ。
 幽谷はここに囚われている。
 どうしてそんなことになっているのか、幽谷の思考は本当に分からない。幽谷とは違い、《彼女》は結構単純で分かりやすいのに。

 彼は扉があった場所を抜けて、一つの牢の前に立った。手を振ると火も無いのに部屋が一気に明るくなる。

 そこには信じられないものを見るかのような幽谷の姿。


「今晩は! 久し振り、幽谷のお姉さん!」


 にぱっと笑って格子を破壊した泉沈の姿に幽谷は眉根を寄せた。


「泉沈……あなた、」

「あ、これ? 面倒臭かったから殺しちゃった。大丈夫だよ。皆にはバレてないから」

「そういうことではなくて……」


 憤りの滲む幽谷の言葉は黙殺し、彼女の枷を全て破壊してやる。


「帰ろ!」

「……、……私はここにいるわ」


 幽谷はゆるりとかぶりを振る。

 泉沈は首を傾けた。


「何で? こことっても埃臭いし、劣悪な環境だよ」

「曹操殿のことが気がかりだから。関羽様に何かしら害があってはいけないもの」


 ここでも関羽か。
 心の中で舌打ちする。
 《幽谷》の自我は非常に厄介だ。
 とても扱いにくい。

 泉沈は頬を膨らませて幽谷の前に座り込んだ。


「そんなに関羽のお姉さんが大事?」

「ええ。私の主人だから、当然よ」

「……でもね、そんな関羽関羽言われてると、こちらとしては困っちゃうんだよ」


 困って困って――――破壊したくなる。
 笑顔のまま低く呟くと、幽谷がえっとなって泉沈を呼ぶ。


「あのね、幽谷のお姉さん。一つだけ教えて上げる。……《君》は元々要らない存在だったんだ。邪魔しないでもらえるかな、偽物風情が」


 幽谷が目を剥いた瞬間である。
 泉沈は彼女の頭を、髪を掴んで石造りの床に思い切り叩きつけた。
 何度も、何度も。力一杯叩きつけた。
 その程度で四霊の身体が死なないことは身を以(もっ)て知っているから、容赦なんてしなかった。

 やがて灰色に緑が混ざった床が赤黒く染まった頃に幽谷の頭を右に放り投げると、彼女の身体はもうぴくりともしなくなってしまった。けれども息はしている。四霊だもの。


「紛い物が、本物のように振る舞わないでよ。ムカつくだけだから」


 君が生まれなければこんなに苦労することなんて無かった筈なんだよ。
 冷たく幽谷を見下ろし、その身体を肩に担ぎ上げる。そうしてゆっくりと歩み始めた。

 扉に座って泉沈の様子を黙って見守っていた星河も、彼が通り過ぎた後に腰を上げて身を翻す。


「まったく……困っちゃうよ。関麗にも関羽にも犀煉にも、虚像に過ぎない君にも」


 四霊はただ与えられた使命を果たせば良いだけ。
 それ以外に存在価値は無い。使命を果たそうとしなければ存在意義は生まれない。

 四霊と、この世界の全ての生き物とは、全く違うのだ。


 だから、自分もかつて――――。


「何処に行くつもりだ」


 暗い廊下の静寂(しじま)に響く玲瓏(れいろう)たる声。

 泉沈は片目を眇めて足を止めた。
 柱の影から現れたのは曹操だ。彼には闇が良く似合っている。姿にも、心にも。

 泉沈は微笑を浮かべた。


「今晩は、紫のお兄さん。こんな時間まで精が出るねー」

「幽谷を何処に連れて行くつもりだ」

「紫のお兄さんには関係ないじゃーん」


 冷たく突き放した。だが、未だ笑顔を浮かべたままだ。

 曹操は目を細め――――剣を抜いた。
 鋭利な切っ先を泉沈に向けた。


「何、これ」

「幽谷を置いていけ。それを放っておくことは出来ぬ」

「いーやー。幽谷のお姉さんは、僕に必要なんだもん。関羽のお姉さんのもとに置いていたら、役に立たなくなっちゃうでしょ?」

「……何?」


 どういうことかと視線で問いかけてくる。
 けども、泉沈が答える筈がない。


「だから駄目なの。幽谷のお姉さんには、僕や天帝の為に活躍してもらわなくっちゃ。……あ、違うね。幽谷のお姉さんが役立つんじゃないや、この身体の本当の持ち主が活躍するんだった。なのでー…………矮小な存在が邪魔しないでよね」


 泉沈の声が低くなり、目が細まる。

 直後、一瞬であった。
 曹操の手にした剣の刀身が、独りでに粉砕してしまったのだ。

 曹操は瞠目した。


「な……っ」

「四霊の前では、君達人間はただの芥(ごみ)なんだよ。今は勝手にお邪魔しちゃったお詫びってことで殺してあげないから――――失せろ」


 それは拒絶を許さぬ命令である。
 泉沈は歩き出した。じゃり、と刀身だった粉が耳障りな音を立てる。

 曹操の側を取りかかった瞬間、彼の身体は何かに弾かれるように押された。よろめきつつも倒れはせず、泉沈を驚愕の滲んだ目で凝視している。
 本当はその視線すらもウザったいのだけれど――――今回は見逃そう。

 今は幽谷をどうにするのが先決だから。


 泉沈は、暫く歩いたところで札を銜えた。



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