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 夏侯惇の報告を聞いた曹操は、驚きつつも冷静で、害が無いようであれば暫く様子を見るようにと指示を出した。慎重な意向だ。
 夏侯惇はそれに従い、見張りの兵士に定期的に四凶の様子を夏侯惇に報告するよう伝えた。

 本当は自分が確認出来れば良いのだろうが、如何せん自分も暇ではない。いつ袁紹他、各国の群雄が動き出すか分からぬこの乱世の中、気が気でない。

 それを思えば、最近何かと暇を作って砂嵐を訪ねる関羽に対し、憤りを感じた。
 彼女には、曹操軍の将たる自覚が無いのだ。
 日々の鍛錬を欠かしはしないが、どうも彼女は、今周囲が緊迫していることをいまいち真摯に受けて止めていないように思える。
 まあ、平穏な暮らしをしていた十三支というのなら、意識に差があるのも無理は無いかもしれない。それはあの白い十三支を見ていれば分かる。

 袁紹軍との戦では、彼女の戦法には舌を巻いた。
 だが、こうも城に不在である時間が長いと、いい加減苛立ってくる。
 あの四凶とは大違いだ。
 一切の人間を警戒して十三支を守ろうとしていた彼女の姿を思い浮かべて、舌打ちする。

 前髪を掻き上げて思考を中断した。今はそんなことはどうでも良い。

 とにかく、周囲の動向の他にもう一つ――――いや、それよりも懸念すべきことが増えた。
 いつにも増して気を張り詰めなければならないだろう。四凶が今あのような状態にある以上、曹操の身柄の安全こそ第一だ。

 兵士に怠るなと釘を刺し、牢屋を後にした。


「すまん、待たせたな。夏侯淵」

「いや。兄者、また四凶の様子を見たのか?」

「……いや、兵士に任せてある。何かあればすぐに報せに来るだろう。俺達は鍛錬に向かうぞ」

「分かった」


 何かあれば――――自分でも、その言葉に言い知れぬ、剣呑なモノを感じてしまう。
 四凶があそこまで成長した姿を見たのは、あの幽谷という女が初めてだ。
 それから犀煉、泉沈と、まるで幽谷に引き寄せられたかのように夏侯惇達の前に姿を見せた。

 四凶とは一体何なのか。
 何の為に生まれたのか。
 最近になって、ままにそんなことを考えるようになった。
 四凶に勝てなければ至高の武とは言えぬ――――そう思い始めたからだろう。

 四凶の身体能力は十三支すら遙かに越えている。
 虎牢関でまざまざと見せつけられた圧倒的な力量。
 人の域を越えた存在感。

 そしてかつて彼女の右腕に確かに感じた、肌に張り付いたような堅い異物。

 蔑み排他するだけだった四凶という存在自体を、夏侯惇は疑問視するようになっていた。


「しかし、四凶ってのは本当に不気味だな。あれが死体だったら、どんなに良かったか……」

「……」

「兄者?」

「……」

「兄者!」

「っ、……ああ、すまない。何だ?」


 いつの間にか思考に没頭していたようだ。
 胡乱げな夏侯淵に何でもないと首を左右に振って、彼は歩を早める。

――――されど、その歩みは角を曲がったところで止まってしまった。


「あら、夏侯惇」


 部屋に入ろうとしていたらしい関羽が、扉に手をかけたまま夏侯惇達に声をかけた。

 だが夏侯惇の視界に彼女は映ってはいなかった。彼が捉えているのは彼女の後ろに佇んだ女性だ。
 その独特のかんばせに、夏侯惇は見覚えがあった。というより、つい最近見たばかりだ。


「お前、薬屋の……!」

「あ、えと、はい」


 女性――――砂嵐は、申し訳なさそうに眦を下げた。彼女が謝罪と共に頭を下げると、いつもとは違う、団子を作って束ねられた髪がさらりと落ちた。よくよく見れば、団子になっている部分には銀の簪(かんざし)が挿してある。
 いつも簡素な姿であったのに、今の彼女は髪をいじっているだけで随分と女性らしい魅力を湛えている。

 どうしてそのような髪型に――――いや、それ以前にどうして彼女がこの城の中にいるのだ。

 そこで初めて関羽を見やれば、彼女はそうだと何かを思いついたようだ。
 砂嵐の後ろに回ってずいっと二人の前に突き出した。

 慌てたのは砂嵐だ。夏侯惇と近くで目が合った瞬間ぼんっと顔を赤くして弱り切った声で関羽を呼んだ。


「良いじゃない! わたしだけじゃなくて色んな人に見てもらった方が良いわ!」

「い、いえ私はただ簪を……!」


 関羽の手を振り解くと彼女の後ろに隠れてしまう。恥ずかしそうに伏せ目がちになった彼女は、以前この城に押し掛けて今もなお堂々と滞在している夏侯惇の見合い相手よりも――――。


「……っな、何故薬屋の娘がいるんだ!」

「す、すみません……!」


 関羽を怒鳴ったつもりが、砂嵐が飛び跳ねて萎縮し、関羽の背後から平謝りをする。泣きそうに顔が歪んだ。

 そんな彼女を見ていると、何故か罪悪感が芽生えた。


「いや、お前に言ったのではなく……っ」

「平民が曹操様の城に入ってくるんじゃない。すぐに出て行け」


 狼狽えた夏侯惇の横から、夏侯淵が砂嵐をキツく咎めた。
 砂嵐は「はい」と頷いて深々と頭を下げる。夏侯淵を見上げた瞬間、その眼光に怯えたようにすぐに俯いてしまう。


「ほ、本当に申し訳ありません。すぐに帰りますので……!」

「あ、砂嵐!」


 夏侯淵から逃げるように駆け出した砂嵐に関羽が慌てて呼び止めるも、彼女はそのまま回廊を曲がってしまった。


「おい! 勝手に……!」

「夏侯淵、砂嵐を威圧しないでちょうだい! 折角可愛く出来たのに……」

「なっ……、オレが悪いのか!?」

「とにかく追いかけないと!」


 関羽が彼女を追いかける。

 夏侯淵は不服そうに眉根を寄せた。彼はただ注意をしただけだ。この城は曹操の居城なのだ、彼女のような平民――――しかも身元も知れぬ放浪者となれば、怪しさが目立って門をくぐることが許される筈もない。夏侯淵の判断は正しい。

 けどもそれを分かっていても、夏侯惇はまた罪悪感を抱いてしまうのだ。何もあのようにキツく当たらなくても、と思ってしまう。それこそが誤りだと分かってはいるのだが。
 自分が思うよりも疲れていて、まともな判断が下せない状態にあるのかも知れない。

 ゆっくり休んでいた方が良いのかもしれないが、それはこの状況が許さない。
 気合いが足りないのだろう。これでは意識の低い関羽に強く言えないではないのか。
 今日の鍛錬で意識を高めておこう。


「夏侯淵、もう行くぞ」

「良いのか?」

「後はあいつが連れ出すだろう。俺達は俺達のやるべきことをやろう。俺達が警戒すべきなのは、袁紹だけではないのだからな」


――――とは言うものの。



 砂嵐があの後城を出られたのか気になってしまうのは、何故だろうか――――。



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