23
長らく行方をくらましていた四凶が捕らえられたとは、夏侯惇達にも知らされた。勿論、関羽には言うなとの箝口令(かんこうれい)と共に。
四凶の様子を見に夏侯惇は夏侯淵と共に牢屋を訪れた。
念の為見張りの兵士が配置されているが彼女に対してはさしたる効果も望めぬ。四凶幽谷の人智を超越した武力は、夏侯惇もこの目でしかと見ていた。
それ故に彼女の現在の様子を見ておきたかった。
軋みを上げて開けられた扉の向こうは埃っぽく黴(かび)の臭いが不快だ。
一瞬眉根を寄せた夏侯惇は、兵士に案内されて彼女の収容された牢の前へと立った。
彼女はうなだれていた。
膝を揃えて座し、力尽きたかのように前のめりになっている。微動だにしないように思えるのは、この部屋が窓すら無い暗い場所だからであろうか。
「おい」
声をかける。
反応は無い。
夏侯惇は顔をしかめて兵士を振り返った。
「四凶の様子は、朝からこうなのか」
「は、はい。早朝に様子を見た際にはすでに何の反応もしなくなっておりまして……寝ているのかと思っていたのですが、やはり不自然だと感じてはおりました」
それでいて何もしないでいたのは、四凶に対する恐怖心に他ならない。虎牢関での殺戮は、夏侯惇も未だ記憶に鮮明に残っている。
「兄者。どうする? あの四凶が簡単にくたばると思えないが、曹操様に報告するか?」
夏侯惇は四凶を見据え、兵士を呼んだ。
「……牢を開けろ。近くで確かめる」
「し、しかし……相手はあの化け物ですぞ」
「心配は要らん。俺とて曹操軍の将だ。四凶に後れをとる筈もない」
夏侯淵も共にと一歩踏み出すのに頷き、兵士を促した。
四凶に後れをとる筈もない――――それが間違った認識であるとは当然分かっている。
自分はこの女の足元にも及ばぬ。十分すぎる程に分かっている。
――――だからこそ、彼女の生を確かめたかった。
「……分かりました。ですがお気を付け下さい」
「ああ」
兵士が鍵を開けると、その場からさっと離れる。
それに片手を上げて礼を言い、夏侯惇は扉をくぐった。
徐(おもむろ)に四凶に近付くと、彼女の手足を拘束する枷についた鎖が壁に繋がれている様が見えた。
足音が聞こえているだろうに、彼女は本当に反応を示さない。事切れたかのように沈黙を続けている。
「おい、四凶」
応えが無い。
それから数回呼んでも、彼女は全く動かなかった。
夏侯惇は夏侯淵と顔を見合わせた。これは、『まさか』の事態かもしれない。
夏侯淵が四凶に近付いて彼女の頭を蹴りつけた。さすがに咎めたが、どさっと彼女の身体が倒れたのに二人揃って彼女を見やった。
倒れたことで四凶の顔が露わになる。
色違いの双眸は片目を眼帯で隠し、瞼が下ろされている。
眼帯の形状に、彼らは見覚えがあった。
袁紹軍との戦の際、犀華が付けていた物だ。
「あの女はやはり四凶だったのか……!」
「だがどういうことだ? あんなにも別人で……曹操様が捕らえた時犀華の名前を出したが、特に反応は無かったと四凶を捕らえた兵士に聞いた。……まさかこいつは二重人格なのか?」
四凶の側に膝をつき、眼帯を外そうと手を伸ばす。
だが、その時肌に触れた指に感じたそれにぎょっと手を引いたのだ。
「兄者?」
「……冷たい」
再び触れてみると、氷のような冷たさ。
――――体温が、無い!
夏侯惇は咄嗟に四凶の身体を抱き上げて胸に耳を押し当てた。
……。
……。
……聞こえる。
鼓動は、聞こえる。
だが感じた冷たさは死人のそれだ。
……どうなっている?
夏侯惇は戦慄した。
鼻に手をかざせば、微かながらに呼吸も感じた。
彼女は生きている。
だが、死んだようにもなっているのだ。
だらりと垂れた右腕に目が行った。
それを見た瞬間咄嗟に上腕を鷲掴みにした。
無い。
あの堅い感触が無い。
服の上から掴んでもしっかりと存在を主張していたあの異物が!
あれは気の所為だったのか? ――――いいや、そんな筈は無い。確かにあの感触はあった。服の上からもはっきりと分かった、肌に張り付いたような感触。
一体この女に何が起こっているというのか。
夏侯惇のこめかみを一筋の汗が伝った。
ぞわりとうなじの辺りが冷えた。
そんな彼の心中など知る由も無い夏侯淵は、夏侯惇の様子に首を僅かに傾げた。
「兄者、どうした?」
「四凶の身体が、まるで氷のように冷たい。だが息もしているし、鼓動も聞こえる」
「……は?」
夏侯淵が怪訝に眉を顰(ひそ)めた。
「どうなっているんだ……」
「どうなってるって……どういうことなんだ兄者。言っていることがよく分からない。取り敢えず、四凶は生きてるんだな」
「……ああ」
生きているには、生きている。
あまりにも体温が低いだけ。
だがこれは看過して良いものではない。
「……曹操様に、知らせなければ」
「兄者?」
これは異常だ!
夏侯惇は夏侯淵を鋭い声音で呼ぶと、すぐに立ち上がって牢屋を飛び出した
兵士が何事かと問いかけてきたが、それに構う余裕は、彼には無かった。
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