「十三支が黄巾賊の味方ならば……村を滅ぼすしかない」

「黄巾賊と関係ないと証明できぬのなら仕方のないことだ。数万の軍が村を囲み連日連夜攻撃を仕掛ければどうなるか」

「お前たちの力を私に貸せ。より多くの黄巾賊を討伐するのだ!」

「一晩だけ時間をやろう。明日私が来るまでにどちらにするか選ぶことだな」



 唐突に現れて兵士達を一喝で黙らせた人物は、名を曹操と言った。
 彼は言いがかりも甚(はなは)だしい自分勝手な命令を猫族に強いた。黄巾賊がいなかったという証は確かに無い。されどいたという証明も彼らには出来ない筈だ。
 好き放題言われていた時、そう言い返そうとしたのだが、関羽に止められてしまった。

 恐らく気の短すぎる夏候惇を警戒したのだろう。四凶(じぶん)が話しただけで起こるなんて、気性が激しすぎる。

 曹操に与えられた一晩という猶予。
 彼らは一堂に会して、今話し合っているだろう。

 幽谷は村の外にいた。野原に立って、離れた場所に野営する曹操軍を見張っていた。
 じっと微動だにせずに窺う。

 兵士達はもう気付いているだろう。だが曹操が止めているのか何も言ってこない。


「数万の軍勢……ね」


 仮に襲われても、幽谷には連日連夜殲滅せしめる自信があった。相手が軟弱な人間であれば、すぐに一万も数万も殺してしまえる。

 されどそれをしないのは、偏(ひとえ)に関羽や猫族の為だった。
 彼らの平穏な世界を、血で汚したくはなかったのだ。

 だから、代わりに軍の動向を見張っている。


「今のところは動きは無し……曹操の言葉通りね」


 しかしまだ彼が信用できるなど言い切れない。だって人間だもの。
 今宵は、夜が明けるまでここで見張っていよう。

 と、一人頷いた時だ。


「幽谷!」


 村から駆けてきたのは関羽だ。
 幽谷は身体ごと彼女に向き直り拱手(きょうしゅ)した。

 すると関羽は頬を膨らませた。


「幽谷。二人の時はそんな態度取らないでって言ったでしょう?」

「……そうだったわね」


 「ごめんなさい」幽谷は笑った。
 そう、関羽と二人の時は敬語で話してはならないと決まっていた。
 それも人間らしくする為の、修行の一環なのだそうだ。


「何をしているの?」

「見張りよ。曹操が何を考えているか分からないから、その時に備えて、ね」

「でも、寝た方が良いわ」

「私のことなら気にしないで。一日二日の徹夜には慣れているから」


 幽谷の身体は、まだ暗殺者としてのそれと何ら変わり無かった。
 後ろに立たれると無意識に武器を持ってしまうし、こんな夜の世界でも、人の気配ははっきりと察することが出来る。

 暗殺の生活の中では、徹夜なんていつものことだった。
 だから、たった一日徹夜したからといって大した負担にもなりはしないのだ。

 されど関羽は心配そうに眉尻を下げた。彼女も他の猫族も、今では人として自分を心配をしてくれるのだ。この場所が、幽谷にはとても心地良かった。

 幽谷は微笑を浮かべたまま、関羽の頭を撫でた。こんな仕草ですら出来るようになった自分が嘘のようだと、数年経っても思う。


「関羽、猫族の総意はまとまったの?」

「曹操に従うことにしたの。理不尽だけれど、今のわたしたちには証明することは出来ないから」


 やはり、そうか。
 彼女達のその決断を、幽谷も予想しなかった筈もなかった。
 猫族の繋がりは、恐らく人よりも強い。だからこそ、猫族の村を守る為に何を選ぶのか……まだ数年しか付き合いの無い彼女でも分かることだ。


「そう……、関羽。あなたも、猫族の皆様も、必ず私が守るから」

「でも幽谷が頑張りすぎてしまうわ」

「何てことは無いわ。それに……あなた達に人殺しをさせたくないもの」


 ぴくり。
 関羽の耳が振るえた。

 彼女ら猫族は身体能力は人間よりも高い。
 されど、彼らは人を殺めたことは無かった。

 黄巾賊討伐に参加することは、その黄巾賊を余さず殺さねばならぬということなのだ。
 半端な覚悟で参加できる程戦は甘くない。

 それでも幽谷は、彼らに人を殺めて欲しくなどなかった。彼らが血に汚れるくらいならば、むしろ自分が全ての血を被ってやろう。どうせ自分は四凶。存在自体が穢(けが)れなのだから、どれだけ汚れようと構うことなど無い。


「幽谷」

「穢れは私が負うべきもの。あなた達は負ってはならないわ」


 頭から手を離し、関羽の手を握る。彼女の手は優しい。そして温かい。
 私が、彼女らを守らなければならない。
 ……何を賭しても。


「……でも」

「私は大丈夫よ。猫族の村に来る前は、暗殺で食いつないでいたのだから。そう、一時だけ、昔に戻るだけ」


 大丈夫。
 その言葉を繰り返し囁いた。

 けれど、それでも関羽の顔は暗い影を落としたままだった。

 私如きの為に、そんな顔をしなくても良いのに。
 そう言おうとしたが、彼女は口から出る前、喉元で言葉を呑み込んでしまった。

 言ってしまえばきっと、彼女は優しいから怒り出してしまう。


「……わたしはやっぱり嫌だわ。幽谷がわたしたちの為だけに昔のあなたに戻るだなんて。幽谷にはもっと人として生きて欲しいのに」

「あなたは優しいわ。あなたがあなたでいる限り、猫族が猫族である限り、私はあなた達の側では人になれるのよ。だから、私の為に私に守られていて。人を殺す悲しみと業は、私が全て背負うから」


 手を離し、「あなたはもう寝なさい」と関羽の身体を反転させ背中を軽く押した。
 関羽は渋りながら、何度も促されて後ろ髪を引かれるようにのろのろと歩き出した。

 たまに振り返る彼女が可愛くて、笑みが零れる。


「……本当に、優しい人だわ」


 汚してはいけない。
 そう改めて思う。

 ふと、彼女は左手にはめられた金の腕輪を見下ろした。
 腕輪には細い長方形の蓋のような物が六つ程付いていた。そこを開ければ、六種の毒薬が隠されている。刃の刃を入れてさっと通せば毒が付く。

 暗殺をより効率的にと考えた末、幽谷が自身で作った物騒な腕輪である。
 毒も全て幽谷にしか作れないものだ。解毒剤も然(しか)り。

 捨てなくて良かったと思う。
 本当はもう使わないつもりだったのだが、戦に出るのならば、近いうちに使わねばならぬ時が来るかもしれない。

 幽谷は腕輪をそろりと撫で、ほうと吐息を漏らした。



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