18
二人が覚醒するのを待ちながら、恒浪牙は薬を作っていた。
彼らはさすがに砂蘭と同じく寝台に寝かせる訳にもいかないので、恒浪牙の外套を広げて横に並べて寝かせた。
先に目を覚ましたのは夏侯惇である。
ゆっくりと焦点を定まらせ、恒浪牙を見上げる。眉間に皺が寄った。
「お目覚めですか」
「ここは……っうわぁ!?」
何処だと問いかけようとした彼はしかし、すぐ横で関羽が眠っているのに気が付いて大仰な程に驚きその場を離れた。
恒浪牙がくすくすと笑えば、薄く頬を赤らめて誤魔化すように口を開いた。
「ここは何処なんだ」
「私と砂嵐が寝泊まりさせていただいている宿屋です。砂嵐をこちらまで運んでいただきました折に、私が作成しておりました薬を誤って落としてしまいまして、偶然砂嵐を訪ねて下さった関羽さん共々吸われたんです。暫く昏睡していらっしゃったんですよ。いや、申し訳ない」
言いながら眦を下げる彼に、夏侯惇は承伏しかねるような顔をする。
それは無理も無いことだ。ここに来た記憶も、薬が散乱したそれは無いだろうから。
一応、夏侯惇は恒浪牙の店に来た時点よりの記憶の一切を消去していたのだった。
恒浪牙は苦笑しながら立ち上がり、夏侯惇の前に膝をついた。一言断って、目元に触れ、下に引いて目の様子を覗き込む。続いて首に手を当て、脈を診る。
「問題はありませんね。まあ、ただの睡眠薬でしたし、人体に何の影響も無いようです。ただ、少々記憶が飛んでおられるようですが、気にすることは無いでしょう」
「……そうか」
「本当に申し訳ありません」
「いや、良い。事故だ」
砂嵐の方を見やり、「彼女は?」と。
彼女もまた気を失っていた状態で薬を吸ってしまったと思われるので、暫くは起きないだろうと教えた。恒浪牙とは違い、彼女も薬の類は良く効くからとも。
「お前には効かないのか」
「ええ。昔から、薬は全く効かぬ体質で。元々はそれをどうにかする為に、私は薬売りを始めたのですよ」
恒浪牙はそこで関羽の肩に手を置いて揺さぶった。
すると、さして時間もかからずに彼女の瞼が押し上げられる。
「う……あ、ら? 恒浪牙さん?」
「目を覚まされましたか、関羽さん」
「あの、わたし……」
「すいません。私の薬を吸われたようで、夏侯惇将軍と一緒に昏睡されていたのですよ」
関羽については自分と夏侯惇が戻ってきた後からの記憶を消している。それで問題は無いだろうと判断したのだ。
身を起こした関羽は恒浪牙の言葉を信じ込み、恒浪牙の謝罪に頭を下げた。
「こちらこそごめんなさい。とんだご迷惑をかけてしまって……」
「いいえ、いいえ。元はと言えば私の管理が徹底していなかったからです。少々失礼致しますね」
恒浪牙は笑って関羽に手を伸ばした。
夏侯惇と同様に関羽の調子を診、こちらにも異常の無いことを確認した。……まあ、記憶が無い以外に異常がある筈もないのだけれど。
恒浪牙にまた頭を下げて関羽は立ち上がった。
「お二人共、今日は戻られた方がよろしいでしょう。毒ではないとは言え、大事を取って休まれて下さい」
「ええ。そうするわ。夏侯惇も、そうしましょう」
夏侯惇は渋面を作って砂嵐を見つめていた。何かを思い出そうとしているのか、時折遠い目をして唇を動かす。
「夏侯惇?」
「……いや、何かを忘れているような気がするのだが、思い出せない」
「きっとその内思い出せますよ。薬の所為で一時的に失っているだけでしょうから。どうか、今は無理をしなで下さい」
恒浪牙がそう諭すと、彼は顔をしかめたまま頷いた。
……内心、冷や汗ものだ。もしかしたら何かしくじったのではないかと、胸中にて不安が首を擡(もた)げた。
「申し訳ありませんが、また後日、店にいらっしゃって下さい。その時には、薬の管理は徹底しておきますので」
冗談混じりに言って、彼は二人に頭を下げた。
今度は夏侯惇も頷いて砂嵐を一瞥した後ゆっくりときびすを返した。恒浪牙の勧めに応じて、すぐに思い出すことを止めたようだ。
それに安堵し恒浪牙は二人を見送ろうと、彼らの後に続いた。
部屋を出る前に一旦立ち止まり、ふと窓を振り返る。
そうして――――悲しそうに笑うのだ。
‡‡‡
城に至ると、関羽は夏侯惇と別れ、一人曹操の私室へと向かった。
今回砂嵐に用があったのは、曹操に貰った茶を彼女にもご馳走したかったからだ。薬のお礼もあるし、この国での初めての女友達だからもっと仲良くなりたいという思いがあった。
それに――――やっぱり彼女は、姿は全く違うのにその仕草の一つ一つが幽谷を彷彿とさせる。
砂嵐といると、幽谷が側にいてくれるような、そんな気がするのだ。
砂嵐が幽谷の代わりということは決して無いが、それでも彼女に幽谷の姿が見えると不安がほんの少しだけ落ち着いた。
だから、こうして頻繁に二人の店に行ってしまうのだろう。
……そんなことは、砂嵐には絶対に言えない。
「曹操、いる?」
扉の向こうに声をかけると、応えがあった。
開けて入れば、彼は書簡を読んでいる最中だった。
まだ無理をすると身体に触るのではないかと思うけれど、注意しても彼は聞かないので、敢えて何も言わずにおく。
「ごめんなさい、曹操。少し遅くなってしまって」
曹操は書簡から目を逸らさない。
「構わん。それよりも、最近とみに市井に出るが、お前も薬屋に行っているのか」
「ええ。あそこの傷薬は本当に効くのよ。夏侯惇達も使っているんですって。それに、薬売りの妹さんと仲良くなれて……彼女、何処か幽谷に似ているの」
ぴくり。
曹操のこめかみが震えたように思う。されど彼の双眸が関羽を認めることは無く。
「どうしてかしらね。見た目はあんなに違うのに」
「……また、幽谷か」
「え?」
今、何か言った?
聞き返すが、彼は嘆息を漏らすのみ。
「……今は忙しい。今日はもう退がれ」
「え? ええ……分かったわ。ごめんなさい」
……何故だろうか。
曹操の様子が、少しおかしくなった。
関羽は曹操の言葉に従って扉に手をかけ、彼を肩越しに振り返った。
さっきまでは、ただ書簡を読んでいただけだ。
なのに……どうしてか、今は機嫌が悪くなっている。
幽谷の話題を出したからかしら?
関羽は曹操が睨んできたのに慌てて部屋を飛び出した。
「曹操ったら……犀華のことをまだ気にしているのかしら」
幽谷と、犀華。
同一人物なのか、全く違う人物なのか……それが分からないから、今は彼女の話題を出さぬようにした方が良いのかもしれない。
そういえば、まだ報告は上がってきていないのだろうか。
今度、機嫌が良い時に訊ねてみよう。
関羽は曹操の部屋を一瞥し、一つ頷いた。
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