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 通り雨が止んだ後に、関羽は恒浪牙のもとを訪れた。
 いつもの場所にいなかったので、人に聞いて宿屋まで行った。
 夏侯惇が恒浪牙のところへ行ってから戻らないと、兵士から聞いて呼びに来たのだ。

 恒浪牙は朗らかに彼女を招き入れた。

 夏侯惇のことを訊ねると、恒浪牙は申し訳なさそうに砂嵐を迎えに行ってくれたのだと、謝罪を含めて話してくれた。
 仕方がないので恒浪牙が淹れた茶を飲みつつ、二人を待つことにした。

 恒浪牙は店を出す場所へと出ている。通り雨があまりに酷かったので店を畳んだのだが、彼らはそのことを知らないからそこで待っているのだそうだ。

 自分の間が悪く、何だか申し訳なかったが、むしろ荷物の番をしていてくれるのはありがたいと言われて部屋に残されているのだった。

 しかしこの部屋、二人で使うにしては広さは十分だろうが、寝台が一つしか無い。
 一人が床で寝ているようだ。多分、恒浪牙だろう。彼が義妹を床に寝させるなんてことをするようには思えなかった。
 部屋の隅には大きくて黒い衣装箱がある。薬売りの荷物としては、少々不自然だ。持ち運ぶのには不便だろうに。

 何が入っているのかと興味を持って衣装箱に近付いて、蓋に手をかける。
 されど、そこで止めた。


「って、人様の私物を覗いちゃ駄目に決まってるじゃない……!」


 一時の好奇心に流されかけた自分を叱咤して、関羽は元いた場所に腰掛ける。
 もしかしたら、薬を作る為の道具が入っているのかもしれない。きっと種類が沢山あって、あの箱でなければ収納出来ないのだ。
 運搬方法は、恐らくは馬だ。でなければ、あんな大きさの箱、運べまい。

 茶を手に取って、関羽は一口飲んだ。


――――その時である。


 がた。


「え?」


 物音が、した。
 ……衣装箱から。
 関羽は首を傾げた。

 何か、道具が落ちたりしたのだろうか。
 再び茶を置いて衣装箱に近付く。

 されど、もう物音は聞こえなかった。

 ……気の所為、かもしれないわね。
 彼女は、そう結論づけた。



‡‡‡




 恒浪牙は、思いの外早く戻ってきた。
 が、彼のかんばせは蒼白だ。激しい焦燥が窺えた。

 その意味を、後ろに続く夏侯惇を見て理解した。


「え!?」


 夏侯惇の腕には砂嵐が抱えられていた。力無くぐったりとした彼女は、顔色悪く、唇も紫だ。
 関羽はざっと青ざめた。


「ど、どうしたの!?」

「すみません。話は後に。取り敢えず関羽さん、砂嵐の服を着替えさせていただけますか」


 本当は自分がしたいのだろうが、砂嵐は女だ。
 同性の関羽にさせた方が良いと判断したのだ。
 荷物の中から彼女の物らしい衣服を取り出し、関羽へと差し出した。

 関羽は即座に了承した。服を受け取り、大きく頷いた。


「分かったわ」

「ありがとうございます。……ですがどうか、何を見ても驚かれないで下さいね」

「え?」


 「よろしくお願いします」と恒浪牙は頭を下げて夏侯惇に目配せした。

 夏侯惇は砂嵐の身体を寝台に横たえると、何故か恒浪牙に厳しい猜疑(さいぎ)の眼差しを向けた。今にも切りかかりそうな気迫だ。
 恒浪牙は、それを真摯な顔で受け止めている。

 関羽が間に流れる剣呑な空気に眉根を寄せたが、二人は無言の応酬の後衝突することは無く足早に部屋を出ていった。
 扉が閉められたのを確認し、砂嵐に向き直った。先程の二人の様子が気になるが、今は砂嵐だ。早く着替えさせないと、これ以上体温が下がっては危ない。

 ぴたりと頬に触れれば氷のような冷たさにぞっとした。
 彼女に一体何があったのだろう。
 こんな冷たくなることなんて――――。
 関羽は砂嵐に声をかけながら服を脱がした。声をかけることで、彼女の意識が快復すれば……。



 愕然。



‡‡‡




「え……」


 何、これ。
 関羽は言葉を失った。
 信じられないとでも言いたげに見開かれた彼女の目は、砂嵐の肩に向けられていた。

 肩には――――球体が埋まっていた。否、関節が球体になっているのか。
 触ってみると、それは木材のようだ。関節部分だけが、木材。他は普通の軟らかい肉だ。ただ――――関節の付近は堅い。
 腕と胴を繋ぐ、明らかに人工的な物。

 人間の身体では、ない……?


「そんな、嘘……!」


 関羽は咄嗟に砂嵐の胸に耳を押し当てた。


 とくん。

 とくん。

 とくん。


 心音はあるじゃないか。しっかりと命の鼓動が聞こえてくるじゃないか!
 だのに、どうしてこんな身体なの!?
 服を全て脱がせば、関節は全て球体で、それが各部位を繋げていた。

 およそ、人間の身体ではなかった。


『何を見ても驚かれないで下さいね』


 脳裏に流れたのは先程の恒浪牙の言葉だ。


「さっきの言葉、このことだったのね……」


 ……聞かなくちゃ。
 砂嵐の身体のこと。
 そして、恒浪牙のこともちゃんと。
 扉を睨み、関羽は新しい衣服に手をかけた。



‡‡‡




「終わったわ」


 関羽が部屋に二人を招くと、夏侯惇は荒々しく恒浪牙を押し込みその喉元に剣を突きつけた。

 恒浪牙は何処か遠い目をしている。


「これはどういうことだ。何故人の身体をしていない!?」

「あー……まあ、そうですねえ……」


 また怒られてしまうなあ。
 うんざりしたように彼は独白する。夏侯惇の言葉が耳に届いているのか、怪しいところだ。

 夏侯惇は舌打ちして彼を乱暴に押し飛ばした。


「いたた……」

「貴様は一体何者だ! 何が目的で兌州に滞在する!!」

「目的はありませんよ。私はただ知り合いに頼まれただけですから」


 はあと嘆息をして彼は砂嵐に歩み寄る。
 その額をそっと撫でて、何かを呟く。

 直後である。


「――――あ……?」


 膝から、力が抜ける……?
 視界が下へと下る。
 何故だか、身体が思うように動かない。

 床に這い蹲(つくば)った関羽は恒浪牙を見上げ、目を瞠った。


「な、ん……!」

「貴様……呂布の……!!」


 恒浪牙の後ろ。
 そこに、金髪の優しげな笑みを浮かべた青年が佇んでいる。


 張遼、だ。


 そんな……今までそこには誰もいなかったのに……!
 愕然と彼を仰視する関羽に、張遼は口を開いた。


「お久し振りです、関羽さん」


 ですが、残念です。
 あなたはこのことを忘れなければなりません。
 彼の真綿のように優しく穏やかな声音は関羽の脳にじんわりと広がっていく。

 どうしてここにいるのか。
 どうして恒浪牙といるのか。
 問いかけたくても口が上手く動かなった。

 辛うじて、手を伸ばすくらいだ。

 夏侯惇の呻きが聞こえる。彼は必死に抗おうとしている。
 けれども、関羽と同じでままならぬ。

 恒浪牙が眦を下げた。
 吐息を漏らして片手を振る――――。



 瞬間、思考は真っ黒に塗り潰された。



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