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町中を歩いていると、不意に関羽が呼び止められた。
誰か――――少々目のつり上がった青年だ。
関羽と揃って振り向けば、青年は軽く瞠目して砂嵐を見やった。
砂嵐の見てくれに驚いたのかもしれない。砂嵐は謝罪も込めて頭を下げた。
「夏侯惇、どうしたの?」
「……お前の部下が捜していた。早く行け」
途端に関羽は眦を下げた。これから、砂嵐が美味しい食事の出る店へ案内するところであったのだ。
逡巡した後、砂嵐を申し訳なさそうに見上げ、頭を下げた。
「ごめんなさい、砂嵐。また今度」
「ええ。構わないわ。またいつか、行きましょう」
砂嵐は首を左右に振って笑いかける。
関羽はもう一度謝罪して夏侯惇と呼ばれた青年に向き直った。
「ありがとう夏侯惇。ごめんなさい、わざわざ……」
「薬屋に行くついでだ」
素っ気ない夏侯惇は、関羽から視線を逸らした。
この二人、あまり仲がよろしくないのだろうか。関羽は嫌っている様子は見受けられないけれど、夏侯惇は少々冷たい感じだ。
首を傾けると、夏侯惇が砂嵐に声をかけた。
「お前は、最近この町で有名な薬屋の娘だな」
「え? ええ、はい」
彼は、恒浪牙の薬屋に行くつもりだったのか。
砂嵐は緩く瞬いた。
「打ち身などに効く薬はあるか」
「はい。勿論、数種類程ございます。よろしければ、今からご案内致しましょうか?」
「ああ、頼む」
「じゃあ、わたしはこれで」
関羽は砂嵐に謝って、小走りに城へと戻っていった。あの可愛らしく華奢な姿で、曹操軍の武将という話だから、人は見かけによらぬものだ。
彼女の姿を見送り、砂嵐は夏侯惇に頭を下げた。
「では、こちらです。ええと……夏侯惇様、でよろしかったでしょうか?」
「ああ。すまない」
‡‡‡
「旅をしながら、材料を集めているのか」
「はい。そうやって作り貯めをして、到着した町で売り出すんです。勿論それだけでは足りないので、私と義兄が交代で近くの野山などに材料を採取に参ります」
薬屋まで歩きながら、二人はままに会話を交わした。話題は他愛もないものばかりだ。
軍や武術に関しては砂嵐は分からないので、ほとんど夏侯惇ではなく彼女が薬についての知識を話ばかりであった。
それでも夏侯惇は嫌がる素振りは無く、むしろ自分でも作れるからと、簡単なものの作り方などは熱心に聞いていた。
恒浪牙の薬は高くはないが、軍の人間ならば消費は早い筈だ。それなら、自分で作れるものは自分で作った方が良いのではなかろうか。
関羽と同じく曹操軍の武将だという彼の真剣な表情を見、砂嵐は一つ提案した。
「よろしければ、私が義兄に、幾つかの薬の作成方法を紙にまとめてお渡し出来ないか相談致しましょうか? 簡単なものしか許されないとは思いますが……」
「本当か? それは助かる」
ほっとしたように彼は笑う。
それに、砂嵐はふと胸に痛みが走るのを感じた。
一瞬だったから、さほど気にはしなかった。
「では、そのように」
「すまない」
「いえ。義兄から、お客様を気遣って商売をするようにと言われております故」
そう。金にならずとも、客が喜べばそれで良い。義兄はそのように商売をしている。だから、返金もするし作り直しもするのだ。
元々金に欲を持たない性格であるから、路銀に十分な金が集まれば彼としては満足なのだ。
それは砂嵐も同じだけれど、やはりある程度の管理はしている。さすがに、旅を続けるとなると後々衣服の調達なども必要になってくるからだ。その分は確保してしておきたかった。
話が材料の調達場所になると、夏侯惇は渋面を作る。
今、曹操軍は袁紹軍との小競り合いがある。曹操軍の武将である夏侯惇は、容易に城を離れる訳にはいかないのだろう。
恒浪牙から兌州の情勢について聞いていた砂嵐はそれを汲んで、夏侯惇に申し出た。
「よろしければ、私が採取に行った際に、夏侯惇様の分も採りましょう」
夏侯惇は面食らったように目を丸くして砂嵐を見やる。
「負担になりはしないか?」
「いいえ。それに、材料によっては毒草とよく似た物もございます。採り慣れた私が採って差し上げた方が、誤って間違った物を採取することも無いでしょうし。その代わり、やはりついでという形になりますので、大した量はお持ちになれないとは存じますが……」
「いや、それでも十分ありがたい」
謝罪と謝辞を述べる夏侯惇に、砂嵐は朗らかに首を横に振る。
彼らはこの兌州を守っている。兌州の誰もが曹操に深い感謝の念を抱いていると、町の人間と触れ合っていてよく分かった。
兌州の町でこうして商(あきな)いが出来るのも曹操のおかげということでもある。
きっと、曹操と言う男とは、素晴らしい人間なのだろう。
一介の孤児からすれば天上人にも等しい人だから会ってみたいとは思わないけれど、彼らの慕いようから曹操の人間性は窺える。
そんな曹操の為に日夜頑張っている夏侯惇達の役に立てるのなら、些細なことでも嬉しいものだ。
「では、まずは義兄に相談してみま――――」
「私が何だって?」
「きゃっ!」
不意に後ろで声が上がって、砂嵐は跳んで驚いた。
がばっと振り向き、全身から力を抜いた。長々と吐息を漏らした。
「に、義兄さん……」
悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべるその相手は、砂嵐の義兄。噂をすれば影、だ。
くすくすと笑う恒浪牙は、夏侯惇を見やった。
「いや、どうも。夏侯惇将軍ではありませんか。あなたのお話は、町の方々からかねがね」
特に女性から。
揶揄するように言って、恒浪牙は深々と一礼する。
夏侯惇は一瞬眉間に皺を寄せたが、すぐに会釈する。
「それで、私がどうかしたのかい?」
「あ、そうでした。義兄さんに一つ、頼みたいことがあるんです」
「ああ、構わないよ」
「えっ?」
何も聞かずして彼は了承した。
砂嵐は目を丸くした。まだ何も言っていないのに、そんな簡単に許可をして良いの?
まじまじと見上げてくる義妹に、彼は苦笑して顎を撫でた。
「私の薬の作り方をこの人に教えてあげたいのだろう? 私も、いつもご利用して下さる兵士の方に幾つかお教えした方が良いかと考えていたからね。将の方に記した紙をお持ちいただければ、兵の方々もご自分でご用意出来ましょうし……」
妹と考えていることが同じだなんて、嬉しいよ。
間延びした声で言う彼に、砂嵐は弛く瞬き、ふと呆れたように笑った。
だが、夏侯惇だけは、恒浪牙を僅かに険の滲んだ眼差しで見つめていたのである。
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