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砂嵐の足は、数日も経てばすっかり良くなった。
足が治るなり恒浪牙の手伝いを始め、元気の良い声で客を呼び込んだ。
彼女の可愛らしい声と笑顔が加わったことで、客足はうんと増えた。元々恒浪牙の作る薬は確実な効果があるので、それなりに客はいたのだけれど、砂嵐が要るのといないのとでは、随分と違った。
「砂嵐、今日はもう帰ろうか」
「はい。分かりました」
日も沈みかけ町を橙色に染め上げた頃、恒浪牙は義妹に微笑みかけた。
彼女は大きく頷いて、彼の片付けの手伝いを始めた。
未だ、彼女に記憶が戻る気配は無い。その為、恒浪牙を兄と呼びはするものの、態度は他人行儀なものだ。それでも何とか妹として振る舞おうと頑張っている。恒浪牙も、無理はするなとは言わず、彼女の気の済むままに、温かく見守っていた。
それを、町の者達は哀れに思い、よく菓子や野菜などを分けてくれた。
おかげで、食費も申し訳程度には浮いた。宿屋に渡すので、自分達の分にそれがどのくらい含まれているのかは分からない。
「砂嵐はこちらを持ってもらえないかな」
「はい。それでは宿に――――」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
二人の会話に、突然入り込んできたのは少女の声だ。酷く狼狽した声だった。
恒浪牙と砂嵐がほぼ同時に振り向けば、人の間を縫うように、猫族の少女がこちらに走ってくる。
「あら……?」
砂嵐が口に手を添えて瞠目した。
「あの子は……」
「おや、もしかしてあの子が砂嵐にぶつかってしまった猫族の娘さんかな」
恒浪牙が隣に立った。
砂嵐は頷いた。
猫族の少女は二人の前に立つと、身体を折って乱れた呼吸を整えた。
二人は、彼女が話せる状態になるまで律儀に待った。
「あ、あの……薬売りの人、ですよね――――って、あら、あなたこの間の……」
「こんにちは」
頭を下げると、少女も一礼してくれた。
すると、彼女ははっとして砂嵐に詰め寄ってくるのである。さすがに、困惑した。
「足は大丈夫だった?」
「え、ええ。義兄(あに)の薬のおかげで今ではすっかり治っています」
砂嵐は笑いかけ、そっと彼女から一歩距離を取った。
少女は安堵して口元を綻ばせた。
「そう。良かった……」
「それで、薬売りに何か用なのですか?」
「あっ、そ、そうだったわ! あの、不眠症に効く薬はありませんか?」
恒浪牙は首を傾げた。
「おやぁ、不眠症なのですか? ですが顔を見る限り、とてもそうは思えないのですがねえ」
確かに、不眠症の薬を求める割りには、彼女の顔は健康そのものだ。
少女はふるふると首を左右に振った。
曰く、彼女が仕えている人物が不眠症で、それを何とかしてあげたいのだそうだ。
恒浪牙は「主君思いの良い人ですねえ」と感じ入ったように頷き、地面に荷物を広げた。
「不眠症に効く薬なら、在庫が……と、ああ、ありました、ありました」
目当ての物を取り出して、彼は少女に笑いかけた。
薬を差し出せば、少女はたちまちに笑顔になった。
「ありがとう!」
「義妹がご迷惑をおかけしたようですし、あなたには特別にお安くしておきましょう」
「え? ……い、いいえ、そんな! 迷惑をかけたのはわたしです。わたしがちゃんと前を見ていなかったからぶつかったんですし……」
「いえ、それは私もですから」
ですから、どうかお気になさらず。
砂嵐も微笑み、彼女を促す。
少女は逡巡した後、やおら頷いて薬を受け取った。謝辞を述べつつ、恒浪牙が提示した金額に従って金を手渡した。
「ありがとうございます」
「はい。一摘み程度、お茶に入れて服用して下さいね」
「分かりました」
深々と頭を下げて、彼女は大事そうに薬を抱え帰って行く。
彼女の姿が見えなくなるまで、二人はその場で見送った。
しかし、まさか猫族と人間が暮らしている町だとは思わなかった。
人間は猫族を『十三支』と呼んで蔑む。
たかだか耳が違うだけなのにと、少し前に恒浪牙は人の愚かさを嘆いていた。
「さあて、今度こそ帰ろう、砂嵐」
「はい、義兄さん」
この国では、仲が良いのかしら。
なら、私もここでなら――――。
義兄を追って歩く砂嵐は、ふと眼帯を押さえた。
義兄に聞かされた己の出生と、この世における扱い。
自分は本来ならば生まれたその瞬間殺される筈だった命であった。それを、義兄が助けてくれて、義兄弟として育ててくれたのだと、教えられた。
だからこそ、忘れてしまったことが申し訳なくて仕方がないのだ。
「砂嵐? どうかしたのかい」
「――――あっ」
はっと我に返る。いつの間にか足を止めていたようだ。
離れた場所で砂嵐を怪訝そうに見つめている恒浪牙に謝罪し、彼女は慌てて駆け出した。
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