あんの馬鹿犀煉!!
 泉沈は憤然と親指の爪を噛んだ。

 曹操軍が退却してより、陶謙と糜竺は勿論、兵士や民までもが猫族を讃えた。感謝を込めて、十三支と蔑称を捨て、猫族と呼ぶようになった。
 しかし、未だに関羽と幽谷は戻らず。

 関羽が曹操に連れられ兌州に行ったことは分かっている。

 問題は幽谷だ。
 犀煉は幽谷を何処かに連れ去った。行方は全く掴めない。動物達を飛ばして探らせているのに、何の手がかりも掴めないのだ。
 数日も経てば、もう遠くへ隠している可能性もある。

 捜しに行こうにも、どうしてか泉沈は劉備や張飛にしつこく構われる。世平も泉沈の行動には目を光らせているようなのだ。
 彼らは戦でのあの幻惑騒動を、戦が終わると同時に見つかった泉沈の仕業だと思っているのかもしれない。実際、泉沈の幻術なのだけれど。
 本当は合流なんてしたくなかった。そのまま犀煉を追ってしまえばすぐに取り返せた筈だ。

 けども。何故か趙雲に捕まり、そのまま徐州へ連れて行かれて、下らない説教をされて――――時間を大幅に無駄にした。
 ああ、もう。
 苛立つ。
 泉沈は今度は下唇を噛んだ。

 彼は今、満月に照らされた城門の上に立っている。
 泉沈が城門に一人でいることは多い。その為か、兵士達は怪しむことも無く、それを許容している。
 されども泉沈が四霊であるからと、張飛達とは違い距離を取っているようだ。遠巻きに眺めている。
 それを世平や張飛は気にしているようだけれど、泉沈はそれで良いと思っている。人懐こく話しかけられても傍迷惑で鬱陶しいだけだ。

 泉沈は色違いの双眸を細め、舌打ちした。


「そろそろ、終わりにしたいんだっつーのに……」


 苛立ちを孕んだ声音は冷たい夜風にさらわれる。
 このまま徐州を出ることも出来る。
 だが、今更だ。闇雲に情報を求めていくのは非効率。犀煉を追うのであれば、ある程度の情報を得てからでなければ難しくなってしまった。
 犀煉は、隠れるのも隠すのも上手い。

 それに、自分よりも、良く《出来て》いる。
 四霊としての力は、犀煉の方が大きく勝っていた。
 犀煉にしてみれば、本気になれば泉沈を殺すことも容易いだろう。敢えてそれをせずに利用しているのは、泉沈に対してほんの少しの同情があるが故。彼がままに泉沈に占いを頼むのは、存在する理由を与える為でもあるのだった。
 泉沈にとっては、何の意味も無い行為だけれど。

 四霊の存在意義は使命を果たすこと。

 それが出来ない自分は出来損ないなのだ。犀煉が何をさせようと、使命に従事しない限り存在意義は生まれない。
 使命を果たす気の無くなった彼には、存在する意義が無かった。ただ生きて、周囲の笑い物にされるだけ。
 だから、早く終わらせたい。
 終わらせなければならない。
 こんな惨めな自分を見るのにも、もう飽いた。

 《彼女》の優しさに甘えて生きるのも、辛い。

 だから、幽谷が生まれたと知った時は安堵した。

――――犀煉に協力するのは、もう終わり。
 彼女は覚醒させなければならない。

 それが自分の為。
 それが彼女の為。
 それが人間の為。


「どうせ、僕らに約束された将来(さき)なんて無い」


 役目を果たせば、それで終わり。
 消えてしまうだけだ。
 僕らは生き物であって、生き物ではない。

 ××××が生み出した、××××の道具なのだから。
 それ以上のことは望んではならない。


「望めば壊れるだけだ。……中途半端に――――なんて抱くから、馬鹿馬鹿しいことになるんだよ、幽谷。君を拾ってしまったあの子は本当の母親にそっくりだ。だから君は人になってしまった」


 くっと口角をつり上げて泉沈は夜空を仰いだ。


「犀煉を人に戻し、幽谷を覚醒前に人にし、使えなくする。あなた達は本当に僕らの邪魔しかしないね」


 これ以上幽谷に悪影響を及ぼすのなら、君はもう、殺してしまった方が良いかもしれない。



――――ねえ、関羽。



‡‡‡




 森の中に入ってすぐ、激しい頭痛に襲われた。
 耳鳴りもする。

 あまりの激痛に耐えかねて座り込むと、急激に酷くなった。


「ぐ……ぅぅ……っ!」


 頭蓋が割れそうな痛み。
 その中を掻き回されるかのような痛み。
 段々と吐き気まで催してくる。

 身体を丸めて唸る。頭を抱える。

 痛い!
 痛い!

 どうして痛むのか分からない。自分は健康体であった筈だ。眼帯に隠された片目以外は。

 記憶が無いから、痛みの中に恐怖があった。
 まさか、このまま死ぬのでは――――本気でそう思った。それ程に痛かった。

 いっそ気を失えばどんなに楽だろう。
 が、残念ながら凄絶な痛みを意識を逃がすまいと繋ぎ止めている。
 果たしていつまでこの痛みは続くのだろう。
 どうしてこんなに痛いのだろう。
 彼女は歯を食い縛り、必死に耐えた。

 すると不意に、誰かに頭を撫でられたのだ。

 刹那、痛みが急速に和らいでいく。
 ふっと身体から力が抜けて崩れたところをそっと抱き留められた。
 誰だ、これは。
 知らない匂いだ。

 そっと顔を上げれば、柔らかに微笑む口元だけがぼやけた視界の中に映った。

 微かな、既視感。
 記憶を手繰る前に、その口が動いた。


「捜したよ、砂嵐」


 砂、嵐。
 砂嵐。
 噛み砕くように繰り返した。

 と、身体が軽くなるような感覚。

 視界が、意識が、真っ白に染まった。



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