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「あなたねぇ、か弱い乙女になに物騒なもん振り回してるのよ」
ま、乙女の方も物騒なもん持ってるけどさ。
彼女の姿に、愕然とした。
‡‡‡
曹操が夏侯惇達に加勢すると、たちまちに文醜は退いた。彼とて熟練された将だ。袁紹の為、ここは自分が討たれる訳には行かぬと、惜しみながらも撤退した。
これで、この戦は勝利で終わる――――関羽は安堵に吐息を漏らした。
どうだっただろうか。兵士達は、今回の戦で自分をどのように評価しただろうか。疲労よりも不安が、関羽の身体を、胸を重くする。
まだ始まったばかりだ。これから先、自分は曹操の下で、彼の覇道を支える役割を担っていく。願ってはいないけれど、それがが提示した条件だ。
それに、曹操のことも、心の奥底で気になってしまう。
どうしてなのかは、分からないけれど。
しかし、戦はまだ終わりではなく。
「大変です! 隊員数名が退却の命令を聞かず、文醜の後を追いました!」
狼狽しきった兵士が関羽に報せた。
関羽は目を剥いた。
文醜を追いかけたなんて――――殺されてしまうではないか!
ざっと青ざめる関羽の隣で、曹操は鼻を鳴らす。
「武勲を急いたか」
「はん! 命令違反なんぞ言語道断! そんな奴等、返り討ちに遭えばいい」
「そんな!」
曹操軍の中で焦っているのは関羽だけ。
誰もがすでに放っておくつもりでいる。……死んでも構わないと言わんばかりだ。
信じられなかった。
確かに軍の規律は大事だろう。
けれど、だからといって!
たかだかそんなことでみすみす死なせてしまうなんて、おかしいわ!
この戦で、誰一人として死なせはしない――――そう意気込んでいたからこそ、関羽には尚更その兵士達を見捨てることなんて出来なかった。
「……追うわ」
助けなくちゃ!
「何だと!」
「馬鹿か! 命令違反をした兵を追って貴様も文醜を追うというのか! 貴様まで返り討ちにあうぞ!」
「関羽、留まれ。もう戦は終わったのだ」
諭されるが、関羽は決意は固揺るぐ筈もないのだ。
「ここはわたしの部隊なんでしょ? だったらわたしは助けに行くわ」
自分の兵を助けに行く!
関羽は言うが早いか馬首を返した。
曹操が後ろで怒鳴るけれど、止まらない。止まってなるものか。絶対に助けるのだから!
関羽は撤退した袁紹軍を追って、国境を越えた――――。
‡‡‡
いた!
二人いる。
文醜に斬られたのか、胸を押さえてうずくまっていた。
それに、文醜が刃を振るい上げていた!
「危ない!!」
振り下ろされる瞬間、関羽は文醜に向かって偃月刀を投げつけた。
文醜はすぐに気が付いて剣で弾く。
馬から下りた関羽は腰を低くしながら走り地面に落ちた偃月刀を拾い上げた。さっと構え、兵士を一瞥する。
「おお……十三支の娘!!」
「そこに倒れている人を連れて逃げて!!」
「は、はいいい!」
文醜にすっかり竦み上がってしまった兵士は情けない声を上げてもう一人の兵士の身体を支えながら、急ぎ足で兌州へと戻っていった。
文醜は、彼らを追いはしない。兵士を助けに来た関羽に関心を移していた。
「お前は十三支の娘! そうか、お前たち十三支は曹操に使われておったな」
喜色満面となった彼は剣を構えた。
「嬉しく思うぞ。シ水関にてお前が華雄を倒すのを見てからずっと――――一度やり合うてみたいと思っていたのだからな!」
「……」
「あの四凶がいないのは残念だが、まあ良い。お前が窮地に陥れば、駆けつけてくるだろう。行くぞ!!」
文醜が踏み込んだ瞬間関羽は駆け出した。
肉迫して偃月刀を振るう。
刃がぶつかり火花が散った。
文醜は見てくれからも明らかなように、豪腕だ。
関羽は反撃に遭う前に後ろに跳び退って距離を取る。
「さあ、どうした? それで終わりか!?」
「くっ!」
「いかに素早い武器裁きを得意としようとも、所詮は女の力。一撃一撃にまるで重みがない。貴様の武は確かに優れている。が、四凶とは比べるべくもなかったか」
……確かに、自分は幽谷よりも弱い。
自分は今まで、彼女の武に頼り切っていたかもしれない。思えば幽谷は自分の道を作ってくれていた。華雄の時だって、自分の身を犠牲にして動きを止めてくれていたのだ。
けれど、今は一人。
わたしだけの力で、この人を倒さなければ!!
関羽は駆け出した。
「せやああああ!!」
斬りつける!
が、簡単にいなされた。
文醜の遊ぶかのような声音と笑声が、関羽を苛立たせた。
「力には敵わぬ!」
文醜の一撃は想像以上に凄まじかった。
関羽の手から偃月刀を弾き飛ばしただけでなく、手が痺れてしまった。
短い悲鳴を上げて倒れ込んだのに、よたよたと逃げていた兵士達は振り返った。動けぬ兵士を横たえて剣を片手に戻ってくる。
「大丈夫か!? 俺たちも助太刀す――――」
駄目!
逃げて。
このまま逃げて!!
「ふん。ふたりまとめて斬り捨ててくれるわ!」
振りかぶった剣が関羽に下ろされる。
受け止める術が無い関羽はぎゅっと目を瞑った。
死ぬ――――!
直後、地面を擦った手に何かが当たった。
咄嗟にそれを掴んで盾にした。
「くっ!」
「わしの一撃を止めただと!?」
関羽の手にした物、それは剣だ。恐らくは倒れた兵士が取り落とした物であろう。運が良かった。
だが、これでは長く保たない。
「くっ…くうぅ……、は、早く、わたしが文醜の武器を押さえてる間に…行って!!」
逃げて欲しい。
死なずに、そのまま曹操軍に……!
されど、兵士は誰もが予想し得なかった行動を起こしたのである。
「うああああ!!」
ずぶり。
「ぐぬぅ!!」
突き刺さる。
兵士の、剣が。
文醜の――――脇腹に!
文醜も関羽も驚愕し、兵士を凝視する。
だが、文醜は徐々に怒気を放ち出した。
彼は将。彼のような同格ですらない一兵士に重傷を負わされるなど、まさに屈辱極まる失態だ。
「このわしを斬りつけおって! こ、この小僧がぁ!!」
怒鳴った直後である。
「はい、そこまで」
「ぬ……っ!?」
それは玉響(たまゆら)であった。
背後から文醜の首筋に銀色のそれが押し当てられた。
文醜が端が裂けんばかりに目を剥く。
「弱い者虐めは、感心しないわね」
銀が引かれたかと思えば、彼のうなじに何かが叩きつけられる。
「ぐっ」
大柄な身体が横に倒れた。
……信じられない。
文醜ともあろう男が簡単に気を失うなんて!
関羽と兵士は呆然とその影を見上げ――――更なる仰天に混乱してしまう。
黒と白の外套。
豊かな茶色の髪。
赤い瞳と、眼帯。
「そ、んな……」
幽谷。
唇が声も漏らさずに動く。
「まったく……人を見つけたと思ったら、このおっさん何やってんのよ」
文醜を見下ろすその影は、数日前にさらわれた友人であったのだ!
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