17





 幽谷が関羽のもとに行くと、彼女は疲弊しきって偃月刀を抱くように握り締めていた。その傍らには、満足そうに笑う曹操の姿が。

 関羽は幽谷に気付くと、駆け寄って腕を掴んでくる。その手は、小さく震えていた。
 何が遭ったのか、問いかけようとするとそれを遮るように曹操が答えた。


「関羽は私のもとに来るそうだ」

「なっ」


 ぎょっとして関羽を見下ろせば、こくりと頷く。


「私がいない時に、何を勝手に……!」

「ごめんなさい。でも――――」

「お前とも、ここでお別れだ。そうだな、関羽」


 絶句。
 関羽の肩に手を置き、彼女を引き剥がす。顔を覗き込むと、目を逸らされる。
 やはり、離れるべきではなかったのだ!

 大方徐州から手を引く代わりに、関羽を連れていく、と言うことだろう。
 関羽なら受けそうな話だ。
 幽谷は奥歯を噛み締めて笑う曹操を睨みつけた。

 関羽を彼の側に置いてはならない。
 関羽を彼に近付けさせてはならない。
 それなのに!


「……っ関羽様!」

「ごめんなさい。徐州を守る為なの。幽谷、皆のことをお願い!」


 八つ当たりのように怒鳴ると、がばりと頭を下げられた。
 違う。
 謝って欲しい訳じゃない。
 ただ、側であなたを守りたいだけなのに。

 守らなければならないと、思うのに。

 拒絶されたんじゃないと頭では分かっている。
 けれど、関羽に捨てられたかのような感覚になる。

 一人で抱え込まないで欲しいのに、この思いは届かない。


「……っ」

「あ、幽谷……!」


 このままいても、苛立ちをぶつけてしまうだけだ。
 幽谷は無言で関羽に背を向けた。
 猫族のもとへと向かおうと、足を踏み出す。


 ――――が、突如として目の前が鉄紺に染まった。



‡‡‡




「え……」


 視線を上げれば無表情な犀煉が立っていた。赤の右目は怒りの色を濃く映している。

 どうしてここに来ているのか。曹操軍が退却を始めたから、確かめに来たのだろうか?
 咄嗟のことにほんの少し狼狽えつつも、何をしに来たのか、何故怒っているのか、問いかけようした。

 されど――――開いた口から声が出ることは無く。


 どっ。


「ぐっ!?」


 目を剥く。

 鳩尾に衝撃があった。何かが叩き込まれるような鈍い痛みと苦しさ、胃からせり上がる不快感。吐き出さなかったのは奇跡に近いんじゃないだろうか、頭の片隅で思う。

 急激に、感覚が遠のいていくかのように消えていく。
 それに乗って意識もまた、暗い闇に呑まれていく。

 ……駄目だ。
 頭に声が響いた。

 しがみつけ。
 呑まれるな。
 頭の中で誰かが意識を失うなと叫ぶ。


 駄目なのだ。
 この男に身を委ねてはならない。

 この男は――――だから。
 この男は――――だから危険だと。

 私の存在意義すら、奪おうとしているのだと。
 誰かの知らない声が、いやに耳に残った。



 幽谷!



 名を呼んだのは、誰?



‡‡‡




「待って! 幽谷を何処に連れて行くつもりなの!?」


 関羽は気を失った幽谷を抱き上げた犀煉に問いかけた。


「お前には関係の無いことだ」

「関係無いって……!」

「お前は自ら幽谷を離した。お前にとってこれは徐州程にも価値は無かったということだ」


 関羽の頬に朱が走る。違うと否定しかけたのを、犀煉に鋭く睨まれて引っ込めてしまった。


「もう、猫族の側にこれは置いてはおけぬ」

「そんな、どうして!」

「これ以上お前達といれば必ずこれは自我を失う。そうなれば、人間は滅ぶぞ」

「人間が?」


 曹操は柳眉を顰めた。

 関羽も、彼の言わんとしていることが理解出来なかった。幽谷の自我が失われることと、人間が滅ぶこととがどうにも繋がらないのだ。

 どういうことだと詰問しても、彼は答えなかった。
 食い下がることも許さずに大股に歩き去っていく。

 当然関羽は彼を追おうとした。関羽は幽谷を離した訳ではない。関羽の代わりに猫族を守って欲しかっただけ。それに、曹操に良いように利用されたくなかったのだ。望まない命令に従うのは自分だけで良い――――そう思ったから、幽谷は連れて行かないと決めたのだ。
 犀煉に連れて行かせる為に決めたんじゃないのに!

 しかし、彼女の手を曹操が掴んで引き留める。
 犀煉の背中を睨みつけているが、関羽だけは逃すまいと痛い程に手首を握り締めている。

 あのまま犀煉に連れて行かせては、呂布のもとに行ってしまうかもしれない。それを警戒しているだろうけれど、関羽に彼を追わせるつもりは全くないようだった。


「曹操!!」


 非難するように強く呼んでも、彼は無言で身を翻した。
 ぐんと強く引っ張られて関羽は体勢を崩しかけた。よろよろとまろびつつ、曹操について行かざるを得なくなる。抵抗すると、仕置きのようにぎりぎりと締め上げられた。


「い……っ、ま、待って曹操! 幽谷が! 幽谷を助けないと!」

「お前はもう私の物だ。私の意思に背くことは許さん」


 幽谷のことは、近く調べさせる。
 呂布に付いたのならば殺す。
 玲瓏(れいろう)と告げる声に関羽は色を失った。

 泣きそうに眦を下げて犀煉の後ろ姿を振り返ると、彼の姿はもう見えなくなっていた。

 幽谷を助けたいのに、もう許されない。



 わたしは、ただ、幽谷に皆を守って欲しかっただけなのに――――。



第六章・了




○●○

 第六章はこれで終わりです。
 これまでに色々と詰め込もうかとも考えましたが、ネタバレになるかも……と言うことでちょっと急ぎ足な感じで。後からじわじわ出します。
 これから夢主ルート色が濃くなれば……良いな!



.

- 121 -


[*前] | [次#]

ページ:121/294

しおり