14





 離れた場所から戦を眺めている者が在る。
 彼のかんばせには一切の感情が無かった。無機質に、ただ戦を傍観していた。

 斬られ斬り付け、血が飛び散る。
 亡骸は緑の床に倒れ、踏まれ、蹴られ、更に緑を赤に染め上げる。
 戦というものに、生死以外に何があろうか。

 沢山の人間が死んでいく。
 その様を見て彼は何も思わないでいた。

 それどころか、


「あーあ……紫のお兄さん、詰めが甘いなあ。数だけに驕っちゃ駄目だって、言ってあげたのに。やっぱり後方から攻められるってだけじゃ、駄目か。犀煉も来るよーってことも伝えた方が良かったかな」


 吐息混じりに漏らすのだ。


「もっと追い詰めてあげないと……《あの人》も面倒な身体にしちゃったもんだよねぇ。これじゃ自力で出てこられない筈だよ」


 さて、どうしようか。
 無表情のまま、彼は顎に手を当てて思案した。
 ここから術を使う分には問題は無い。
 だが、犀煉に気付かれたら非常に面倒だ。犀煉は《あれ》の出現を止めたがっているようだから。

 《あれ》が出てくることは必定だ。元々、あの器に《仮初めの自我》が確立することは不可能であったのだ。それなのに出現を防止する程の形を形成し、出現しづらくなっている。

 偏(ひとえ)に猫族が原因だ。
 器がまだ器として機能出来ていた頃に猫族の中に紛れてしまって、器が歪んでしまった。

 また、猫族に邪魔をされている。
 彼は長々と息を吐き出した。

 また 邪魔をするんだ。

 また、《昔》のように。

 彼らは僕の邪魔ばかりするんだ。

――――ああ、もう、ウザい。


「……本当に昔っから強いくせに手が掛かるよね。《妙幻(みょうげん)》って。それとも、君の特性が悪い方向に作用しちゃったのかな」


 すぐ側にあった小石を蹴って、彼は右手を持ち上げた。


「ごめんね、これ以上時間をかけてられないんだ。……犀煉は、すぐにここから離れれば大丈夫かな」


 ぱちん、と指を鳴らす――――。



‡‡‡




 幽谷、と名を呼ばれる。
 幽谷は無言で彼女のもとへと駆け寄った。


「行きましょう!」

「御意のままに。道は私が開きます故、関羽様は後ろに」

「ええ。でも、無理はしないで」


 周囲を警戒しつつ、二人は駆け出した。
 幽谷が道を阻む者を斬り捨て、関羽の道を作る。

 目指すはただ一点――――曹操。
 犀煉から、大体の位置は聞いている。総大将たる彼は、本陣前に護衛もつけずに立っているという。恐らくは、関羽を待っているのだ。

 幽谷は、曹操を殺すつもりでいる。
 それを関羽を許すとは思っていないけれど、やはり彼は第二の董卓になりかねない。そうなればきっと世の混迷は更なる深みを見せるだろう。


「! 関羽様!!」


 目の前に佇む青年。

 いた!
 思案を打ち消して関羽を呼んだ。速度を弛めれば脇から彼女が追い越していく。

 彼より離れた場所から、跳躍。大きく振りかざした偃月刀を勢いよく降ろした。


「曹操!!」


 金属音。


「来たか! 関羽!」


 剣で受け止めた曹操は喜んでいるようにも見える笑みを浮かべて偃月刀を払い退ける。

 関羽は着地し後方へと跳び退(ずさ)った。偃月刀を構え直し構える関羽に幽谷も匕首を手に並んだ。


「この数の兵を越え私の元までやって来たか。さすがだな」

「曹操、約束通り言葉でなく、力であなたを止めにきたわ!」


 曹操は剣の切っ先を降ろした。
 彼の双眸はやはり、関羽だけを見つめていた。しかし、この時に限っては幽谷の動向も警戒しているようだ。やはり、あの曹操が完全に幽谷を忘れる筈もないか。


「我が兵には目もくれず、ただ私のみを目指してきたか」


 お前のその瞳に射られるのなら、悪い気はしないな。
 彼は鼻を鳴らし、一つ頷いた。


「いいだろう。この地をお前の墓場としてやる。こ――――」


 来い。その一言をかき消す轟音が三人の鼓膜を殴り付けた。
 大地をも揺るがしたそれに、曹操も、顔色を変えた。

 次いで、獣の咆哮。


「……戦場の方から!!」」


 関羽と幽谷はほぼ同時に振り返った。

 驚愕。


「なん……!?」


 関羽は青ざめた。

 巨大な、狼だ。
 ただ、全身が爛れたように赤くなり、所々から骨が見える。眼下から変色した眼球が飛び出したその狼は、無造作に人間達を掬い上げては噛み砕いていく――――。

 幽谷は目を丸くし、その狼に見入った。
 僅かに残った尻の毛色に良く似た狼を、彼女は知っている。


「まさか……星河!?」


 毛色だけで判断は出来ないが、このような不可思議なことをなせるのは仙人か四凶ぐらいだ。
 犀煉は、あのような術を使うような性格ではない。むしろ、汚らしいと敬遠するだろう。
 それならば残るは――――《狼》と仲良くなっていた泉沈だ。彼はここにいない。けども、兌州に向かう時のように、こっそりとついてきている可能性もなきにしもあらずだった。

 そうでなければと願う一方で、彼が星河を殺し、あのような姿にしたのかと思うとぞっとする。


「星河って……あれが!?」

「あ、いえ……まだはっきりとは分かりません。ただ、犀煉はあのような術を使うとは思えませんし、狼が側にいた泉沈ならばと……」

「そんな……っ! もしそうなら、泉沈の性格じゃあ、ここにいる人間は皆殺されてしまうわ!」


 このままでは確実に、公孫賛軍も巻き込まれるだろう。
 行かなければ、必要の無い被害まで出てしまう。
 けれども――――一刻も早く戦を終わらせる為に、関羽を残していかなければならない。彼女はきっと、ここに残ると言う。彼女が今の曹操に敵うとは思えない。その状態で幽谷が抜けるなどと……。

 迷った末、幽谷は関羽を呼んだ。


「……関羽様」

「ええ。ここはわたしに任せて。もしも泉沈だったら、止めてちょうだい」

「……」


 幽谷は逡巡の後に頷いた。
 関羽にすぐに戻ると言って、身を翻す――――。



 しかし、この後、彼女はこの選択を後悔することになるのだ。



.

- 118 -


[*前] | [次#]

ページ:118/294

しおり