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「貴様ら!!」
大音声で二人を怒鳴りつけたのは夏侯惇だった。
犀煉と揃って振り向けば、彼の後ろには夏侯淵の姿もいる。
二人共犀煉と幽谷が共にいることに驚いている様子だが、それ以上に強い敵意を向けている。
「中央に四凶が現れたと聞き、ここに来てみれば……よもや呂布の下にいる筈の四凶がいたとは思わなかったが」
「別に、呂布様がこれと十三支の娘に執心しているのはお前達も知っているだろう。ただの偶然だ」
素っ気なく返して彼は匕首を構える。腰を低くした。
夏侯淵が夏侯惇の隣に並び、剣を構えた。夏侯惇も彼に促されて徐(おもむろ)に構えを取った。
闘気を漲(みなぎ)らせる彼らに幽谷も犀煉も互いに目配せして頷いた。
夏侯惇、夏侯淵。この二人を討てば周囲の士気は大いに下がるだろう。そうなればこの戦はもっと楽になる。
今、犀煉と幽谷ならば、それを成すには十分だ。
関羽が来る前に、済ませてしまおう。
唇を舐めて、幽谷は半身の構えを取る犀煉の背中に、ぴったりと背中合わせに立った。
しかし。
血気盛んな夏侯淵ならともかくとして、戦に於いてはこと冷静な夏侯惇が曹操の所業にただ従っているのは意外だ。
疑問ぐらい持つかと思うが、諫言を冷たく退けられでもしたか。
それか、疑問を持たなかったのか、或(ある)いは疑問に思っていながら黙りを決めているのか。
幽谷は夏侯惇を探るように見据えた。
すると、不意に彼は一瞬だけ、目を逸らしてしまうのだ。
えっとなった刹那である。
犀煉が動いた。
半瞬で夏侯惇へ肉迫し鳩尾に拳を叩き込んだ。
夏侯惇は口から胃液のようなものを吐き出した。目を剥き、犀煉が離れた途端その場に崩れてしまう。
犀煉の拳打は容赦がなかった。渾身とまではいかないだろうが、あれでは暫くは立てない筈だ。
夏侯淵が動くのに、幽谷も地を蹴った。跳躍し匕首を逆手に持って躍り掛かる。匕首を大きく振るった。
夏侯淵は即座に幽谷に向き直って拳の腹で一閃を受け止める。高い金属音が鼓膜を突く。
着地すると彼女は地面に這うように手を付いた。それを軸に身体を回転させて踏み締めた足を蹴って払った。
「なっ!?」
夏侯淵は体勢を崩す。
それを突いて立ち上がった幽谷は彼の頬を殴った。
彼の身体は驚く程に吹き飛んだ。
曹操軍兵士の身体にぶつかり、一緒になって転がる。痛みに悶絶しながら呻きを漏らした。
夏侯惇の方を見やれば、犀煉が彼の咽に匕首を押し当てていたところであった。
彼は、殺すつもりなのだ。
戦の中であればそれも当然のことだ。
だが……。
少し――――ほんの少しだけ引っかかるものがあった。
それが何なのかは分からない。
彼が殺されることに、まるで歯止めをかけるように、胸に何かが引っかかってしまうのだ。
分からないからこそ、彼女は見ないフリをした。
呻き続ける夏侯惇から目を離し、幽谷は夏侯淵に近付いた。
彼は絶入(ぜつじゅ)していた。兵士も然り。
幽谷は彼の前に座り込み、その胸に匕首の切っ先を押し当てた。
腕に力を込めようとしたその時、鋭い声が飛ぶ。
「止めろ!!」
振り返れば犀煉を押し退けたらしい夏侯惇が幽谷に向かって突進していた。剣が振るわれ――――幽谷の匕首とぶつかって弾かれる。
彼はよろめいた。顔を歪めながらも鋭い眼差しが幽谷に向けられる。彼の首には、浅からぬ裂傷があった。赤い血が幾筋か垂れている。
犀煉は夏侯惇を見つめ、匕首を構える。後ろから心臓を貫こうとでも考えているのだろう彼に、幽谷はしかし手で制した。
「幽谷」
「その前に、訊ねたいことがあるから。周りの兵士を抑えていて」
夏侯惇に視線を戻す。
幽谷は一呼吸置いて、口を開いた。
「あなたは、この度の曹操殿の進撃、彼らしくないとは思わなかったのですか?」
「……」
目を逸らされる。
彼のこの仕草で、幽谷は確信した。
彼は確かにこの戦について疑問を感じている。
だのに、何故諫めていないのだろうか。
「あなたは、諫めなかったのですか。今の曹操殿は董卓と同じです。そう思いはしなかったのですか? それで、罪も無い民の命を蹂躙して、その悲鳴に耳を塞いでただただ黙って従っているというのですか?」
夏侯惇は無言だ。
……それでも、臣下と呼べるのか。
部下という者は、ただ主に従えば良いと言うものではない。
幽谷ですら、そのようなことを分かっているというのに……。
何故、この男は気付いていながら曹操に諫めないのか。
「それでも、臣下ですか?」
睨まれる。
だが、幽谷は吐息を漏らして彼に背を向けた。
勿論彼が諫めたとて曹操が決定を覆すとは思っていない。けども、曹操の腹心であることを誇りに思う彼が、曹操の道を正す意思すら見せないのには……呆れる。
人の心に疎い自分が呆れて良い筈もないが、それでも吐息が漏れてしまう。
何故、見殺しにする?
「きっと、あなた方に蹂躙され、命を落とした方々はとても苦しんだでしょうね。ただ一日一日を生きていただけなのに、何処かの国の主の所為で望まぬ死を押しつけられて……特に子供は、さぞ怖かったでしょうね」
戦は、日常をことごとく壊してしまう。
それにいきなり巻き込まれ命を落とした彼らを思うと、幽谷すら胸を痛める。
夏侯惇や夏侯淵に、そのような感情は無いと言うのか……。
「曹操殿は、殺します」
「……っ」
「殺さねばなりません。彼が新たな董卓になる前に」
後は犀煉に任せよう。
もう彼に構う必要も理由も無いと、幽谷は身体の向きを変えた。
そちらからは、関羽が一人、こちらへと疾駆している――――。
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