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 世界が冷たい暗やみに包まれている間に、犀煉は軍を動かした。
 趙雲率いる公孫賛軍は曹操の背後に短時間で回り込める位置に潜み、猫族は城門の内側に待機。曹操軍が動いた瞬間に城門を開けて飛び出す手筈なっている。その際には城門の上から犀煉が間に合わせて作った火薬玉を徐州の兵士が曹操軍に向けて投げつけることになっている。爆発は恐らく微弱であるから、殺すには至らず、脅かし程度の効果しか持たない。猫族に当たる可能性も考慮してのことだろう。

 城門裏に集結した猫族達を確認し、犀煉は幽谷を呼ぶ。関羽達と作戦の順序を確認していた彼女は犀煉に視線を移し、やおら頷いた。

 今回、最初に猫族が曹操軍を迎え撃つ。
 ここで武将辺りは公孫賛軍がいないことに疑問を抱くであろう。
 警戒を強めた頃合いを見計らい、幽谷と犀煉が敵の中心に現れ敵を蹂躙する。
 折を見て犀煉が合図をし、公孫賛軍はその背後を突く――――軍が混乱する中を関羽は駆け抜け幽谷と合流、二人で本陣まで突撃して曹操を討つ。
 簡単に上手く行くとは思わずに、最後まで気を抜くなと、犀煉は作戦を説明した際に言った。

 彼に歩み寄ると、彼は無言で札を口に銜えて城門の上へと階段を上っていく。幽谷も関羽達に声をかけてそれに倣った。

 日はまだその姿を見せていない。灯りも、城門を照らす少しの松明(たいまつ)だけだ。
 ともすれば、眼前に広がる恐ろしいまでの暗黒に呑み込まれてしまいそうだ。

 城門で見張る兵士達を通り過ぎ、飛び降りる。
 着地した瞬間犀煉は低く声をかけた。


「しくじるなよ」

「分かっているわ」


 自分は暗殺から離れて時間が経つ。幽谷自身勘がどれだけ鈍っているかも把握していないのだから、彼にとっては非常に面倒な相方だろう。

 犀煉は、相手に合わせて連携を取る。その為彼の戦い方も弱点も、幽谷は全く把握していなかった。暗殺のことだけ考えていた頃にはそんなことを考える必要も無かったからというのもある。
 幽谷は毒を塗り込んだ匕首を握り締め、犀煉を見上げた。


「煉」

「猫族が出撃したその時に、俺達は動く」

「ええ。そして、敵軍の中央に移動するのね」


 犀煉は首肯する。
 自分達が如何に敵軍を崩せるか――――それが猫族や徐州の安否を決めると言っても過言ではない。曹操に冷静に迅速な対処をされては厄介だ。犀煉も、彼の機転には警戒をしているようだった。

 この戦、曹操軍が撤退するまでは一寸の気も弛められない。
 そう思うと、自然と肩に力が入った。



‡‡‡




 来た!
 曹操軍が動き出したのを見、犀煉は背後を振り返った。
 怒濤のように押し寄せる曹操軍は、あっという間に下邱との距離を詰めていく。

 出撃の時機は関羽に一任してある。彼女が城門の上から曹操軍を見、猫族に合図を送るのだ。

 彼女が動いたのは、先陣を行く夏侯惇達が認められた時であった。


「出撃ー!!」


 鬨(とき)の声が上がる。
 それと同じくして城門が軋み、ゆっくりと開かれる。

 そこから、どうと猫族達が躍り出た。関羽の姿はまだ無いが、恐らくはすぐにでも先陣に立って夏侯惇達と刃を交えることになるだろう。

 夏侯惇、夏侯淵の武は曹操軍の中では抜きんでている。この大軍で、彼らの相手をするのは少々骨が折れるやもしれぬ。中央で軍を乱せば、彼らはすぐにでも中央にやってくる筈だ。そうなれば、随分と楽になるだろう。

 犀煉が幽谷の肩を叩くのに、大きく頷いて見せた。
 同時に駆け出して中央を目指す。札の効力で曹操軍の兵士は二人には全く気付かない。
 ぶつからぬように身体を捻りつつ先を急いだ。

 暫く走れば犀煉が足を止める。ここで策を実行するのだろう。幽谷も彼の背後に背中を向けて立った。


「期待はしないが、足手まといにはなるな」

「ええ。その時は自分でどうにかするわ」


 背中合わせで周囲を見渡し、犀煉の合図を待つ。

 やがて――――。


「行く」


 犀煉が離れた!

 幽谷も目を細めて走り出す。札を口から離して手近な兵士を斬り付けた。それから倒れかけた身体に隠れて飛ヒョウを周囲の兵士達の首めがけて投擲(とうてき)する。それらもまた、彼女の作った毒が塗り込めてあった。

 幾つもの悲鳴が上がった。後方ではそれ以上の阿鼻叫喚。さすがと言うべきか、彼の腕は全く鈍っていないようだった。

 幽谷は更に兵士を殺めた。大量の返り血が彼女を汚した。恐慌の悲鳴が鼓膜を貫いた。


「し、四凶だ!! 誰かーっ!」

「……」


 逃げようとする者は見逃した。犀煉ならば殺すだろうが、戦意を無くした者を殺すことは、今の彼女には出来なかった。

 向かって来る者は確実に殺め逃げ行く者には視線すら向けぬ。そのように戦いながら、幽谷は犀煉の動向も注視した。幽谷の見たところ、敵は一気に崩れている。戦陣にもこの混乱は伝わっているだろう。夏侯惇達がこちらに来るのも時間の問題ではなかろうか。
 だが、犀煉は未だに合図を出さない。いつになれば出すのか――――。

 と、舌打ち。


「煉!」

「……」


 周囲を一睨みで牽制しつつ犀煉はゆっくりと片手を天に掲げた。どのような合図が出るのかは、趙雲にしか知らされていなかった。
 何をするつもりか、兵士を斬り付けながら彼の手を見やると、


 不意に、何も無かったその場に一羽の鳥が現れた。
 赤い――――否、燃えている。炎その物が鳥を形作っているのだ。烏程のそれは美しい煌めきを放ちつつ天へと舞い上がる。はらはらと火の粉が舞った。

 直後、敵軍の後方で喊声(かんせい)が上がる。


「なっ、何だ!?」

「後ろだ! 後ろに奇襲が!」


 騒ぎ出す兵士達。

 その様に幽谷はほうと吐息を漏らした。

 だが、犀煉の表情は険しかった。後方を見つめたまま眉間に深い皺を刻んでいる。


「煉」

「……やってくれる」

「え?」


 ほんの少しの苛立ちを孕んだ犀煉の呟きに、幽谷は駆け寄った。兵士達は喊声に驚いて動きを止めていた。


「どういうことなの?」

「曹操は後ろも固めている。奇襲は成功しない」

「何ですって?」


 犀煉は眉間を押さえて、再び舌打ちする。右手を横に差し出すと、火の鳥がそこへ舞い降りた。


「どうしてそれが分かるの?」

「千里眼だ。そんなことよりも、今は公孫賛軍だ。曹操は背後の奇襲を予想していたらしい。……抜かった」

「……どうするの? 公孫賛軍に加勢する?」


 犀煉は即座にかぶりを振った。


「具合から見て十分対処出来る範囲内だ」


 言うなり、犀煉は火の鳥の乗る腕を振り上げた。
 すると鳥は飛び立ち甲高い鳴き声を上げる。

 そして――――姿を変じたのだ。


「な……」


 鳥から、龍へと。
 炎が姿を構成するのは変わらないが、鳥とは違い猛然とした気迫に近いものを感じる。勇壮なる姿だ。

 龍は身体をくねらせながら後方へと飛んでいく。

 ふと周囲を見渡せば、兵士達の目はそれに釘付けだった。幽谷達のことなど忘れてしまったかのようだ。火の鳥の直後の喊声に驚いていたところに、火の龍だ。思考が止まってしまったのかもしれない。
 それでも周囲の警戒を怠ること無く、煉に声をかける。


「……煉、今のは」

「あれで十分だろう。俺達はこのまま中央の敵に徹する」

「……分かったわ」


 再び、唖然とする兵士達を襲いだした犀煉を見つめ、幽谷は後方へと向かう龍へと視線を移す。

 あれは、四凶の力の一種なのだろうか。
 何故だろう、あの龍を見ているといやに胸がざわめく――――……。



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