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人気のに場所まで連れ出された幽谷は、犀煉の行動に未だ戸惑いを感じていた。
どうして徐州に――――否、自分達に手を貸すようなことをするのだろうか。
昔から変わらないけれど、彼の考えていることが全く分からない。呂布の命令だけで、軍に加わることまでする?
こちらに背を向けて人の気配を探るかつての教育係を見つめ、幽谷はすっと目を細めた。
犀煉は人がいないことを確認すると幽谷に向き直り、前振りも無く彼女の右上腕を鷲掴みにした。
直後、突き刺すような痛みが腕を貫き顔をしかめる。
「これはどう言うことだ」
「ど、どういうって……ぃっ」
鱗のことを言っているのだろうか。
瞳を揺らし、返答を濁す幽谷に彼は舌打ちして袖を捲ろうと右手を袖に添えた。
幽谷は即座にそれを拒絶し払い退けた。が、腕を掴む大きな手は逃してはくれない。また痛んだだけだった。
「っれ、煉……どうして腕のことを?」
「これ以上刺激するようなことは絶対にするな。お前は特殊なのだ。これ以上進行すればどうなるか、俺にも分からんぞ」
幽谷は犀煉の赤い片目を見つめた。
彼は謎ばかりだ。何も分からない。ずっと一緒にいたのに、何一つ彼の考えを察したことも、行動を理解したことも無いのだ。
それに強い寂寥(せきりょう)を覚えてしまうのは、その中で中途半端な施しを受けていたからなのか……しかし、それではあの頃の幽谷にも情があったということになる。それは有り得ない。
でも、だとすればどうして彼に対してそのような感情を抱いてしまうのか――――。
犀煉はふと、右腕を放し幽谷に背を向ける。
「あ……」
「曹操軍は明日の明朝に動くと言ったな。ならば、徐州の兵士以外今日は眠るな。他の者にもそう伝えておけ。夜になれば、我らは動く」
「煉」
手を伸ばす。けれど、指先が鉄紺の外套に掠っただけ。彼を引き留めるには至らなかった。
かつかつと足音が廊下に響く。それが徐々に小さくなって、聞こえなくなるまで幽谷を手を伸ばしたまま立ち尽くしていた。
……分からない。
私には彼が分からない。
それが酷く――――辛い。
幽谷は手を下ろし、長く吐息を漏らした。
‡‡‡
幽谷はその場を動かなかった。
ただただぼうっとしていた。
いつまでそうしていたのか分からない。
「幽谷!」
「幽谷! 何処にいるの!」
戻らぬ幽谷に痺れを切らしたのか、広間の方から趙雲と関羽が何処かで幽谷を呼んだ。
それにも反応を返さずに、幽谷は佇んでいる。行かなければならないのだが、今はこのままでいたいという思いがあった。
犀煉について考えても無駄だ。それは分かっている。
けども、どうしても、いやが上にも彼のことが脳裏を過ぎってしまうのだ。
昔は、こんなことは無かったのだけれど、それは自分が猫族と――――暗殺と懸け離れた世界で暮らしているからなのかもしれない。本当に、自分にも情が出てきたと、いうことか。だが、これに関しては全く喜べない。
頭を切り替えなくてはならないのに……。
嘆息が漏れる。
気晴らしに、曹操軍の偵察にでも行こうか。
そうすれば気持ちも自然と切り替わるかもしれない。この戦い、気を抜けば危険だ。幽谷は徐州だけでなく猫族も、関羽も守らなければならないから、意識が散漫になってしまっては守れる者も守れない。
「……偵察をしよう」
幽谷は右腕を撫でると、未だに自分を呼び続ける二人に小さく謝罪を口にして歩き出した。
だが――――。
「あっ、幽谷!」
「! 劉備、様……」
角を曲がったところでたった一人廊下を歩いている劉備とかち合った。側に世平達の姿は無い。
幽谷は血相を変えて彼に駆け寄った。屈み込んで劉備と目線を会わせると、彼はふにゃりと笑う。
「良かったね、幽谷」
「え?」
「あのお兄さん、お友達なんだよね? 仲良くできてよかったね!」
劉備の言葉に、幽谷の胸がざわついた。
何故か、友達という言葉がしっくり来ない。もっと違う、それ以上の仲なのだと頭の片隅で《誰か》が訴えている。違うのに、そもそも自分達は友人とも呼べぬ関係であるというのに……。
それを抑え込んで、幽谷は取り繕うような笑顔を浮かべてゆるりと頷いた。
「そうですね」
「……幽谷? 嬉しくないの?」
「嬉しいですよ。とても」
嘘をつく。
劉備はすっと眦を下げた。
彼が口を開く前に、幽谷は優しく声をかける。
「さあ、一人でこんな場所を彷徨いてはなりません。世平様達のところへ戻りましょう」
立ち上がってそっと手を差し出すと、劉備は泣きそうな顔をした。かと思えば腰にぎゅっと抱きついてくる。驚いて少しよろめいてしまった。
「劉備様」
「……」
彼は無言である。肩に手を置くと、回された腕に力が籠もった。やんわりと剥がそうとするが、彼はしっかりとしがみついて離れようとしない。
幽谷は困惑し、どうすることも出来ずにその場で彼が自発的に離れてくれるまで待つ他無かった。
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