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もう良い。
もう嫌だ。
私に心を植え付けないで。
‡‡‡
「幽谷……」
「もう十分でしょう。私はもう十分生きたじゃない。あなたの言う通り汚い世界の中でずっと生きていたじゃない。あいつもあなたも、これ以上、私に何を求めるの」
「え?」
誰に言っているの?
幽谷は譫言(うわごと)のように呟く。
関羽が見えているかも怪しい。
一体、彼女の中で何があったのだろう。
唐突な変貌に関羽はただただ困惑していた。
「あの、幽谷」
「もう沢山だわ……四凶にはやはり意味は無いのよ。災いの塊の四凶に、生きる意味も資格も在りはしない。もう私は楽になりたいの。もう生きていたって虐げられるだけ、無駄な生を歩むくらいなら……」
「ぅぐっ」
幽谷は唐突に関羽の細い首を掴み圧迫した。ぎりぎりと骨が軋み、息ができなくなる。
「ぁ……っ」
「私に戻さないで。あんなもの私には最初から無かったの。……在る筈のないものを私に戻そうとしないで!」
懇願にも似た声に、関羽はきつく瞑った目を薄く開いた。
――――泣きそう?
いや、泣いている。
涙は無いけれど、泣いているのだ。
まるで、迷子になった子供のように。
「……っ」
抱き締めてあげなければ、もっと泣いてしまう気がした。
関羽は酸欠で視界が霞がかる中、力を振り絞って両手を伸ばす。
頬を、包む。
幽谷はびくんと身体を震わせた。関羽から逃げるように身を離してじりじりと後退する。
「違う……違う……っ私は違う……!」
幽谷は、頭を抱え狂ったように同じ言葉を繰り返した。
関羽は咳き込みながら、立ち上がって足取り危なげに幽谷に近付いた。
今の彼女は非常に不安定だった。
何がきっかけだったのかは、関羽には分からないが、彼女は今癇癪(かんしゃく)のようなものを起こしている。
また死ななければだの何だの言って、自分を殺そうとするのも時間の問題であった。
関羽は近付いて幽谷を抱き締めた。
再び、震える。
だが意外なことに抵抗は無かった。むしろ、全身から力が抜けた。
そのまま、背中を撫でる。
「私は……四凶。四凶でなければならない。災いそのものなのだから」
小さく掠れた声が轟音に呑まれる。
されど関羽の耳にはしっかりと聞こえていた。
「四凶は邪悪なる怪物。その特徴が現れた子は、存在自体が邪。生きていてはならない。生まれ落ちたらばすべからく、急ぎ殺せ」
まるでかつて読んだ書物の文をそのままそらんじているかのようだ。
関羽は淡々と語る幽谷の声の無機質さに胸が締め付けられるような思いだった。
「あなたは、そうやって自分を殺してきたのね」
「……猫族の村にいたら、持たぬ筈のものが戻りそうだったの。戻ってはいけないと分かっているのに、意志に反して戻ろうとしていた。私の手は汚いから、黒い部分しか知らずに生きてきたから、私の中に在る筈がないのよ。――――《心》なんて」
「幽谷……」
彼女はどれだけ、四凶として生まれたことの苦しみを独りで耐えてきたのだろう。
心を無くし、人殺しが当然の人生の中、どれ程の凄絶な人生を歩んできたのか。
――――もし。
もし、彼女が彼女を受け入れてくれる場所に巡り会えていたならば。
もっと人らしく笑っていたのだろうか。こんな風に死にたがるなんて無かったのだろうか。
ううん――――きっと今からでも遅くない。
幽谷は少しだけ私に似ている。
人間に生まれたのに、人間じゃない。勿論猫族とも違う。四凶というだけでどの種族からも異端視され、忌み嫌われてきた。
人間と猫族の混血で、どちらでもない私と、少し似ている。
だから、だからこの人には生きて、また笑って欲しい。
「ねえ、幽谷。四凶でも心を持って良い――――いいえ、四凶なんて関係ない。あなたは人だわ。心を持つのは当たり前のことよ」
「……違う」
「違わない。あなたはとても優しいわ。だから劉備も懐いたのよ、きっと」
「違う! 私は化け物。人を食らう龍の子で……!」
幽谷は頑なだった。頑なに人であることを否定する。根強い。
今すぐに考え方を変えるなんて、難しそうだ。
「……じゃあ、まずは自分が人だって思うようになりましょう」
そこで、ようやっと幽谷が顔を上げた。胡乱げに眉根を寄せている。
それに、関羽は笑いかけた。
「そんなの……」
「大丈夫よ、私も手伝うわ。だから、もう死のうとしないで」
彼女は色違いの双眸を丸くした。
――――関羽は四凶を受け入れた。
それがどうなるのか、どのようになるのかなど、分かる筈もなかろう。
まして、この邂逅があのような終末に結びつくなど誰が予想し得ただろう。
また、幽谷もこの時は未だ、己に課せられた天命を、知らずにいたのである。
序・了
●○●
やっと本編に入れます。
ちなみに夢主は何かと思い通りにならなくてキレたのでした。
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