8
「オレらは、徐州を曹操から守るために来たんだぜ! ここに何の義理もねーにもかかわらずだ! なのに、十三支だ卑しい者だ!? 冗談じゃねーぜ! もういい加減にしてくれー!」
喚き立てる張飛に煽られ、他の者達も騒ぎ出した。関羽や世平が宥めても止まらない。
それもそうだ。こちらは徐州に援軍に来たのだ。
だのに、ここでも卑しい者扱いされて、そんな相手を守る気など失せてしまう。
幽谷はくるりときびすを返した。
「あっ、幽谷!」
「皆様、帰りましょう」
「そんな!! 待って!」
関羽が縋るように幽谷の腕を掴むが、彼女は歩き出してしまう。
「彼らは、人間以外の助けは受けぬそうです。ならば、これ以上こちらの義を押しつけることもありません」
冷たく言い放つ幽谷。彼女に他の猫族も同意を示す。
関羽は弱り切って趙雲を見上げた。幽谷のこの行動が猫族のことを考えてのことだとは分かる。けれども、このまま帰ることも出来ない。
いきり立つ猫族に気圧された糜竺は陶謙を振り返る。
陶謙は沈黙したまま。すっと目を細め、糜竺の前に出た。糜竺が戸惑って呼び止めるも、そのまま猫族へと歩み寄る。
「待ってくれぬか」
その声に、猫族は陶謙を胡乱げに見やる。幽谷も足を止めて肩越しに陶謙を振り返った。
彼は猫族を見渡しながら、
「わしが徐州の刺史、陶謙じゃ」
深々と、頭を下げたのである。
皆一様に目を剥いた。
幽谷は目を細め、身体を反転させる。
「不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳なかったのぉ。この者には、わしから強く言っておく。どうかこの年寄りの顔に免じ勘弁してやってはくれんか」
「陶謙様……」
「お、おう。こっちこそ、ギャーギャー騒いで悪かったな。よく考えてみりゃ珍しい反応じゃねーしな」
まさか刺史がこのような行動を取るなどとは思わなかった張飛は、すっかり勢いを削がれてしまって腰が引けていた。
そんな張飛に朗笑を浮かべて再び頭を下げると、関羽を見て鷹揚に歩み寄った。
幽谷は関羽から一歩離れ、その場に片膝をついた。
「確かお主が、関羽じゃったな。董卓討伐の連合軍でのお主の活躍。よく覚えておるぞ」
そこで、彼は幽谷にも視線を向けるのだ。
「お主も。あの呂布との戦い、人から聞いた話ではあるが、相当苛烈であったそうじゃな。そのような者達が援軍に来てくれたこと、とても嬉しく思う」
「……勿体ないお言葉です」
先程の幽谷の態度にも気分を害した様子も無く。朗らかに言葉をかけてくる陶謙に、幽谷は目を伏せて軽く頭を下げた。
陶謙は糜竺を振り返る。
「糜竺、お主にも話したじゃろう。猫族はまことに勇猛な者たちばかりじゃったと。そして、四凶に生まれた彼女の忠誠心は、人間に比べるべくもないとな」
糜竺は顔を歪めた。皺が一層深くなった。
「話には聞きましたが、いまだに半信半疑です」
猫族はともかく、やはり四凶は凶兆という概念があるのだ。そんな存在に人を越える忠誠があるなどとは信用ならぬのであろう。
幽谷――――四凶に胡乱げな眼差しを送る糜竺に、陶謙は物憂げに眉尻を下げた。謝ろうとした彼に首を左右に振って止めた。
四凶について、自分は何も思わない。それに先程の自分の行動を思えば、彼が謝る理由は全く無いのだ。これが猫族であれば、話は別なのだが。
陶謙は小さく謝辞を述べると、趙雲に向き直った。
「そちらにおられるのは、公孫賛殿の下の趙雲殿じゃったな」
趙雲は畏(かしこ)まって拱手する。
「この趙雲、公孫賛様のご命令により二千の兵を連れ参りました」
「おお、おお、勇猛な猫族に北平一の将と噂される趙雲殿がまいられるとは。まことに心強いものじゃ」
「して、趙雲殿。残りの兵はいつ到着なさるのですか?」
趙雲は、言葉を返さなかった。目を伏せた。
糜竺は眉根を寄せる。
ややあって、
「到着いたしません。猫族三百余名、北平の兵、二千。これがすべてです」
糜竺は言葉を失った。さっと青ざめ唇を震わせる。
陶謙もまた、苦しげに顔を歪めた。
「あの、他の諸侯の方からの援軍は?」
「……ない。お主たちが初めてじゃ。そして、おそらく最後であろうな」
沈痛な面持ちで答える陶謙に関羽は息を呑む。
「徐州の残りの兵力は? 差し支えなければ教えて頂きたい」
「隠すまでもありません。これまでの戦いで七割以上の兵を失いました」
戦死者に加え、遁走(とんそう)する兵もいる。
兵力はざっと……一万程度。
絶望の濃い沈んだ声音で答えた糜竺は下唇を噛み締めて俯いた。
対して、曹操軍はおよそ十万。しかも精鋭部隊と来ている。
徐州相手に容赦が無い。徹底的に潰すつもりなのか。
糜竺の返答に公孫賛軍の兵士達は俄(にわか)に騒ぎ出した。士気が、みるみる内に下がっていく。趙雲が一喝して静まりはしたものの、戦意は失せてしまっている。
何か策は無いか。
幽谷は立ち上がると腕組みして考え込んだ。
が――――。
無数の、蹄の、音……。
幽谷は弾かれたように背後を振り返った。
一人の兵士が駆け込んでくる。
「と、陶謙様! 糜竺様!」
「どうしました? ひょっとして新たな援軍が来ましたか?」
「ち、違います! 曹操軍です! 曹操軍が、すでにあの丘に!」
遠くに旗が見える。幾重にも重なって風に揺れている。
そこに描かれたるは『曹』の文字。
こんなにも、近い。
周囲の兵士達に緊張と恐れが走った。
「ついに、来たんじゃな……」
陶謙が、呟く。
.
- 112 -
[*前] | [次#]
ページ:112/294
しおり
←