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花が咲いた
花が咲いた
甘い香りに誘われて
蝶々 蜜蜂
舞い踊る
風が運ぶええ匂い
後にはたわわに実っておくれ
腹膨れる程に
実っておくれ
花が咲いた
花が咲いた
さあ 皆混じれ 喜べや
蝶々 蜜蜂
舞い踊れ
――――歌が、聞こえる。
ゆっくりと瞼を押し上げると、そっと額を撫でる、かさついた手。
視線を巡らせると、世平が笑ってこちらを見下ろしていた。
「気が付いたか」
「……世平様」
上体を起こすと、右上腕に痛み。片目を眇めた。
袖をめくって愕然とした。
「……そんな」
戻っていたのだ。
鱗が。
あの時しかと剥がした筈だった。大量の血が流れた。それなのに、どうして何事も無かったかのようにそこにある?
幽谷は言葉を無くした。
世平は、それに目を細めた。
「お前、鱗を剥がしたな」
「……」
「昨日、木の上から落ちて気絶したところを星河が見つけたんだ」
鱗を見つめ、世平はそこで黙り込む。それから躊躇するように口を開閉させ――――昨夜彼が見たことを幽谷に話すのだ。
鱗が、再生したのだと。
「再、生……」
「ああ。もう、鱗には触らない方が良い。犀煉という男に話を聞くまで、刺激するな」
鱗が、再生。
頭の中で繰り返しその言葉が蘇っては消える。
鱗を剥がせば大量の血と、意識すら奪う程の凄絶な痛み。
そして、再生。
……気味が悪い。
鱗に触れ、幽谷は唇を震わせた。これが四凶としての変化なのかと思うと、胸がひやりと冷めた。
「幽谷」
「……関羽様には」
「言っていない。他のもんにも言うつもりはねぇ。星河にも口止めはしておいたしな」
世平は、そこで話を変えた。これ以上この話題を話せば、幽谷が更に己に恐怖するだろうと考えてのことである。
今関羽達が公孫賛のもとに行って猫族の総意を伝えていると告げると、彼女は吐息混じりに「そうですか……」と。
「やはり、戦に赴かれるのですね」
「ああ。お前はどうする? 身体がキツいならここで残った奴らの護衛を――――」
「いいえ、参ります。関羽様お一人で曹操に合わせる訳には参りませんから」
兌州を去る時、曹操の様子はおかしかった。そんな彼が次に関羽に会ったらば、何をするか分からないのだ。執着がまだあるのか、それとも、徐州についたことで徹底的に排除されるのか……。
相手が曹操であるならば、関羽の側を離れてはいけない。関羽を、守らなければ。
そう強く言うと、世平は止めることは無かった。ただ、無理をしないように釘を刺してきた。この状況下、関羽に関して幽谷が引かないということを十分に分かってくれているのがとても有り難い。
世平に頭を下げ、関羽は家の外から聞こえる歌声について問いかけた。先程から風に乗って聞こえてくるその歌は、猫族の中で歌われる春の歌だ。猫族の村にいた頃に子供達が歌っていた。
「ああ、あれは泉沈だ」
曰く、誰かに教えてもらったようで、朝から繰り返し歌っているそうだ。
確かに、同じ歌詞、曲調が何度も続いている。
「星河とじゃれてる時は、まさに子供なんだがなぁ。やはり兌州でも問題を?」
幽谷は首肯した。
「……ええ。約束はさせたのですが、あまり意味は無くて。関羽様の話では、夏侯惇殿に乱暴を働いたとか」
その時に身体の中に双剣を収めたとも聞いたが、到底信じられる話ではない。肉体に武器を収めるなんて常識では有り得ない。そのようなこと、幽谷にだって無理だ。
そのことは話さずにおく。
世平は顎に手を添えて唸った。
「兌州みたいに、ついてくるだろうな。泉沈は」
「恐らくは。四凶として身体能力は高く、戦えるようですが……やはり危険です」
と、彼を説得したところで聞くかどうか不安なところであった。
吐息を漏らすと、歌が止んだ。
星河が吠える。
「……関羽達が帰ってきたか?」
世平は見てくると腰を上げる。
それに続こうとするが、世平はそれを手で制した。
「お前は、まだ休んでいた方が良い。関羽達には心労で倒れたと言ってあるから、行けば蘇双達に責め立てられるぞ」
「心労は無いのですが……」
「まあ、情けない話だが、戦になれば関羽とお前の武が頼りになる局面もあるだろう。今のうちに十分休んどけ。徐州では、今までよりも厳しい戦いになる。下手をすれば、俺達も無事では済まねぇかもしれん」
「……分かりました」
そう言われると、無理に起きれない。
世平の言葉に承伏しかねるように顔をしかめながら、幽谷はやおら頷いた。
彼は幽谷の頭を撫で部屋を出ていく。
それからややあって、外が俄(にわか)に騒々しくなる――――。
幽谷は袖を下ろした右腕を押さえ、微かに聞こえる彼らの声に耳を澄ませた。
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