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 幽谷が一時的に幽州に戻っている間、関羽は泉沈と共に行動していた。

 幽谷に言い聞かせられている泉沈は片時も彼女の側を離れない。幽谷が幽州に戻る前まではふらりと何処かに行っていたのにこうも神妙に言うことを聞いているなんて、相当幽谷のことが気に入っているらしい。


「掃除するなんて精が出るねぇ」


 関羽が廊下の掃除をしているのを、泉沈は欄干に腰掛けて眺めている。


「お世話になっているもの、これくらいはしなくちゃ」

「ほんと、平和馬鹿の最果てだね。関羽のお姉さん」


 紫のお兄さんは猫族を利用してた人なんでしょ?
 そんな人間にお礼をするなんて、いくら平和馬鹿でも有り得ないとばっさりと言い放つ彼に、関羽はもう慣れたとばかりに苦笑を返す。

 そんな折だ。


「貴様、何をしている?」

「あ、つり目のお兄さん」


 偶然通りかかったらしい夏侯惇は、関羽を強く睨んでいる。泉沈にも冷たい一瞥をくれた。


「何って、廊下の掃除をしていたんだけど……」

「廊下掃除、な……」


 夏侯惇の目が細まった。


「掃除のふりをして――――」

「曹操様のご様子を探っていたのではないか? 的な感じ?」


 わざと声を真似て彼の言葉を引き継いだのは泉沈だ。にやにやと揶揄するように夏侯惇を見つめている。
 夏侯惇は舌を打った。

 腰に佩いた剣に手を伸ばしたのを見、関羽が慌てて口を挟む。


「そ、そんなつもりはないわ! ただ、お世話になっているからこれ位の事はしないとと思ったの」

「……どうだかな。貴様は十三支。十三支など信用に足る要素が何一つない」

「そ、そこまで言わなくても!」

「……あれ、でもさ、その理論で行けば、僕達からしてみても人間には信用に足る要素が無いってことだよね。それってちょっと安易すぎる理由じゃないかなぁ? やっぱり頭悪いね、お兄さん」

「泉沈!」


 咎めるが、泉沈はきょとんと首を傾ける。何か悪いことでも言ったか、とでも言いそうな顔だった。

 夏侯惇は泉沈を睨みつけた。


「理由ならば、幾らでもある。四凶を連れていたばかりか、十三支の四凶まで現れるとは、曹操様に何か不吉を呼び込むつもりとしか思えない」

「うわー、本当に安易な理由ばっかだね。っていうか僕らは猫族で、四霊なのー。お兄さん物覚え悪いよね。早く覚えてよ。僕頭の悪い人間に付き合える程優しくないんだよー」


 泉沈は笑顔で毒を吐く。

 関羽は頭を抱えたくなった。幽谷と約束してたじゃない!

 何とか冷静だった夏侯惇も彼の悪気の無い毒にこめかみをひきつらせてとうとう剣を抜いてしまった。

 そのまま切りかかろうとした夏侯惇に、しかし泉沈は無邪気な笑顔を浮かべたまま、避けようとしない。このままでは斬られてしまう。

 関羽は慌てて、夏侯惇の腰に手を回し、抱きつくように夏侯惇を止めた。

 すると夏侯惇はぎょっとして関羽を引き剥がすのだ。


「俺に触るな!!」

「きゃっ!」


 関羽が尻餅をついた瞬間。

 泉沈の姿が消えた。


 それは玉響。


 夏侯惇の視界がぐるりと回転した――――!



‡‡‡




 関羽は愕然としていた。
 泉沈が姿を消したと思ったら、夏侯惇の後ろに立って彼の首を掴み右に引き倒したのだ。

 泉沈は夏侯惇に馬乗りになって、何処から取り出したかも分からない双剣を首に交差させて当てている。相変わらず、笑みを浮かべていた。


「貴様……!!」

「あのね、僕幽谷のお姉さんから関羽のお姉さんを守ってねって言われてるんだ。だから、関羽のお姉さんに危害を加える人間なら、死なない程度には痛めつけて良いんだ。……多分」

「せ、泉沈、あなたその剣を何処から……」

「ん? 僕の身体ー」

「え……」


 泉沈が夏侯惇の身体から退くと、双剣を振るう。すると、それはさっと空気に溶けるように消えていくのだ。
 身体に、なんて信じられない。
 まじまじと彼の手を見つめていると、夏侯惇も上体を起こして茫然と見上げている。


「次からは気を付けてよ。じゃないと、半殺しになっちゃうかも。僕、幽谷お姉さんに比べたら身体能力は劣るけれど、君達人間よりは強いから。それに人間は嫌いだもん。人間相手に手加減するのって、面倒臭いんだ。……あ、もしかしたら、死んじゃうかも」


 にこにこと笑う泉沈には、邪気は無かった。
 彼の性格は、困るどころではない。早く矯正しないと本人の為にもならないと、夏侯惇を無視して自身にぴったりと寄り添ってくる泉沈に、関羽は強く思った。


「泉沈……」

「人間はね、恩知らずなんだよ。昔っからそうなの」

「え?」


 ふと呟かれた言葉に関羽は訊き返す。過去にもそんな言葉を聞いたような覚えがある。

 泉沈は答えを避けるように顔を上げて話を逸らした。


「お姉さん、掃除の続きはしなくて良いの?」

「え? あ、そ、そうね……」

「じゃあ、こっちに行こうよ。ここじゃあ、つり目のお兄さんが邪魔だもん。また妨害されちゃうよ」


 腕に自分のそれを絡ませて、泉沈は強引にその場を離れようとする。
 関羽は戸惑いながらも彼に従い、夏侯惇を振り返った。

 彼はすでに立ち上がって、泉沈を呼び止めている。

 泉沈に応じる気配は見受けられない。完全に無視をしていた。
 だが、角を曲がった瞬間、彼は関羽に問いかけるのだ。


「ねえ、関羽のお姉さん。あのつり目のお兄さん、自分が蔑む対象に抵抗する暇も無く首を取られた時って、どんな気持ちだったのかな?」

「え……」

「やっぱり悔しいんだろうね。人間って、本当矜持ばかり高くってやんなっちゃう。いっそ食べ物みたく腐って死んじゃえば良いのにね!」


 この子はどうしてこんな風な性格になってしまったのだろうか。
 彼の過去に、何があったのだろうか。
 言葉とは裏腹の無邪気な笑顔に、関羽は戦慄する。



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