20
世平の家に入ってまず、外に音が漏れないように札を貼った。何でもありなんだなと世平は苦笑していたが、それでも出来ないことは幾らだってある。
「それで、相談ってのは何だ」
「公孫賛様から人探しをご依頼されたのです。ですが独自で探すよりも、世平様にお力をお借りした方がよろしいかと思いました故。世平様は口も堅い。この話が外部に漏れることも無いでしょうし……猫族のことですからご協力いただけるかと」
「それは光栄だな。ご期待に添えるといいが。で、どういった話なんだ?」
朗らかに頷いてくれた世平は、幽谷を促した。
それに安堵して、幽谷は口を開いた。
公孫賛から聞いた彼の過去をなるべく簡潔に話し、最後にその女性の名を口にした。
雪蘭――――と。
目を剥いた直後、世平の顔から一切の表情が抜け落ちた。
かと思えば思い詰めたように眉間に皺を寄せ、床を見下ろした。
「……あの。依頼してはいけないことでしたか?」
恐る恐る声をかけると、世平はゆるゆるとかぶりを振った。
「……いや、すまん。なるほどな、そりゃ確かに大事にはできない話だ……」
道理で俺たち猫族に好意的なわけだ。
重い溜息をついた世平は幽谷に視線を戻し、公孫賛の依頼を確認した。
眉間を押さえ、何処か苦しそうに声を発した。
「雪蘭と言う名は、な……関羽の母親が使っていた名前だ」
幽谷は仰天した。
「関羽様の……? ですが、関羽様の母君のお名前は確か関麗様とお伺いいたしました」
「ああ。だがな、俺たちの間では、子供の頃から使っていたあだ名があるんだ。それが……雪蘭だ」
「そんな……」
では、まさか。
まさか!
「……公孫賛様が関羽様のお父君、と……?」
自分の声は、震えていた。
「……関羽の母親はな、村を出て戻ってきた時にはすでに身ごもっていた。そして、父親の名は頑なに言わなかった。だが村の外で身ごもってきたんだ、皆うすうす気付いていた。人間との間にできた子だとな」
それを受け入れようとしない、排除しようとする者も勿論いた。
だが、結局子供は生まれてしまうのだ。
混血の、娘が。
「やがて関羽が生まれた。人間と猫族の混血児だ。皆、どう扱うべきか悩んだ。俺たち猫族は人間と関わらないように生きてきたんだ。しかも、猫族と人間の間に子供が産まれるだなんて……そんなことはあり得ないとされていたから、混乱も大きかった」
世平の声は低く、重い。
幽谷は胸に手を当てて世平の顔を見つめた。
「そんな中……あいつは消えてしまったんだ。俺に関羽を託してな」
その際、彼女は書き置きを残していったそうだ。
『不義を侵した自分が責を負っていなくなる。だからその代わり、どうか娘だけは皆の仲間として育ててやって欲しい』と――――。
関羽は、母親に捨てられた訳ではなかったのだ。
「あのときは引き留められなかった自分を、ひどく悔やんだよ。だから俺はせめてもの罪滅ぼしに、関羽を見守ってきた。村の連中も雪蘭の態度に心打たれて、何も言わなくなった」
そして、今に至る、と。
そこで彼はほうと吐息を漏らした。ようやっと、笑みが戻る。
「今にして思えば、関羽は本当に両親にそっくりなのかもしれないな」
「関羽様が、ご両親に……」
「自分の身を犠牲にしてでも、愛した男への想いを貫き、娘の立場を守った雪蘭……そして、猫族であっても分け隔て無く慈しみ、救おうとする公孫賛様……。劉備様や猫族の皆を大切に想い、守るためならば先陣を切って剣を振るう関羽――――お前も、そっくりだとは思わないか?」
「そう……ですね」
よしや会えなくても、似るのが親子。
では、自分は――――?
私は、あの人に似ているのだろうか。
翡翠の腕輪をそっと撫でる。
「関羽は、雪蘭が残してくれた、宝だよ」
そう言う彼は、まさに親の顔だ。
不意に、胸が強く痛んだ。
何故か締め付けられるような強い孤独感を感じる。何かに置いて行かれたような――――そんな心地だった。
それが何という感情なのかは分からない。分からないから、気付かないフリをして世平に問いかけた。
「関麗様は、その後?」
「俺は村のみんなに内緒で、何年もの間あいつの行方を追ってたんだ。だが、やっとあいつの居所をつかめた時には、もうすでに……」
亡くなっていた、ということか。
沈痛な面持ちの世平に、幽谷は短く礼を言って立ち上がった。
そのまま家を出ようとすると、世平が彼女を呼び止める。
「これは、劉備様や若い者達は知らないんだ」
「大丈夫です。このことは、公孫賛様にしかお話し致しませぬ故」
「……関羽にも、か?」
幽谷は、ゆっくりと頷いた。
「私には、関羽様を守る義務がございます」
公孫賛が父親だと言うなら、彼女はどす黒い策謀の行き交うあの城に拘束されることになる。親子の情は雁字搦(がんじがら)めにする強固な鎖となる。
そんな場所に、平和な隠れ里で愛されながら暮らしてきた関羽を飛び込ませて良い筈がない。彼女は猫族の中でこそ、生き生きと輝くのだ。自分とはまるで正反対の方だから。
「公孫賛様が如何に清いお方であろうと、彼の周りは汚い人間の欲望が渦巻いています。そこに関羽様を放り込んでしまえば、黒いモノにもみくちゃにされてしまうに違いありません。私は、あの方は勿論、猫族の方々にも平穏無事に生きていただきたいのです。人間共に良いように利用されるくらいなら、私は関羽様に顰蹙(ひんしゅく)を買われようとも構いません」
「幽谷……」
関羽が知りたがっても、きっと幽谷は話さないだろう。聞くとすればそれは世平の口からだ。
その時責められたって良い。関羽が人間の勝手に付き合わされて傷つくよりはずっとましだもの。
だって、彼女は幽谷の主人なのだから。
幽谷は痛そうに顔を歪める世平に頭を下げて、家を出た。
胸の痛みは、まだ収まってはいない。
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