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結局、幽谷は公孫賛の依頼を受けてしまった。
幽谷自身、その女性が助けたという四凶が気になったのだ。
赤と緑の目をした四凶など、犀煉しか思い当たらない。
だが、どうして彼が女性に助けてもらったのか、幽谷の知る犀煉は、犀家の中でも抜きん出た実力者であった。幽谷同様、失敗などしたことなど無かった筈だ。
「……世平様に伺ってみようかしら」
「何を訊くんだ?」
「……」
瞬間、しまったと思った。
犀煉のことと、公孫賛の愛した猫族の女性のことに気を取られてすっかり失念していた。
「……趙雲殿」
「こちらに帰っていたんだな、幽谷」
足を止めて振り返れば、嬉しそうに笑う公孫賛の部下。
幽谷は舌打ちした。
「関羽はまだ兌州にいるのか?」
「……ええ。関羽様の報告書を届けに参っただけですので。関羽様は泉沈と共に兌州に」
すると、趙雲は「やはり、泉沈はついて行ってたんだな」と。
曰く、『幽谷のお姉さん達について行きます。』との書き置きを残して、忽然と姿を消していたらしい。……書き置きを残しただけでも良しとしておこう。
「無事に合流出来ていたんだな。二人共、元気にしているか?」
「ええ」
ここで曹操の屋敷に世話になっているとは言えない。誰にも言えない。
幽谷は苦虫を噛み潰したような心地になって、唇を歪めた。
趙雲は首を傾けた。
「どうした?」
「いえ。何でもありません。これから蒼野に立ち寄りますので、これにて失礼致します」
「俺が送ろう。馬で駆けた方が早いだろう」
「遠慮します」
趙雲に世話にだけはなりたくない、とはまったき本心である。
突っ慳貪に拒んだ。
彼女の反応など予測していたらしい趙雲は、それでも笑顔を絶やさずに幽谷の腕を掴むと大股に歩き出した。
「だから……っ」
「俺も、劉備殿に呼ばれているんだ。気にすることは無い」
「気にするのでなく、真実嫌がっているんです」
「だが、時間は短縮するに越したことは無いだろう? 関羽達が心配なら尚更だ。移動時間を短縮すればそれだけ早く兌州に帰れるかもしれないし、猫族達ともゆっくり話せるのではないか?」
「……」
そう言われては、断るにも断れなかった。
やり場の無い腹立たしさを抱え、幽谷は渋々と頷いた。
ああ、その笑顔をぶん殴ってやりたい。
幽谷は、趙雲が大の苦手なのである。
‡‡‡
幽谷が蒼野に戻ってくると、それに気付いた猫族の男性が大音声でその旨を村中に伝えた。会話を交わした直後突然だったので、非常に驚いた。
一気に猫族が集まってきて、幽谷は戸惑って半歩後退した。嬉しいが、大勢で来られるとさすがに気圧される。
「幽谷だ! おかえりー!」
「幽谷! 姉貴は? 姉貴は一緒じゃねぇの!?」
劉備に抱きつかれ、張飛には物凄い剣幕で詰め寄られ……幽谷は反応に困ってしまう。
そんな彼女を見かねて張飛の頭を叩いたのは、世平だった。
「おいおい……幽谷が驚いてるじゃねぇか」
「世平様」
「関羽と泉沈は一緒じゃねぇのか」
幽谷は首肯した。二人は何事も無く兌州で引き続き任務に当たっていると言えば、世平は安堵したように薄く笑った。……だが、後で曹操の屋敷に滞在していることを伝えたら、どんな顔をするだろうか。
「お前達が元気ならそれで良い。すぐに兌州に戻るのか?」
「はい。関羽様と泉沈が心配ですから。……それに泉沈の性格では、色々と約束させましたが、人間との間に問題を起こしかねませんし」
現に、結局は片目を隠すと言う約束は有耶無耶のまま守られていない。まあ、曹操の屋敷であれば幽谷も目を隠す必要が無いから構わないだろうけれど。
「……そうだな。じゃあ、取り敢えず、茶でも飲んで行け。それくらいの余裕はあるだろう?」
「趙雲殿が送って下さいましたので、少しの余裕はございます。……ですが、世平様に一つ、ご相談が」
出来れば世平様のみにお聞き願いたいのですが。
そう言うと、世平は笑顔を消し、真摯な面差しで頷いた。
「分かった。では、劉備様。申し訳ありませんが、俺と幽谷だけで話をさせていただけませんか。とても大事な話のようですので」
「えー……」
劉備は途端に不満を露わにし、幽谷の腰に回した手に力を込めた。
それに、幽谷は穏やかな声をかける。
「劉備様。私が世平様とお話し致す間に、関羽様へのお手紙を書かれて下さい。私が蒼野を発つ前に預けていただければ、私がお届け致します」
「――――本当!?」
「はい」
幽谷が頷けば彼は簡単に離れてしまう。
真っ直ぐに自宅に走っていく猫族の長の背中を見送り、幽谷は口角を弛める。
「オ、オレも! オレも書いてくる! 幽谷、待っててくれよな!」
「おい、幽谷にゃ時間がねぇんだ。お前が急げ」
「わーってるって!!」
関羽は本当に猫族の方々に愛されている。
今更ながら、心より嬉しく思う。
「じゃあ、幽谷。俺の家に行くか」
「申し訳ありません。突然帰ってきて、ご相談など……」
「いや、良いさ。娘からの相談に乗らねえ親はいねえだろう」
そう言って笑う世平に、胸が熱くなる。
だが――――。
「世平様」
「ん?」
「世平様と私の年齢では、親子と言うには少々無理があるのでは?」
「そういうことを言うな」
叩かれた。
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