17





 関羽が幽谷に出された条件は二つだ。

 一つ、関羽一人で行動は絶対にしない。幽谷がいない場合は泉沈に同行してもらうこと。

 二つ、曹操に関することは全て、幽谷に断り無しに勝手に決めないこと。

 ここに来た頃に比べれば怒りも収まっている幽谷は、目覚めて二日もすると関羽の代わりに情報収集をしようと彼女の側を離れるようになった。それを夏侯惇達は勿論不審がったが、今のところ問い詰められることは無い。幽谷も上手くかわしているようだ。

 しかし、彼女にばかり間者の仕事をさせていて良いんだろうか。
――――いいや、良くない。
 そもそも間者になると決めたのは関羽自身だ。それなのに、友人にさせるなんて出来る筈もないじゃないか。


「わたしも、何か調べないと……」

「もう駄目でしょ。幽谷のお姉さんならもうこの軍の設備とか軍隊の構成とか、他にも色々と把握してると思うよー。関羽のお姉さんと違ってこういうことには慣れてるんだって、幽谷のお姉さん言ってたじゃん」

「……じゃ、じゃあ曹操の容態とか!」

「うん、やっぱ馬鹿だね。そんなん趙雲のお兄さんの上司が知ったって、意味が無いでしょ。そんな情報得てどうすりゃ良いのさ。薬でも送れって?」

「うぅ……」


 へらへらと笑う泉沈の言葉は、さながら刃だ。関羽の心を容赦なく抉る。


「もう、幽谷のお姉さんに任せときなよ。関羽のお姉さんは、馬鹿なりにあの紫のお兄さんに捕まらないように気を付けてたら? その方が幽谷のお姉さんもすっごく安心すると思うよー」


 幽谷が言ったからなのか、最近泉沈は関羽によく馬鹿と言う。昨日幽谷に咎められていたが、『だって僕から見ても関羽のお姉さんは平和馬鹿なんだもん。本当有り難い頭してるよねー』なんて反省した様子も無く返していた。

 が、夏侯淵達のように嘲っている風には感じられない。ただ単純に感想として思っているようだ。嫌な気分にはならないが、これはこれで結構凹(へこ)む。


「あ、あとつり目のお兄さんとー、青緑のお兄さんにも気を付けなくちゃだね。幽谷のお姉さんが何をしているか気にしてるみたいだし、関羽のお姉さんが襤褸(ぼろ)出しちゃったら大変だよねー」

「……泉沈、色々と知ってるのね」

「僕馬鹿じゃないもん。つり目のお兄さんも青緑のお兄さんも顔見れば普通に分かるよ」

「……ううぅ」

「廊下の真ん中で頭抱えると人間に文句言われちゃうよー?」


 もう駄目だ。泉沈の攻撃ならぬ《口》撃に心が挫けそうだ。
 関羽は大仰に溜息をつき、話を逸らした。


「ところで、泉沈」

「あ、逃げた」

「……泉沈は、何の四霊なの?」


 問いかけると、泉沈はきょとんと首を傾けた。

 幽谷は、四凶としては饕餮(とうてつ)だが、四霊としては何に当てはまるのかは不明だ。泉沈が己の四霊を知っているんだったら、幽谷の四霊も分かるのではないかと思ったのだ。

 泉沈の返答に期待した関羽は、しかし。


「何だと思う?」


 肩透かしを食らったような心地だった。
 性別を訊ねた時と同じような切り返しに関羽は肩を落とした。

 分からないから訊いているのだと言えば、「じゃあ、僕も分かんないや」と笑い混じりに返された。これは、からかわれているのだろうか。


「本当に分からないのね?」

「うん。関羽のお姉さんが分からないから僕も分かんない」

「そういうことじゃなくって……」


 ……駄目だわ。
 この調子ではちゃんとした返答は期待出来ない。
 関羽はこめかみを押さえずにいられなかった。

 どうして……この子はこうも斜に構えた性格をしているのかしら。


「なぁに? 関羽のお姉さん」

「……いいえ、何でもないわ。早く曹操のところに行きましょう。お茶が冷めてしまうわ」

「はーい」


 間延びした声で返事をする泉沈は、しかし、不意に足を止めた。外の方を見、すっと眉を顰める。

 彼から数歩先で立ち止まった関羽も彼の視線を追って外を見るが、めぼしい物は見つからない。


「泉沈?」

「……ううん。何でもなーい」


 呼べば彼はすぐにこちらに視線を移してしまう。嘯(うそぶ)いて関羽の隣に戻ってくる。


「何かあったの?」

「青い空に白い雲があったよ」


 泉沈は、笑顔でそう返した。



○●○

 補足。
 泉沈の呼び方。

『紫のお兄さん』→曹操。
『つり目のお兄さん』→夏侯惇。
『青緑のお兄さん』→夏侯淵。


 趙雲はわりかし気に入っているので名前にお兄さんを付けますが、基本的に彼が人間を名前で呼ぶことは無いです。
 夏侯淵については彼はどう表現しようかと迷って、髪や袖は青なのか緑なのか迷って、その結果無理矢理あんな感じに落ち着かせました。色彩感覚に自信が無いもので、違ってたらすみません……。

 ――――なんて、泉沈の呼び方については前々から決めていたくせにちゃっかり数ページ前で普通に「曹操のお兄さん」と言わせていたことに私自身が驚愕し、すぐに修正しました。よくあるよくある……私だけですが。



.

- 95 -


[*前] | [次#]

ページ:95/294

しおり