リハビリ
2021/11/08 14:33




 いつでも元気の有り余る標のお守りをするようになって、澪がどれだけ彼女の扱いに長けていたかよく分かった。

 心の向くまま自由に動き回る標を視界に収めておくだけでも一苦労である。
 それを振り回されることなく制御し、かつ標の機嫌を損ねずにいられるのは、双子の姉だからこそなのだろう。

 銀波はともかく金波でさえ手を焼く標を、道満が最初から制御出来る訳がなかった。
 慣れてくると標に振り回されるのが楽しいと思えるようになったが、旅の始めにはなかなかに苦労したものだ。
 久方振りに再会して以降大好きな姉にべったりな標を後ろから見守りつつ、道満はふと、旅立って間もないある昼下がりのことを思い出していた。



‡‡‡




「どーまんさまー!」


 火を起こしていた道満は、標に呼ばれて振り返って固まった。
 少しの間固まって、


「……標。それは?」


 ようやっとそれだけ言えた。

 にこにこと無邪気に笑う標は、「見て見てー!」と素手で掴んだ細い生き物を道満に差し出した。


「蛇さん! 川のおそばでぐるぐるにおすわりしてたの!」

「……そう、か。仲良くなったのか」


 蛇は大人しく、標に対し攻撃的ではないようだ。
 そのことだけが救いである。
 道満の記憶が正しければ標が握っている蛇は毒を持っている。噛まれても黄泉の澪標(みおつくし)の片割れである彼女は死にはしないだろうが、毒による症状は出るかもしれない。

 転ぶと、全然痛くないよと我慢して手当てを受けられるいじらしい標。我慢したことを褒めると嬉しそうに胸を張る姿はいじらしい。
 そんな彼女を毒で苦しませる訳にはいかなかった。道満を信用して大事な妹を託してくれた澪にも申し訳がない。

 こういう時はどうすれば良いか、旅立ちの際に澪標の兄である旧友から受けた助言を思い出す。
 あまり強く叱りつけると精神的に不安定になり、力を無意識に行使してしまう可能性がある。
 標は賢いので、叱るよりも穏やかに分かりやすく理由を教えて注意する方がすんなりと受け入れてくれる。
 加えて危ないことをしている時は、標が怪我をするととても悲しくなると伝えると効果的だとも言われた。


「標。蛇と仲良くなるのは良いことだが、あまり連れ回してはいけない。もしかすると、川辺で休んでいたのかもしれないだろう」

「あ……」


 思い当たる節があったようで、標は蛇を見下ろした。


「蛇さん、寝てたかも」

「ならば、元の場所で寝かせてあげないとな。ちゃんと謝れるな?」


 標は大きく頷き、小走りに蛇がいた場所に戻っていった。
 ややあって、蛇に謝る標の大きな声が聞こえる。

 また小走りにやって来た標に、道満は蛇を不用心に触らないように言った。


「どうして?」

「あの蛇は……優しかったから大丈夫だったのかもしれない。機嫌が悪かったり、警戒心の強い蛇であったら、もしかしたら噛まれてしまうかもしれない。お前が傷つくと沢山の人が悲しむから、気を付けてくれ」

「うん。分かった。蛇さんを見つけたら、まずはじめましてって言ってみるね。それで、やさしい蛇さんだったらなでなでしても良い?」

「……ああ」


 一抹の不満を抱いた道満は、標から目を離すまいと決めたのだった。
 そしてその後、再び川辺に寄った標を見守りながら野宿の準備をしていると、


「うぎゃあぁぁっ!」


 何処からともなく銀波の悲鳴が聞こえた。
 道満は溜息ついて手を止め、標に荷物の監視を頼んで悲鳴の聞こえた方へ向かうのだった。



‡‡‡




「……ふ」

「あ? 何だよいきなり。気持ち悪い」


 つい思い出し笑いをしてしまった道満を、銀波が気味悪そうに見上げた。
 道満は「いや……」と口元を手で隠す。


「いつだったか、うっかり熊の塒(ねぐら)に転がり落ちて追いかけ回された少年のことを思い出していた」

「んなっ!?」


 途端、銀波の顔が真っ赤に染まる。
 当時のことは彼にとっては黒歴史だ。巨大な熊に敵認定されて追いかけ回され、道満に助けられてしまった。
 道満が術であっさりと熊を昏倒させたのを、心底悔しそうに睨んでいたのも道満は鮮明に記憶している。

 人の顔がこんなに赤らむものかと呑気に眺めている道満に、銀波が食って掛かった。


「おまっ、馬鹿にしてんだろ!」

「いや、運が悪かっただけだろう。たまたま根が浮き上がっていたところにたまたま――――」

「言うなよ馬鹿っ!」


 どんなに文句を言っても道満が穏やかに受け流すので、銀波はどんどん騒ぐ。

 澪に注意されて静まるまで、道満は銀波のじゃれつきを温かい眼差しで見守っていたのだった。



◯●◯

 リハビリリハビリ……。



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