そう。それは確かに記念日なんだろう。 10月29日。 ありがたくも、ボクがこの世に生を受けた日。 『ココ!誕生日おめでとう!!』 『・・・ありがとう』 その日はいつも、あっという間に過ぎた気がする。 そう、毎年そうだった。朝っぱらから誰かしらがボクに何かしらを伝えにやって来ては、あれこれとボクの意思などお構いなしに引きずり回すんだ。 嬉しい事も嫌な事も、ワクワクする事も逃げ出したい事も、みんな一緒くたにやって来てはその勢いのまま何処かに去っていく。 『ココ、ケーキ食べようよ』 『ココ、体の調子はどうだい』 『ココ、早くプレゼント開けて』 『ココ、検査室へ』 『ココ、我慢しなさい』 『ココ、何歳になった?』 『ココ、苦しくないか?』 『ココ、これは耐えられるか?』 『ココ、次は、・・・』 『ココ、』 『ココ。』 「ココ?」 頭に受けた衝撃に意識が一瞬で覚醒した。 攻撃するかのように慌てて顔を上げて見た先には、見知った顔。 クスクスと笑う相手を認識した頭が、逆立った心を静めていく。 「・・・脅かすなよ、ソウ」 記憶から起き上がりかけた何かを拭うように、ボクは前髪を掻き揚げた。 「寝るならテーブルじゃなくてベッドにしろ?」 「寝てないよ」 「じゃあ何でテーブルに突っ伏してた?」 「一息ついてたところだよ」 言いながらボクは、ソウが持っている紙袋をちらと見た。さっき頭に受けた感触はこれだろう。そして不思議そうにボクを見ているその顔に、ボクは部屋中を仰いでみせる。 「例年通り、兵どもの夢の後始末をしてたんだ」 「あぁ」 散々食べて、飲んで、騒いで。 当然積み重ねられていく皿、空になったボトル、食べこぼしに余興の跡。 夜が明ければそんな喧騒も去ってしまい、部屋のあちこちに小さく残っている宴の名残りが、騒々しさに疲れたボクを一層気だるくさせた。 それでもいつまでもこのままではいられないから、そんな寂しい欠片を集めて、捨てるのは当然、ボクだ。 「皆来てたのか」 「来ていたよ」 「残念。一足違いだったなー」 「そうだね」 「そうだよ」 「・・・で?」 「え?」 「今日は何の用事で?ソウ?」 ボクは皮肉っぽく言った。 「ケーキはもう無いけど?」 「・・・もしかして、誕生日?」 「そうだよ」 「えーっと・・・」 「僭越ながら、ボクの、でした」 「そっか。それはおめで・・・たかったな」 「そこは無理に過去形にしなくても良いんじゃない?」 「いや、事実過去だからさ?」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・その紙袋は?」 「あ、これはさ、」 ボクはソウから紙袋を奪って、その包みを開けた。 「・・・・・・」 「来る道すがら、美味しそうだったからつい」 包みから直に漏れる甘い香りに、ボクはクスリと笑った。 「確かに、美味しそうだ」 素朴だけれどしっかりと焼き上げられたガレット。 買った時はちゃんと揃えて入れてくれたのだろうが、なにせ持ち主が持ち主で。袋の中で激しく遊んでいた。その転がりっぷりが、ボクには目の前の人物に重なって見えた。 そして不思議な事に、あれほどの暴食の後だと言うのに、無性に食欲をくすぐられる。 「ありがとう。ソウ」 「どういたしまして」 「早速頂こう」 「良いよ」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・何?」 「何って・・・ココ?」 「うん?」 「コーヒー」 「え?」 「淹れて?」 「・・・・・・」 いつの間にか隣の椅子に座っていたソウ。その頬杖と笑顔にボクは小さなため息をついた。 「ココ?いつも以上に変な顔だぞ?」 「・・・今日はソウがやるべきじゃないかと思って」 「そう?」 「そうだよ。知らない家でもないだろ?」 「そうだけど、何故に?」 「何故?その言葉が出る理由をボクが聞きたいよ」 誕生日を祝ってくれるんじゃないの?と言いかけたボクに、ソウはさらりと言ってのけた。 「ココの誕生日は昨日終わったし」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・このガレットって」 「さっき言ったじゃん」 「え?」 「『美味しそうだったからつい』って」 「・・・そうですか」 渋々立ち上がってキッチンへ行くボクと、その背中に感じるソウの視線。何だか納得がいかないのはボクだけだろうか。 それでも、いつものようにケトルを火にかけ、豆を挽いた。手馴れたものだ。豆もお湯も、きっちり二人分。 「あ、こないだのコーヒー!美味しかったからそれが良いな」 「こないだって何時だよ」 「先週の」 「先週も先々週もその前も同じ豆だけど」 「そーなのか?先週のは格別だったよ?」 「同じだって」 「・・・ココの何かが入ってたかな」 「毒なんか入れないよ」 「誰も毒って言ってないじゃんか」 「じゃあ何だよ」 「んー・・・愛とか?」 「・・・・・・」 「ちょ、そこで無言決め込むんか」 ボクはテーブルにカップを大げさに置いた。 少し零れたけれど気にしない。 「淹れましたが?」 「どーも」 「どうせならミルクも注ぎましょうか」 「どうせなら砂糖も欲しいです」 「遠慮も何も有ったもんじゃないな」 「何を今更」 ソウはカップを受け取りつつフフ、と笑った。 椅子の背に肘をポンと乗せて、すらりと伸びた足をラフに組んだ姿は、まるでこの部屋の主のようで。 「さっき自分で言ったくせに。『知らない家でもない』って」 「なら次は自分で淹れてほしいよ」 「やだよ」 「何で」 「ココが淹れるから美味しいんだよ」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・誉めても何も出ないよ」 「マジか」 「マジだよ」 「そういえば買って来たんだった」 「何を?」 「甘いもん」 「あぁ、ガレット」 「そんなゴツい名前が」 「ゴツいって・・・」 「まぁ良いや。食べる?」 「当然」 「じゃあせめておかわり欲しい」 「は?」 「コーヒー」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「ココ?ガレット食べて?」 「言われなくても食べるよ」 ボクはコーヒーを一息で飲み干した。 そのまま両手にそれぞれのカップを持って立ち上がって、渋々キッチンへ進んだ。またしても感じるソウの視線。本当に納得がいかない。ボクだけだろうか。 さっきと同じ分量の水をケトルに、同じように豆も挽いて。手馴れたものだ。手馴れすぎてて自分が腹立たしい。 「そういえばさ、ココ?」 「何?」 「一つ年を取るってどんな感じ?」 「どんなって・・・自分はどうなんだよ」 「一つくらいじゃ分からないなー」 「だろ」 「でも、記念日って嬉しいだろ?」 「昔に比べたらね」 「あぁ・・・」 ボクは静かに湯を回し入れた。 「昔と違って、今は楽だからね。昨日みたいな事が無いと忘れてるよ」 「だよな」 「それに」 「ん?」 「本当に昨日かも怪しいしね」 「んー・・・」 「まぁひとつくらいは記念日って日が在っても良いかな、程度だよ」 「んー・・・」 言いよどんだソウの口調に、皮肉めいた笑みを浮かべて。 ボクはそのまま会話を終わらせた。黙ったまま、2客のカップにコーヒーを注ぐ。 「ワタシの記念日はさ、」 不意にソウが今までと違う口調で言った。 「今日だよ。」 「今日?」 「どれ位前だったかは忘れたけど、確かに今日だよ」 「何の記念日?」 「何のって・・・ココが生まれた記念?」 「ボクが?」 「そう。此処に」 「此処って・・・何処だよ」 「此処だって」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・何それ」 ソウは笑っていた。あの時と同じように。 笑いながら、自分の左胸を指差していた。 『ワタシの心にココが生まれた日』だって。何処の詩人だよ。単純に『出会った日』で良いじゃないか。 本当に変なやつ。・・・あぁ、変なのは昔からか。そうだ、初めて会った日からだ。 ―――昨日誕生日だったんだってね。おめでとうござい・・・ました?何か変? あの日・・・検査室で一人夜を越えたボク。目を開けたと同時に視界に入り込んできたのが、そう。この笑顔だったっけ。 ―――来年はプレゼント用意するからさ、楽しみにしてなよ? ―――もし忘れてたらさ、遠慮せずに催促しろよ? ボクはソウからカップに視線を移した。 カップの中で揺らめいているのは、ボクの顔だ。 どんな顔をしているのか、湯気が立って良く見えなかった。 それでも。湯気は形を変えて、恥ずかしい姿を見せて来ようとするから。 だからボクはカップにクリームをそっと落とした。 先週ソウに出した時と同じように。 「え、このコーヒー美味しいんだけど」 「何それ。さっきは不味かったって事?」 「違うって。いつも以上に美味しいって事」 「・・・それはどうも」 「豆変えた?」 「変えてないよ」 「・・・じゃあアレか?やっぱ」 「アレって何だよ」 「んー・・・愛とか?」 「・・・・・・」 「ちょ、やっぱだんまりな訳?!」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・ココ?ガレット食べて?」 「言われなくても食べてるよ」 「食べたらもう一杯」 「え?」 「おかわり欲しい」 「・・・・・・」 「愛でも毒でも良い。美味しいから」 「・・・何か腹立つな」 そう。それは確かに記念日なんだ。 ボクが生まれた日。 ―――ありがとう。 あとがき→ |